突然の知らせ
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「……えーっとですね」
スズカゼは自室で、卵を抱えながら[魔炎の太刀]を片割れにただ呆然としていた。
訓練場からゼル邸宅に帰宅して、シャワーを浴びてから数時間。
今日も疲れたと卵を温める作業に戻った彼女だが、それが継続されることは無かった。
と言うのも、彼女が部屋には行って数十分もしない内にメイドが突入して来たからである。
開口一番、彼女が叫んだのはこうだった。
「旅行です!!」
困惑するのも無理はないだろう。
「あの、メイドさん? 何が旅行?」
「ゼル様がスズカゼさんの慰安の意味も兼ねて旅行に行こうと仰りまして。方々の方と一緒に旅行に行くことになりました!」
「ど、何処にですか?」
「リドラ様の別荘ですよ! あの方の別荘は海に面しているので、海水浴も出来ます!」
「……へ、へぇ~」
もう家の中で大人しく卵を温めていたい。
そう思うのは自分がインテリ派だからか。編集者希望だからか。
家の中で卵暖めながら本読みてぇ……、と遠目に望む彼女など露知らず。
メイドは慣れた手付きでスズカゼの着替えや日用雑貨などを旅行鞄に放り込んでいく。
「それって強制ですか……?」
「行かない場合はジェイドさん特性宿題を私と一緒に三徹で行います」
「是非とも行きましょう!」
そう言えば最近はジェイドの出す宿題など一つも手を付けていなかった。
色々と忙しかったし、散々な事も多く有ったので彼も黙認してくれているが、今やれと言われればその量は自分より高く積み上がっている事だろう。
「……って言うか、急ですね。出発はいつですか?」
「今日です」
「ホントに急ですね!? えっ、何で!?」
「実はサプライズで隠してたんですけど、出発の準備はどうするんだ? というジェイドさんの言葉で全てが瓦解しまして……」
「この計画性の無さよ……」
「メンバーとしては、ゼル様とスズカゼ様は当然としまして、ジェイドさん、ハドリーさん、ファナさん、デイジーさんにサラさんです」
「へぇ、結構行くんですね。……大丈夫かな」
「リドラ様の別荘は研究室にもなっていますし海辺の人の居ない場所なので充分ですよ。一人では広すぎると愚痴を零していましたし」
考えて建てろよ、という心の中でのツッコミは置いておいて。
いきなり旅行と言われても困るし、用意はメイドがしてくれるとしても自分は水着を持っていない。
そもそも、この世界の水着というのはどんな物なのだ?
衣服とかの質感は自分が居た頃の世界と大きく変わらないが、水着は解らない。
と言うか、そもそも水着という概念があるのだろうか?
「……あの、水着とか」
「ありますよ。スズカゼさん用に作ってます」
「作ってんの!? どうなっちょるん!?」
「素が出るほど驚かれても……。いえ、前にパーティーでドレスを作ったでしょう? その時に測ったサイズを参考にしたんです」
「なるほど。……あ、でも大丈夫ですか?」
「何がでしょう?」
「あの時と比べて胸のサイズが5ランクぐらい上がってるんですが……」
「えっ? あ、はい。はい。……はい!」
「笑えよオラァ!!」
少女の悲痛な叫びが邸宅内に響き渡った頃。
その階下では彼女の絶叫を気のせいかと言い合いながら安物の珈琲を啜る二人の男の姿があった。
鉄の腕と漆黒の体毛を持つ彼等はため息混じりに珈琲を啜っては、またため息をつく。
そんな事を既に数十分と繰り返している。
「上がうるさいな」
「貴様が突拍子もない事を言い出すからだ」
「嫌いか、旅行」
「嫌いではないが、好きでもない」
「際で」
短い言葉の応酬の後は休息だと言わんばかりに、彼等は再び珈琲を喉へ流す。
安っぽく苦々しい味は彼等に安息など与えてくれないが、落ち着きだけは与えてくれる。
尤も、今その落ち着きは目を逸らしたい事実を明確に浮かび上がらせる物でしかないのだが。
「……本気か」
「本気だ」
「貴様も彼女も、本気か」
「本気だ、っつってんだろ」
「……何故、俺だけに知らせる」
「いざって時に役に立つ奴が内情知ってた方が都合が良いんだよ」
ジェイドは呆れ返ったように背を仰け反らせ、天井を仰ぐ。
この男が言っている事が解らない訳ではないのだが、それでも自分が巻き込まれるのかと思うと,何とも言えない感情が湧き上がってくる。
……尤も、今、自分がこんな感情を持っている原因はそれだけではないのだろうが。
「それで、姫はどうなのだ」
「……どうもこうも、なぁ」
「実際の所、それを明確に感じ取ったのは貴様だけだろう。話してくれなければこちらは何とも言えん」
「話せってか? 今まで人も殺せなかった小娘が自分を殺そうとしてきた事を?」
「……確かに姫は誰も殺した事はない。我々が知る限りはな。だが、彼女は今まで何度も屍を見ているし、目の前で人が死んだこともあった。だが、狼狽える事は無かっただろう」
「知ってるか? 生き物ってのは見るに堪えないモンを見てなかった事に出来るらしいぜ」
「知っているとも。……今の言葉が気休めでしかない事は」
「……どうしろ、ってんだ。あんなのはよォ」
ゼルはただ、頭を抱えるばかりだった。
彼から相談を受けたジェイドもそうだ。的確な返事など返せるはずがない。
スズカゼの豹変は身近に居る彼等だからこそ、大きい。
「それで、その旅行とやらは危険はないのか」
「言い切れねぇよ。安寧の為に火の中に飛び込むんだからな」
ジェイドは彼の言葉に反論しなかった。
いや、自分もそれを許容したのだから出来るはずもない。
「……そうか」
ただ、今出来るのは同意のみ。
それしか自分に手を出せる領域は無いからだ。
「苦いな。珈琲」
「あぁ」
彼等の口内に残った苦みは、喉奥へは流れてくれない。
飲み込もうともしないから、出来ないから、流れてはくれない。
それが当然だと彼等は知っていても、許容は出来ない。
出来るはずは、ない。
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