船内の小さな反乱
【トレア海】
《木船》
トレア王国より数十ガロ離れた宝石の中に浮かぶ、小さな異点。
ゆらゆらと大した波紋を作る事もなく、海の上を行く一隻の船。
大波が立って沈んでも、誰に気付かれることもないであろう程に小さなその船には三つの人影があった。
「再度、自己紹介しておきます。トレア王国軍副隊長のニョーグ・ドーイです」
そう述べて人影の一つ、赤褐色の髪と角のような耳を持つ男は深く頭を下げる。
彫りの深い顔には副隊長らしい厳格さが滲み出ており、獣人としての凶暴さらしい物も見えるが、それすらも押さえつける厳重な雰囲気が真面目な人物である事を判断させる。
無論、鍛え上げられたその肉体と正しい姿勢からも充分に判断出来るのだが。
「ニョーグ殿ですか。私は……」
「いえ、ご紹介は結構です。双方、既にナランタ様よりご紹介いただいていますので」
「それは何より。今回は私達の不手際によって起きた尻拭いを手伝っていただき……」
「それも結構です。不手際と言えば我々が諸悪の根源なのですから」
「はぁ、では今から……」
「えぇ、結構です。海賊共を追いましょう」
「ですね。進路は」
「はい、結構です。このまま真っ直ぐ進みます」
「戦闘は」
「あぁ、結構です。ゼル様達はスズカゼ様の救出を第一に。これでも私はトレア王国随一の戦士ですので」
「そ」
「いやいや、結構です。私などに称賛の御言葉など……」
「ハドリー、この人めんどくさい」
「頑張ってください。あと数時間もすれば船が見えます、たぶん」
《海賊船・船長室》
「……どういうつもりだ、新入り」
「こういうつもりです、船長」
その部屋の室温には、余りに差が出来ていた。
冷淡なる憤怒により氷点下の温度を纏うカイリュウ。
柔和なる微笑により温点上の温度を纏うメタル。
そして、彼等の間を取るように刀を構えながらも硬直して頬端を引き攣らせるスズカゼ。
三人しか居ないはずの船長室なのに、その温度差はまるで世界中の気候を表しているかのようだった。
「反乱、じゃねェよなァ? こりゃ、完全に潜り込まれてたか」
「苛立ちで他を牽制するのは結構だが、仲間まで牽制してどうするよ? 上に向いてねぇんじゃないの、お前」
「ハッ。テメェみたいな下っ端に言われちゃ世話ァねぇな……」
「世話ねェ序でに船を引き返せ。今ならサウズ王国のメイアウス女王にもちっとばかしなら口利きしてやるよ」
「……口利きか」
カイリュウは紅蓮の刃を突き付けられているというのに、動じる様子すら見せない。
いや、それ所か思案するように肘置きを二度、三度と指で突く。
「断る」
「……何でだ? ここから逃げ切れるわけじゃねェだろ」
「目的を、果たしてねェ」
「目的?」
「長い長い目的さ……。そう、長い、長い」
一瞬。
スズカゼの視界が揺らぎ、カイリュウの姿が二重に映る。
同時に顔から胸元へ掛けてまで冷ややかな感触が走り、視界は黒に塗り潰される。
いや、塗り潰したのだ。自ら目を閉じて。
「スズーーーー……!」
メタルの叫び声が耳に届いたような気がした。
だが、その時にはもう自らの首筋に冷たい感触が走っていて。
先程のそれではない。もっと冷ややかで冷徹で、恐ろしい物だ。
「俺ァ海賊だぜ? この程度の卑屈戦法ならお手のモンさ」
カイリュウが行った戦法は至極単純。
眼前のスズカゼに対し、手元にあった水杯を投げつけ、視界を潰す。
そして素早く首元にナイフを当ててメタルを牽制、と。
二回挙動で二人を押さえ込んだのだ。
もしこれが正戦ならば通じる手では無かっただろう。
だが、ここはカイリュウの拠点であり彼の独壇場だ。
負ける道理など、無い。
「ちぃっ!」
「ッ……!」
「動くなよ、スズカゼ・クレハ。その柔肌に紅筋作りたくなけりゃ、な」
状況としては非常に完結的だ。
スズカゼを人質に取られているから、メタルは動けない。
動けばスズカゼはただでは済まないという、非常に簡潔的な状況。
だからこそ、簡潔的で一本道だからこそ、カイリュウがメタルに向けた単純な脅迫だからこそ。
予想もしていないような横殴りには、滅法弱い。
「づ、ぁっ……!?」
カイリュウの腹部にめり込む、華奢な一撃。
否、華奢とは言えども人一人の全体重を乗せた一撃は、完全に無防備だった男の腹部へと容易く、そして深々と突き刺さる。
「私は殺せないですよね」
にっこりと微笑んだ少女は続け様にナイフを弾き飛ばし、片手を弾き上げた男の腹部へ回し蹴りを喰らわせる。
その一撃は見事なまでに鳩尾へめり込み、カイリュウの全身から酸素を奪い去り、代わりに激痛を押し込ませた。
悶絶などという言葉は生優しいほどに、自らの執務机に叩き付けられた男は唾液を吐いてのたうち回る。
「おま、何つー……」
「私が今の面倒な火種になってる以上、殺せるはずもない。殺したりしたら本当に殲滅されるし……、と思ったんですけど。違いました?」
「ま、まぁ、生きてりゃどうにか出来るしな……。たった今、俺が交渉を持ちだしたんだから殺す確率は低いだろうけどよ。それでも、やるか? フツー。一歩間違えりゃ首元スッパンだぞ」
「伊達に第三街領主とかやってませんので」
「際で……。ま、何にせよ、これで船長のカイリュウは抑えた。後はコイツ盾にしてーーー……」
メタルの言葉が言い終わらない内に、カイリュウは両頬を裂くほどの笑みを浮かべた。
全身に走る激痛を物ともしないように、全てが思惑通りに進んだことを喜んで。
再びこつり、と指先を床板に打ち付けた。
「盾はテメェ等だよ」
その言葉を切っ掛けとして、凄まじい音を立てて扉が突き飛ばされる。
衝撃音に連られるようにして視線を向けたスズカゼとメタルの視界に飛び込んで来たのは、幾つもの銃口と銀色の刃を構える海賊の面々だった。
「テメェ……! さっきの指打ちは……!!」
「気付くのが遅ぇんだよ。向いてねぇんじゃないの? お前」
意趣返しと言わんばかりにカイリュウは鼻を鳴らし、部下の海賊達に彼等の捕縛を命じる。
スズカゼもメタルも、圧倒的な数を前に為す術などあるはずもなく。
こうして彼等は再び、捕らわれの身となったのだった。
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