少女と海賊団船長
轟々と燃え盛る炎を前にして。
カイリュウは右拳を突き出し左拳を引き、現代で言うボクシングスタイルに近い構えを取る。
スズカゼはその構えに何処か既視感を感じながらも、自身の正中に合わせるが如く紅蓮の刃を構えた。
「構えだけは一端だな」
「構えだけかどうか、試してみればどうです?」
「やってやるよ」
地に舞い落ちた煤を蹴り飛ばし、カイリュウは突貫を見せる。
熱風を切り裂く踏み込みはスズカゼの視界から彼の姿を消し去り、困惑の暇すら与えずに一撃を撃ち込む。
鈍い音と共にスズカゼの頬へ堅い感触と鋭くも生々しい痛みが走る。
殴られた、と彼女が感知するのは数秒先だった。
「ふん」
カイリュウはその一瞬を鼻で嘲笑う。
所詮は貴族道楽だ。本気で戦って来た自分に勝てるはずなどない。
折れる鼻はないとこの小娘は言ったが、折れる頬はあったようだ。
「何笑ってんですか」
刹那、彼の脇腹に、火が燃え移ったのかと思うほどの痛みが走る。
カイリュウはその傷元を視線で確認し、刃が擦った事を認識した。
直撃こそしていないが、もし数歩動いていれば、脇腹に穴が開き、炎よりも黒い紅蓮を吐き出していたことだろう。
「なっ……!」
「あれ、外れた」
眼前の少女は何事も無かったかのようにけろりとしている。
煉瓦すら粉砕する自身の拳を喰らったというのに、その少女は刃を振り抜いたのだ。
まさか、外れていたのか? いや、確かに拳は直撃したはずだ。
まさか、何か防具を纏っているのか? いや、確かにあの感触は人間の血肉だった。
まさか、痛みを感じていないのか? いや、彼女の両目には微かに涙が浮かんでいる。感じているはずだ。
となれば、必然、今し方直撃した一撃すらも想定の内だったという事だろう。
彼女は、スズカゼ・クレハは。
一撃のために、自ら被撃する事を選んだのだ。
「正気の沙汰じゃねェ……!」
体格差、性別差、速度差。
どれを取っても自分が勝っているはずだ。
流石に素手の一撃なのだから、威力は剣に劣るが……、それでも直撃を選ぶのは阿呆か気狂いのする事でしかない。
もし今の一撃が決定打となっていたのなら、とこの小娘は考えなかったのか?
この体格差を、この性別差を、この速度差を持ってして。
決定打にならない保障が何処にあると判断したのだ?
「イカれてやがる」
唾棄すべき悪魔を見るかのように、カイリュウは酷く眉根を歪めた。
何が貴族道楽だ。これは間違いなく戦士のそれだ。
……いや、戦士ではなく、狂戦士のそれだ。
戦いを楽しみ、死地を求め、地肉を喰らう。
狂った戦を欲す人間のそれだ。
「ちっ」
脇腹に受けた一撃は擦り傷だ。薬塗って包帯を巻いておけば一日で治る。
だが、これ以上戦えば擦り傷程度では済まない。最悪、首が飛ぶ。
その首がどちらの物かは解らないが、自分である可能性も決して少なくない。
ならば退くか? いや、まだ終わっていないはずだ。
だったら退けるはずはない。戦うしかない。
「ーーー……」
覚悟を決めたカイリュウは、意識を眼前へと引き戻す。
ゆらりゆらりと揺れる焔を背に、少女は腫れた頬を摩っていた。
その様子だけ見ればただの小娘。街中で母親に打たれた程度の小娘だ。
だと言うのに、その小娘は今し方この脇腹に一撃を入れた狂戦士なのだから、奇々怪々と言う他ない。
「よく避けましたね、今の。……割と自信あったんですけど」
「黙れよ、狂人」
カイリュウは自らの言葉を切っ掛けに、スズカゼより見て左方へと踏み込む。
先と同じく凄まじい速度での一足だが、スズカゼはそれに反応していた。
彼は先の一撃が撃ち込まれさせられた物だと確信すると共に、スズカゼの腹部へと一撃を放つ。
「甘いッ!」
だが、スズカゼはそれに対し刃ではなく鞘で応対する。
鞘とは言え魔具。鉄すら凌駕する硬度を持つ物質だ。
当たれば彼の拳すら無事では済まない、が。
カイリュウはそもそも、その拳を当てるつもりなど毛頭無かった。
「どっちがだ」
鞘に当てられた拳はこつん、と軽い音を立てて停止する。
スズカゼがそちらに気を取られている内に、彼女の腹部へ掌撃が撃ち込まれる。
ほぼ数十センチとない距離からの掌撃だと言うのに、それはスズカゼの腹部から先程食べていた物を吐き出させかける程に強力だった。
彼女は胃液と食物の込み上げる口を押さえて、素早く数歩後退する。
「逃がすか」
カイリュウはさらに踏み込み、先程、フェイントに使用した拳を撃ち込む。
狙うは顎。口を押さえた事により無防備になったその場を狙う。
当たれば間違いなく昏倒し、少女は吐瀉物を撒き散らしながら倒れ込むだろう。
「ッツァ!!」
そう、当たれば、だ。
スズカゼはその拳を避けるでも防ぐでもなく、掴んだ。
口を押さえていた手を離し自らに迫り来る男の腕を掴んだのだ。
そのまま、彼女は片手で豪快に男一人を投げ飛ばす。
いや、正しくは足を引っかけて転ばせ、その勢いを保たせたまま投げたのだが。
「うぉっ!?」
流石にカイリュウも投げ飛ばされるとは予想していなかったのだろう。
そのまま綺麗な半円を描いて、地面に背中から打ち付けられる。
とは言え、ほぼ転ばされたような物だ。衝撃は少なく、被害は小さい。
彼は空に重なる少女の顔を見た頃には既に立ち上がる準備が出来ていた。
出来ていた、のだが。
「うぼぇ」
「えっ」
まぁ、後はご想像の通りである。
ただでさえ胃液の漏れかけている口を押さえていた手を離したのだ。
さらに人を投げるなどという急運動を行えば、どうなるかなど言うまでもない。
その日、その時。
轟々と燃え盛る炎が吐く黒煙立ち篭めるトレア王国王城の倉庫に。
ある男の、凄まじい悲鳴が響き渡ったのだった。
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