二匹の蟻は象を恐れて
【トレア海】
《海賊船・甲板》
「…………」
酷く不機嫌そうに眉根を寄せた少女は、直ぐ外にある宝石の海を眺めていた。
手を伸ばせば届きそうなのに、その伸ばす手が動かせない。
歩んでいけば着きそうなのに、その歩く足が動かせない。
手足に食い込む荒縄が動きの全てを制限し、自由の二文字を自分から奪い去って行く。
熱い日照りと真っ白な鳥達の喚き声の中で自由を奪われるというのは、どうにも苦痛な物だ。
「あぁ、このまま私は日照りの中で焼かれて色黒美人になるのかな……」
等という妄言を呟いてこそ居るが、実際、彼女の肌はかなり焼けていた。
それ程の時間、彼女はここに放置されているのだ。
理由は聞かされず、カイリュウに抱えられてポンである。
既に数十分、いや、一時間は経っただろうか。
こんな炎天下の中、美女を放っておくとは本当に何事だ。
「ほれ、水」
と、そんな彼女の恨めしい心の叫びに答えたかのように、海賊の一人が眼前に水を持ってくる。
あぁ、どうもと礼を述べて手を伸ばそうとする彼女だが、縄で縛られているので伸ばせるはずもない。
「あの、飲ませて貰えます?」
「おう」
その海賊の男はスズカゼの横から手を出して、器を傾ける。
顎筋に一筋の水滴を伝わせながら、彼女はその器に入っていた水を飲み込んでいく。
灼熱の太陽に乾かされていた喉は段々と潤っていき、次第に身体から熱も減っていった。
「ぷはぁ、美味い!」
「そりゃ何より」
「所で、一つ聞いて良いですか?」
「何だ?」
「何やってんだ、アンタ」
彼女の質問に海賊の男、基、メタルは気まずそうに視線を逸らす。
上半身裸に下は雑衣という服装はどう見ても海賊のそれだ。
つい数時間前まではそこそこ高価な黒の外套を纏っていた男が、どうしてこんな事になっているのか。
と言うかそもそも、どうして海賊側に居るのか。
「いや、何か珍しい船があるなー……、って思って中を見学してたんだけどよ。まさか急に荷物が放り込まれて、それに埋まるとは」
「居る理由は解りましたけど、その恰好と現状について一言」
「どうしてこうなったし」
「そういう事を聞いてるんじゃねぇんだよゴラ」
「やだ怖い……。つっても、何だ。俺は普通に気絶してただけなんだが、船長のカイリュウ・ジレンターラが酷く不機嫌だったみたいでよ。俺みたいなのを侵入させてたのに気付かなかったなんて言ったら何されるか解らないから、新人として誤魔化すらしい」
「何と言う巻き込まれ……。厄介な上を持つと苦労しますねぇ」
「お前、それジェイドとかハドリーの前で言うなよ。殴られるぞ」
「え? 何で?」
「自覚無しって怖いわぁ……」
【トレア王国】
《王城・専用船着き場》
「護衛に当たらせていただきます、トレア王国軍副隊長、ニョーグ・ドーイです! よろしくお願いします!!」
「は、はぁ……」
トレア王国の専属船着き場には数百を超える兵士と使用人。
そして、その前方中心に立つナランタはとても気が気では無い表情で彼等を見守っていた。
当然だろう。何せ、大国からの客人が自分の部下含め、たった3人で海賊を追うというのだから。
「あ、あの、もう少し護衛を付けましょうか? いえ、サウズ王国の騎士団長には余計なお世話かも知れませんが、それでも」
「大丈夫ですよ。大人数でぞろぞろと行っても発見されるのが早くなるし、相手にも警戒させるだけですからね……」
と言っては居るが、それが注点ではない。
実際は現状の力関係を崩したくないだけだ。
トレア王国が裕福な上澄みを搾取され、カイリュウ海賊団は殺しをしない。
その関係性を、壊したくないのである。
もし壊せばどうなるかは解らない。
カイリュウ海賊団を殲滅できればそれで良いが、そこまで大々的に関われば本当にサウズ王国が仲裁ないし殲滅に関わらなければならないだろう。
そう、カイリュウ海賊団だけでなく、この国の殲滅にも。
「……はぁ」
サウズ王国の報復など一片そこらの国とは比べ物にならない。
象が蟻の頭を軽く叩くとして、蟻は無事で済むだろうか?
否。単純に潰す。頭だけで無く全身を隈無く圧砕し、臓物を残す場すらなく、圧殺するだろう。
だからこそ、こうして現状を維持させるのだ。
スズカゼはこの国に来て何事も無く帰りました、と。
そういうシナリオにする為に。
「これが最短の手であり、最小の手だ……」
トレア王国を気遣い、騎士団長が一芝居を打つ。
そう言えば聞こえは良いが、実際は見捨てるだけだ。
この国の現状を、再びこの国に丸投げするだけだ。
「道理だ。道理だ」
ゼルは自身に言い聞かせるように、二度呟く。
もしこの場にスズカゼが居れば文句を言われただろうが、仕方ないのだ。
これしか、術はない。
「ゼルさん、そろそろ」
「……おう」
ハドリーに促され、彼は小さな木舟へと乗り込んでいく。
それこそ普通の一般船に積まれている脱出用ほどの小ささだ。
サウズ王国騎士団長、ゼル。
サウズ王国第三街領主秘書、ハドリー。
トレア王国軍副隊長、ニョーグ。
彼等3人はその小さな木船に乗り込み、ニョーグが櫂を取る。
「それでは、お気を付けて」
ナランタが敬礼を行い、兵士達もそれに習う。
たった3人の小さな出発にこの国の命運が掛かっていると知っているからだ。
それを確信しているのは数少ないだろう。精々、ナランタとトレア王国軍の一部だけだろう。
その一部だけが、全てを知っている。
その、一部だけが。
「ご武運を」
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