船長と騎士団長
「ぃよぉ」
気軽に、街中で出会った友人に挨拶でもするように。
片手をぶらりと下げて、もう片方の手を上げて。
その男はゼルへと、優々と近付いていく。
「サウズ王国騎士団長、ゼル・デビットとお見受けする」
「……テメェは」
白銀の刃を構えるゼルは、他の有象無象から視線を逸らして男を見る。
カイリュウ・ジレンターラ。カイリュウ海賊団の船長であり、恐らくーーー……。
この海賊団で唯一にして無二の、刃たり得る男。
「トレア王国からスズカゼ・クレハを探しに来たかぁ?」
「あぁ、その通りだ。返せ」
「是非ともそうしたいが……。返した途端にズドンなんてされりゃァ、笑えねェよなァー……」
くきり、くきり。
首の骨を軽くならしながら、それでも大きく鳴り過ぎないように先程まで上げていた片手で押さえて。
その双眸だけで部下が道を作るほどに、殺気を込めて。
「って事で、取り敢えず俺達が逃げ切るまであのお嬢ちゃんには付き合って貰うわ」
「一時凌ぎだぞ」
「おう、そうだろうなァ。……目的が達成できるまでの一時凌ぎだ」
カイリュウの靴底が甲板の木板と擦れ、摩擦を生む。
火花こそ散りはしないが、木版の上に焦げ跡が付く程度には。
その加速は凄まじく、素早かった。
「フー……」
彼の吐息は、彼が居た場所から聞こえた事だろう。
それ程に、踏み込みは早かった。
現にゼルの耳に聞こえた吐息の音と、彼の視界に映るカイリュウの間にある差は、余りに大きい。
「手、抜くつもりはねェぞ」
空を切り裂く拳撃。
腕を振り抜いた後に空気その物がなくなり、急速にそれを暗い出す程に。
早い、一撃。
「ふん」
その一撃はスズカゼの鳩尾を抉り殴った。
彼女の動体視力は反応できても身体が着いていけなかったからだ。
だが、ゼルは違う。幾度と戦場を潜り抜けた彼だからこそ。
その拳撃に着いていける動体視力と身体能力を持つ。
コンッ
カイリュウの拳に当てられる剣の鞘。
当てたのだ。打ったのではなく。
無論、拳撃を止めるほど強い物ではないのだから、拳撃が止まる事は無い。
だが、カイリュウは感じ取っていた。
ガツンと力が加わるのではなく、じわりじわりと浸食するように力が加わってくるのを。
「ぐ、お……!?」
それは余りに悍ましい感触だった。
スズカゼのように受け流すのでもなく、盾で受けるのでもなく。
力を加えただけで、足場ならぬ腕場としたのだ。
「手を抜かない?」
カイリュウの頬先を突き抜ける汗。
背筋を抉るように突き刺さる悪寒。
指先と足先を削り取るような危機感。
「手を抜けないの間違いじゃないのか」
カイリュウは咄嗟に、肩の駆動など半分無視して前のめりに踏み出した。
何故、そんな事をしたのかは自身でも理解出来ていない。
だが、この行動が間違いでない事だけは確信できた。
何故なら、先程まで自分の頭があった場所を、鉄の拳が切り裂いたからだ。
「ほう、避けるか」
この男は、王国騎士団長であるこの男は。
腕場を軸に反転し、自分以上に肩に負担を掛ける体勢で拳を振り抜いたのである。
成る程、これは敵わない。勝てない。戦えない。
余りに実力が違いすぎる。時間稼ぎ? 笑わせる。
稼ぐべき時間は自分の余命だ。
「……だが」
それでも。
負ける訳にはいかない。
敵わなくても勝てなくても戦えなくても。
負ける訳には、いかない。
「掌握せし流脈」
カイリュウの拳に打たれた剣の鞘。
彼は自信の拳を翻し、それを掴み取った。
無論、ゼルとてそれを予想していなかった訳ではない。
彼は即座にその剣を離し、鉄の拳を主武器に切り替える。
拳とは言え鉄だ。速度や威力はカイリュウの一撃には劣るだろう。
だが、鉄という強度は人間の血肉とは比べものにならない。
それに多少なりとも速度が加われば、人間のそれなど容易く上回る。
「……あ?」
だが。
ゼルの視界は、反転していた。
空が地に、地が空に。宝石の海と蒼快の空は逆転して。
離そうとしていた手は剣の柄に縫い付けられたかのように動かずに。
力を加えた方向とは真逆に、動いたのだ。
「成る程。手は、抜けねェな」
―――――何をした? この男は。
ゼルは混乱を極めていた。
当然だろう。思い通りに体が動かないというのは、それ程までに恐ろしい。
離そうとした剣は離せず、引こうとした腕は引けない。
むしろ、真逆に動く。自身が動かそうとした真逆に動いていくのだ。
「ち、ぃ!」
ゼルはまず地面に足をめり込ませた。
木板を踏み割り、足場を完全に固定したのだ。
それにより確実に立ち位置を持ち、次に腰を据える。
拳を武器とするカイリュウだからこそ、その姿勢が何なのかは一瞬で判断出来た。
「ほう」
拳撃だ。それも全力の、全てを撃ち込む拳撃。
なるほど、先の思い通りに動かない剣と腕から判断したのだろう。
良い判断だ。まず自身の立ち位置を確立させて不動の存在とする。
そうすれば先のように不確定な動きをしないと……、そういう見解だ。
「ーーーーーッ!!」
微かな踏み込みと共にゼルの拳撃がカイリュウを襲う。
骨肉を砕き臓物を粉砕する一撃だ。回避も防御も、生身のカイリュウからすれば不可能でしか無い。
だが、それは[生身の]という前提があればこそだ。
「……何でだよ、オイ」
ゼルの拳は、動かなかった。
カイリュウの掌によって受け止められた、その拳は。
「抑えたぜ」
これで、彼は完全に両腕を押さえられた事になる。
自ら固定した片足も、今となっては枷でしかない。
両腕と片足を封じられた人間の出来る事など、数える程も無い。
「じゃァな、騎士団長殿」
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