泡は浮かんで弾ける
【トレア王国】
《王城・王座謁見の間》
「状況はどうなっていますか?」
「はっ! 一時間ほど前に我が国最大の戦力である軍艦三隻がーーー……」
そこから、臣下の報告が続く事は無かった。
臣下は白目を剥いて気絶したかのように前のめりに倒れ、地に伏す。
ナランタは何事か、と身を乗り出したが、王座謁見の間の扉から微かに覗く腕と、部下の頭に深々と突き刺さったナイフを見て全てを察した。
「あぁ、随分と危なっかしい訪問者だ」
ナランタの瞳に映ったのは、全身を紅色に染めた一人の男だった。
その血は本人の物では無く、量からしても十数人では利かないほど殺してきたのだろう。
だと言うのに、その男は呼吸一つ乱さず、眉根一つ動かしていない。
その手に填めた手袋は真っ赤な紅色に染まり、手に持ったナイフは白銀に照り輝いている。
その男の目は、その双方よりも恐ろしく、鋭く、唸っていた。
「用件など、聞くまでもないね」
男はごく普通の足取りで、ごく普通の体勢で、ごく普通の表情で。
玉座に座すナランタへと近付いていく。
「出来れば今際の句ぐらいは読ませて欲しい物だが」
冗談めいた彼の言葉にも、その男は反応しない。
以前と変わらない足取りでナランタの元へと歩いて行く。
無粋だね、という彼の言葉にも、やはり反応を示す事は無い。
「……はぁ、全く」
玉座の足下に、微かな黒線が出来る。
決して速くはないが、男から見えない角度で銃は引き抜かれたのだ。
それが胸元で構えられ、銃弾を吹き出すまで僅か数秒。
男が気付くのは銃弾が吹き出した、後だった。
《王城・正門》
「……正しい判断だと、思うのか」
曇天に白煙を吹かし、ゼルは沈んだ声で問う。
白煙は潮風の中に混ざり、灰色の空に溶けていった。
その白煙の微かな香りを感じながら、地面に座して指を組む少女は眉根を寄せる。
「解りません」
「復讐の鬼なんざ、ろくな死に方をしねェ。そうだろ」
「解ってます。……けど、私は正義の味方じゃない」
「どういう意味だ?」
「本当ならあの人を止めるべきだったんでしょうね、ゼルさんの言う通り。でも、私にはあの人を止める術も理由も解らなかった。そうしようと、思わなかった」
「だから放っておいたのか? 復讐を果たした奴ほど醜く弱く脆いモンは居ねェし、お前にナランタ国王を見捨てる事が出来たとも思えんがな」
「……クグルフ国の話を、覚えてますか?」
「クグルフ国?」
「あの国の長、メメールさんは国の為に己を偽り欲望を偽りました。それが最善の選択としたのなら、私には何も言えなかった。精々、それを助ける術を提供する程度でしたよ。……けど、あの人は、ナランタ国王は違う。この国には資源も多いし豊かだった。なのに、あの人はお金の為だけに人を売ったんです。……奪ったんです」
「だから、止めなかったのか。殺させたのか」
「はい」
「間違ってると、思わなかったのか?」
「思いましたよ。……でも、止められなかった。止めようと思わなかった」
「馬鹿だろ、お前」
「馬鹿ですよ、私」
ゼルの悲痛な面持ちに、スズカゼは苦笑で返すしか無かった。
間違っている、というのは自分でも理解している。
しかし、それが最善であり最優先すべき事だというのも理解しているのだ。
蟻と蟻の争いに象が、人間の少女が踏み込めば全ては無に帰してしまう。
ならば、最終的に決着を付けるのは他ならぬ蟻同士であろう、と。
「お前、それじゃ危ねェぞ。例えるなりゃふわふわ浮かんでる泡みてェなモンだ。ふわふわ浮かんで何処でも突っ込んでいて何処からも逃げて、やがて」
「弾ける」
「……そうだ」
「私が泡ですかぁ。……嘸かし綺麗なんでしょうね」
「茶化すな。真面目な話だぞ」
「だから茶化すんですよ。……解りきった事を二度も三度も言われる事ほど、辛い事はありませんから」
「お前……」
「弾けない泡はない。どんな泡もいつか弾けて、跡も残らない。……不安定な存在はいつか必ず消える」
「……馬鹿だろ、お前」
「馬鹿なんですよ、私」
ゼルの咥える煙草から灰が落ち、地を焦がす。
彼等はそれ以上の言葉を交わす事は無かった。
いや、或いは交わす事が出来なかったのだろう。
己の馬鹿さを自覚している少女にこれ以上、何を説教しろと言うのか。
これ以上、何をーーー……。
「……あっ」
沈黙の中に沈んでいた二人の瞳に、その人物は映る。
全身を真っ赤に染めて、右手にナイフの代わりとして一つの塊を持った男が。
その男の表情はとても満足そうで、足取りはしっかりとしていて。
そして、酷く虚しい物だった。
「気分はどうだ、カイリュウ」
「悪かァねェ。……だが、部下にこんな思いをさせなくて良かったとも思うぜ」
「だろうな。そんなモンだ」
「こんなモンか」
カイリュウの持つ塊は、当然の如く生気などない。
虚ろに瞳を落とし、口端からは大量の血を零している。
だが、その大量の血の中には死人のそれよりも紅色の、生気の混じった物もあった。
「カイリュウさん、血が」
「野郎、銃を隠し持ってたみてェでな。大した傷じゃねェよ」
その手から溢れる紅色を肉塊に浴びせ掛け続け。
静寂とも言えぬ沈黙に沈みながら。
カイリュウは、ゆっくりとナランタの首を海に放り投げた。
「善人振った悪人殺すより、悪人振った善人殺す方がよっぽど楽だぜ。……外面的にはな」
「馬鹿言え、似たり寄ったりだ」
曇天は次第に斑を無くし、一片の平面と化す。
灰色に塗り潰された空はやがて雫を落とし始め、スズカゼ達へと降り注ぎ始めた。
カイリュウの紅色は血を流れ、土に染み、海へと混ざる。
そこに宝石など無く。
あるのは、ただ薄汚れた海水だけだった。
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