その者は悠然と現れて
「……ッ」
恐る恐る目を開いたスズカゼの視界に映ったのは黒煙だった。
周囲に焔が広がり、体の端々には微かな熱を感じる。
熱源からは少し離れているからだろうか、然程、熱くはない。
だが、痛みも感じないし熱も感じないというのは妙ではないか。
自分は先程、確かに火炎弾を放たれてーーー……。
「ゼルさん!!」
彼女が思い出したのは、直前、自分の視界を覆ったゼルの背中だった。
自分を庇うように飛び出した彼だ。ろくな防御が出来たはずがない。
無防備な人間が真正面から燃え盛る焔に喰われればどうなるかなど、解りきった事だろう。
「……あれ?」
だが、彼女が見た男の姿は何ともなかった。
それどころか擦り傷一つ、火傷一つすらない。全くの無傷と言って良い状態である。
まさか四天災者であるイーグの一撃を食らってこの状態な訳ではあるまい、とスズカゼが彼を見詰めたが、当の本人ですら唖然とした様子だった。
それは自分の状態にではなく、視線の先の存在に対しての物であると彼女が気付くまで、そう時間は掛からない。
「……見事だ」
彼女の真横。
それこそ腕を広げれば相手の胸元に当たるほど近くに、その男は居た。
黄金の頭髪と金色の瞳に、王者という言葉を具現化したような衣服。
指先一本、髪先一つですら寸分狂い無くこの世を蹂躙すると言わんが如き風貌は明らかに周囲から浮いている。
その声ですら一端一端に何処か威圧感が感じられるほどに、その男は紛う事なき王者だった。
「流石は四天災者、イーグ・フェンリー。ただの威嚇が一般兵の捨て身を遙かに凌駕する。いや、比べるのも烏滸がましい程だな」
男の嘲るような言葉にイーグは反応を返さない。
いや、彼は男の挑発よりも驚愕の感情の方が勝っている様子だった。
その男を見て驚愕しているのはその場に居るスズカゼ以外の全員で、絶句という他ない状況になっている。
最も近い位置に居るのに、最も状況を理解出来ていない少女はただ狼狽えて周囲を見回すしか無かった。
「……そんなに我が物珍しいか、スズカゼ・クレハ」
「は、はい!?」
この状況の中心点である男から急に声を掛けられて、スズカゼの狼狽は一気に加速する。
何故、この男は自分の名前を知っているのか? いや、そもそもこの男は誰なのか? この場を凍り付かせるほどの人間なのか?
幾つもの疑問が彼女の脳内を駆け巡り、喉から出るはずの返事を押さえつけて嗚咽だけを漏らす。
そんなスズカゼを見かねてか、男は掌で彼女を御しながら小さく笑みを浮かべた。
「我が名はヴォルグ。ギルド統括長の一人である」
全世界の中立的組織、ギルド。
多大なる構成員と組織力、そして全世界の中立という立場からの情報力。
国としての組織では無いが、それ故に人員も多く力も強い。
無論のこと四大国とて無視できない組織だが、その当の存在を纏める人間がここに居るのである。
「……これはこれは」
未だに驚愕の色を隠せないバボックだが、それを塗り潰すようにいつもの不敵な笑みを浮かべ始める。
それを助長させるかのように拍手まで始め、周囲の緊迫した雰囲気をさらに悪化させていく始末だ。
「まさかギルド統括長の人間がこんな場所にいらっしゃるとは。偵察など部下にさせれば良いのではないかな?」
「何も我のみで来た訳ではない」
ヴォルグが手を上げると、それを合図にしたように木椅子の影がぬるりと盛り上がる。
間もなくその影だった物は人の形へと変化し、顔を真っ黒な布で覆い尽くした女性へと変化した。
それが明らかに魔法か魔術の類いによる物で、様子的にも今到着した訳でないのは確かだ。
「部下のヌエだ」
「……まず、盗み聞きという行為に及んだ上、姿を自主的に現さなかった無礼をお詫びします」
隣で踏ん反り返っているヴォルグと違い、ヌエは深々しく頭を下げて謝罪する。
その様子に流石のバボックも言葉を途切れさせ、むぅ、と顎を落とす。
だが、彼のそんな様子など露知らず。メイアは会話の流れが切れない内に口を開いた。
「中立的組織である貴方達がこんな行為に及ぶ理由を聞かせてくれるかしら。そもそも中立なのだから、姿を隠す必要なんて無いでしょう?」
「今回、この会議には招かれていませんでしたので。無断で入るには失礼かと……」
「本当にそれが理由かしら?」
刹那、ヌエの背筋に鎖が巻き付けられる。
無論のこと実際に巻き付けられた訳ではないが、そう感じる程に、実感がある程に、余りに具体的過ぎる重圧だった。
ヴォルグは未だ平然と構えているが、その視線は先程と違って踏ん反り返って居たままではない。
「……ヌエ。妙な偽りは反感を買うぞ」
「し、しかし」
「もう良い。直接的に言えば済む話だ」
ヴォルグは足を組み替え、胸板の上で手を組む。
この場の侵入者らしからぬ雰囲気は周囲を圧倒するが、それでもその場を掌握するほどではない。
彼もそれを理解した上での事か、悠然と述べ始める。
「我々としては四国大戦などという騒ぎを起こさなければ何も文句はない。隠れていたのは単にそちらに疑いを持たれていると危惧しているからだ」
「……危惧、ね」
「先からの話を聞かせて貰っていたが、貴様等が述べた件には少なからず我々が関わっている。……西の件を除きな」
「おや、我々は度外視か。残念だねぇ」
ネイクに同意を求めるバボックだが、彼から帰ってきた返事は素っ気ない物だった。
残念そうに肩を窄めるバボックはそのまま前を向き、ヴォルグの言葉に耳を傾ける。
「フレース・ベルグーンによる小娘狙撃の一件と言えば他の説明が要らぬほどだろう? 当然、我々が望んだことではないがな」
「その謝罪でもしに来たの? だとすれば、律儀な話だけど」
「いいや、違う。我がここに来たのは観察と監視の意味がある」
「……観察はともかく、監視?」
「そう、監視だ。今までの異変が我々のせいにされたは堪らぬからな」
「それはつまりーーー……、貴方がこの場に居るという意味も含めて」
コンッ、という、骨肉で机を叩く音。
それを開幕のベルとしてメイアの周囲に光輝の球体が出現する。
ライトに照らされた女優は逸脱した美貌を殺気で飾り立て、嬉々ともせず哀々ともせず。
少女の周囲で踊り狂う焔さえも凌駕する熱源を持ってして、零す。
「私達を潰す、と。そういう意味かしら?」
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