幕降ろしは役者の手で
「……くくっ」
口端に指を這わせ、ヴォルグは不気味な笑い声を漏らす。
舞台上の女優と同じくその笑みに嬉々とした意味も哀々とした意味もありはしない。
然れども何処か享楽的な様子であり、愉悦的でもある。
バボックのような色を含まぬ濁った笑みなどではない。
何も含まぬ、無色に純粋な、悍ましい笑みだ。
「まさか」
その指を自らの首筋まで這わせ、彼は舞台の緊迫を解す。
否定の言葉が指し示すは戦闘意思の否定。場の安全の確保。
もしも、この場で四天災者が戦えば本人はともかく周囲の人間は無事などでは済まない。
だからこそ、今の一言はそれ程までに貴重で重要だったのだ。
「この場で四天災者全てを敵に回して戦おうとするほど愚かではない。それに我はギルドの人間として来ているのでな。プライベートならばともかく、今、戦闘を起こせば下僕共が喚いて五月蠅いのだ」
「今の言葉遣いからするに責任有る立場でなければ戦える、という風に聞こえたが?」
「そう言ったのだ、四天災者[灼炎]」
舞台は新たな役者の登場により再び緊迫する。
一色二色と変貌し続ける舞台に着ついて行けるのは登場役者と観客だけ。
その双方どちらでもない少女はただ呆然としているしかない。
舞台が始まるよりも前、準備期間からずっと。
彼女は着いて行けてなどいない。
「ストップ。二人とも」
役者達の構えた刃の間に割って入ったのは同じく役者であるダーテンだった。
殺気立った二人は共に彼を一瞥すると、ゆっくりと刃を下げる。
再び色を変えた舞台に少女は息を落ち着かせるが、その先を予想していなかったのだろう。
「スズカゼ・クレハ」
だから突然、自分が舞台に引き摺り込まれた事によって、ひっと裏返った声を出してしまった。
まさか眼前で繰り広げられた異端な物語に巻き込まれるとは思っていなかったのだ。
それは当然と言えば当然だが、舞台のプロローグからすれば巻き込まれないはずなど無かったのだ。
「貴様はどうする?」
「え? え?」
「我がここに来たのは先の用件もある、が。……フレースの処分を決める意味もある」
舞台外の、既に退場した端役者の名前をヴォルグは述べた。
サウズ王国の面々以外は何の事か理解出来ずとも、彼等には充分に理解出来る。
当の本人、スズカゼなど最たる物だろう。
一度、自分を殺し掛けた人間なのだから。
「種は潰せるぞ」
意味は単純だ。
ギルドとサウズ王国の間に生まれるであろう亀裂の種。
フレース・ベルグーンの首を潰して亀裂も無くそう、と。
そういう意味なのだろう。
「え、えーっと……」
正しい答えは子供でも解る。子供でも言える。
お願いします、だ。
ギルドという世界的中立組織と対立する理由など一つも無いだろう。
ならば種一粒程度を潰してしまって事が解決するならそれで結構。
自らの手を汚さず、速やかに的確に潰してしまって貰う。
ただ、それだけだ。
「あ、結構です」
尤も、その答えを選ぶのは[常識を持った]一般人だ。
平然としてどうでも良さそうに、その[非常識な]少女は手を横に振った。
彼女のそんな行為に先程まで舞台の中心に立っていたはずの男はがくりと肩を落として舞台裾へと引いていく。
「詰まらんな。潰せば全てが片付くというのに」
「いや、別に私は気にしてないんで放って置いてあげてください。こうして無事だったんだし」
「……待て待て。その程度で良いのか? 自らの命を狙った女だぞ?」
「生きてるんで」
緊張感の超過、という物がある。
現世でも医学的に証明された名称ではないが、言ってしまえば[吹っ切れた]という事だ。
緊張感が余りに行き過ぎてしまったが為に、偽ることも取り繕うことも忘れてしまう。
下手に偽ったり取り繕ったりするタイプの殆どは墓穴を掘るが、スズカゼに至っては何の偽りも取り繕いもない本心を述べるタイプだったようだ。
その様なタイプはもう周囲全てを無視して突き進む、ある意味では普段のスズカゼらしい言葉である。
「いやぁ、あの人も仕事だったんですし私もこうして生きてるので、依頼人さえ教えてくれればなぁ、と!」
「そこで情報を請求する辺り、中々抜け目のない小娘のようだな。だが、その情報を教える訳にはいかぬ。こちらも組織としての矜持がある」
「金で動く情報とは随分と脆い矜持ね」
「貴様の言う通りでもある、四天災者[魔創]。だがな、こちらも膿はまだ出し尽くせていないのだ」
貴様達との会話は以上だ、と打ち切るように。
ヴォルグは木机に指を打って終劇の幕を下ろした。
同時にヌエが魔力を発して魔法か魔術とも解らない物を発動する。
影が水面のように揺らいで彼女の体を覆い尽くしていく。
ヴォルグも同様に、舞台より退出するように踏み出した。
だが、そんな役者達を引き留めるように、膜の隙間より一本の手が伸びる。
「まだ話は終わってないよ」
影は未だ揺らいでいるというのに、ヌエはそこに進もうとしない。
いや、進む事が出来ないのだ。
自らよりも先に影の上に立つ、その少女の存在が為に。
「チャペル。しっかり止めておいてくれるかな」
{…………}
物言わぬ少女はこくりと頷いた。
全身を覆い尽くすような泥沼のように深い頭髪はざらりと揺れる。
見るだけでも悍ましく恐ろしい少女は、ヌエに一歩を歩かせない為には充分な存在だった。
「流石は四天災者だ。このような存在すらも使役していようとは」
「お世辞は良いんだよ、ヴォルグ。僕が欲しいのは答えだ」
「ほう、答えか」
「君はこの世界の異変について何も知らないのかい? 本当に?」
「言わずもがな、我等は何も知らん。貴様等が言っていたようにメリットやデメリットで考えるのならば我等にはメリットなどあるまい? デメリットは数えきれぬ程あるがな」
「……自分達は何も関係ない、と?」
「そう言っている。何度も我の手を煩わせるなよ、四天災者」
「そう、なら良いんだ」
ダーテンが手を振り払うと、チャペルと呼ばれていた少女は姿を消した。
影の揺らめきよりも脆く、さらりと消え去ったのだ。
ヌエがそんな様子に驚愕して足を固めていると、ヴォルグが彼女の肩を叩いて先へと進ませる。
「邪魔したな、者共。後は今まで通り戯れの言葉交わしを続けるが良い」
「……失礼しました」
ぺこり、とヌエは頭を下げるのは舞台暗転の証。
暗転は即ち舞台劇場の閉園の証であり、激動の幕は閉じる。
観客のざわめきと不穏を残して、役者は遠慮無く退場していく。
これにて閉幕。これにて閉園。
これにて、終劇。
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