会議を始める前に
「私が、ですか?」
「そうだ」
ゼルは酷く疲れた表情で、額を抑えながら言葉を零した。
海で泳ぎ終えて薄着を羽織り、休憩していたスズカゼはその急な言葉にただ困惑するしか無い。
各国首脳会議に出席しろ、という急な言葉に。
「と言うか旅行って……」
「実際はお前を連れ出すための口実だよ。……まぁ、旅行序ででもあるんだけどな」
「何で私なんですか?」
「件の中心人物だからだよ。……解ってるな? 貴族パーティーなんて目じゃねぇ程に礼儀は弁えろよ?」
「終始、ずっとにこにこしてますよ。前みたいに」
「お前、前みたいにって大臣殴り飛ばしたじゃねぇか」
顔を両手で押さえて肩を落とす彼に対し、スズカゼはてへっと片目を瞑ってみせる。
不安がとんでもない速度で加速していくゼルだが、メイアの命令に逆らうわけにもいかない。
「……何にせよ、お前は会議の場所に行かなきゃなんねぇ。その場には俺も行くしメイア女王もバルドも居るから、ある程度はフォローしてくれるはずだ。……メイア女王はどうかは知らんが」
「でしょうね。……その会議、他の国の首脳も来るんですよね?」
「当然だ。っつーか、もう来てる」
「えっ」
「南のシャガル王国のシャーク国王が行方不明だったんだよ。まぁ、もう来たからお前を呼んだ訳なんだが」
「行方不明て……」
「細かい事は突っ込むなよ。メイア女王やバボック大総統を見てればどんな連中かは大体予想が付くだろ」
「あぁ……」
「各国、お前含め首脳一人ずつに護衛が一人だ。後は例外としてネイクが説明係として居るぐらいか」
「って事は全部で十一人ですか。多いですね」
「だから粗相はすんな、っつったんだ。……もう時間だ。行くぞ」
髪先を掻き上げ、ゼルは大きく息をつく。
自身の精神を落ち着けるかのように、ゆっくりと確かな呼吸だ。
スズカゼもそれに習い、息を大きく吸い込んで吐き出した。
眼前にある扉の先には世界の四大国を統治する人々が待ち構えているのだ。
自分の行動一つで戦争になる場合もあるし自分が火種になる可能性もある。
だからこそ、何を言えどもゼルの言う通り貴族パーティーなど目ではない程に気を付けなければならないだろう。
「……行きましょう」
「おう」
ゼルが扉を押し、その部屋との境界線が取り払われる。
眼前より差し込む薄い光の中、スズカゼは目を細めながらも一歩前へと踏み出した。
四大国が首脳と護衛の十人が居る場所へ、世界の基点へと。
確かな足取りで、歩き出した。
「あら、スズカゼちゃんじゃない」
「あっ、お婆ちゃん」
「……あっ」
「あ。海で私に突っ込んできたドレッド男ォ!!」
「お前がスズカゼだったのか……」
ゼルは顔を両手で覆い尽くして硬直し、メイア女王は呆れ返ったため息を吐き、バルドは苦笑を零し、バボックは肘付きを叩きながら笑い転げ、イーグは視線を逸らして口端を落とし、ネイクはただ呆然としていた。
四大国の首脳が集まる世界の基点は、たった一人の少女によって茶飲み場のような安楽に覆われたのであった。
「それで、スズカゼちゃんが私の水着を選んでくれてねぇ」
「……ははっ」
スズカゼは愛想笑いしか返せなかった。
水着売り場で出会った老婆、フェベッツェ・ハーノルドに対して。
まさか、こんな呑気そうな老婆が北の大国、スノウフ国を纏める教皇などとは思わないだろう。
「そう思うでしょう? ダーテン」
「えぇ、全くですね」
そして、もう一人。
スノウフ国に所属する聖堂騎士にして四天災者[断罪]こと、ダーテン・クロイツ。
メイアやイーグと同じくして四大国大戦を生き残り、その身一つで天災を起こす程の力を持つという化け物。
「……」
だと言うのに、その姿と雰囲気からは[恐怖]という物を全く感じない。
それは彼の優しい表情や言葉遣い、そして彼の種族も関係しているのだろう。
純白の体毛と現世で言う所のシロクマのような体躯からも解るように。
獣人という、種族が。
「……ダーテンは獣人だ」
彼女の意図を見抜いたようにゼルは他に聞こえぬよう小さく囁いた。
スズカゼに前を向いたままで居ろ、と言葉を付け足し、彼は説明を続ける。
「フェベッツェ・ハーノルドは通名で、スノウフ国の初代国王の名前を教皇が受け継ぐ習慣になってる。だから、あんな老婆で男みてーな名前なんだ」
「なるほど……」
「そしてダーテンだが、奴は四天災者の中でも一番まともな奴だと思って良い。……[斬滅]は知らねぇがな」
「……強いんですか」
「獣人だろうが[四天災者]だ。強い弱いの次元じゃねぇんだよ」
彼はその言葉を最後に打ち切り、視線でスズカゼに前へと意識を戻すよう指図する。
彼女もそれに従って、未だ残る戸惑いを落ち着かす事も出来ずに視線を戻した。
「お前の水着なんざ誰が見たいっつーんだよ、クソババァ」
「あら、酷い事を言うのね? シャーク」
フェベッツェの嬉しそうな水着談義に対して横槍を入れたのは南国の王、シャークだった。
椅子とドレッドヘアを揺らしながら、その男は鮫が如き牙を鈍く光らせる。
「歳が歳なんだから水際で大人しく遊んでやがれ」
「私はまだ泳げるわよ?」
「へーへー、歳の割りに元気な事で。おいモミジ」
シャークの後方に立つ、紅葉色の長髪を持つ女性。
落ち着いた雰囲気を纏い、秘書という言葉がよく似合いそうな人物だ。
風通しの良さそうな絹地の衣服を纏った彼女はシャークへと小さく返事を返す。
「ウチの国で一番良い腕の装飾師に水着作らせろ」
「……はい」
シャークの声に呆れたような返事をして、モミジは席を外して退出していった。
護衛が居なくなっても良いのだろうか、と困惑するスズカゼだが、シャークは目聡くそれを見つけてにやりと笑んで見せる。
「ありゃ、モミジっつー奴でな。俺の妹だ」
「え!? あ、はい!」
「そう畏まるんじゃねーよ。こン中にゃ礼儀云々を気にする奴なんて居ねーんだから」
「シャーク。それでも一定の礼儀という物はあるんじゃないかな?」
「うるせーよ、バボック。礼儀弁えるなら、まずその腹に抱えてる一物を捨ててこい」
「はっはっは。それは無理だね」
「……チッ。まぁ、何であれスズカゼ・クレハ。モミジは護衛っつー名目で連れてきた妹だ。だから護衛じゃねぇし政にも関係ねぇ。要するに気にすんな、って事だ」
「はぁ……」
一通りの説明を終えた合図のように、彼は机上の茶を掴んで喉へと流し込む。
相変わらずの困惑の表情を浮かべながらも、スズカゼは説明への礼を述べて姿勢を正し直す。
今のシャークが自分へと言葉を向けたことから、やはり、と確信を持てた。
いつの間にか自分はこの空間の中心に立たされているのだ。
解りやすく言ってしまえば話の種にされている、と言った所だろう。
「おい、ババァ。ウチで信用してる行商人に送らせるから国境、通せよ」
「証明書を持たせてね? 私の国からも何か送るから」
「おう」
スズカゼが困惑している内に何故か一つの取引が終わり、談義の幕が下りる。
それを明確にするが如く、メイアは手を叩いて乾いた音を出した。
全員の視線がそちらに向き、呑気な空気は一瞬で剣呑な物となる。
「無駄話はそこまで」
スズカゼにもそれを感じ取る事が出来たのだろう。
周囲の空気が一瞬で白から黒へと変貌したのを。
「会議を始めましょう」
彼等の顔が一人の人間や獣人の物ではなく。
一国の王とその護衛になったのを。
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