模擬の場
【サウズ王国】
《第二街南部・第一訓練場》
「あら、デイジー」
いつもの柔和な笑顔と優しい声。
彼女は沈んだ表情で訓練場に来たデイジーを温かく迎えるように、声を掛けた。
彼女はいつも真っ直ぐが故に、小さな失敗でも落ち込んでしまう。
最近はスズカゼの件で酷く落ち込んでいたのだ。
確かに、これは小さな失敗では無いのだが、彼女はスズカゼが死んでしまったと思い込んでおり、幾ら言っても聞かないので放置していたのである。
先程、スズカゼが帰ってきていると聞いて全力で走り去っていった彼女だが,あの様子だとまだ勘違いしたままか、会えなかったのだろう。
「どうしたのかし……ら……」
だが、彼女のそんな気遣いは一瞬で吹っ飛ぶこととなる。
トボトボと肩を落として歩いてきたデイジーの後ろに着いてくる、初老の男性。
西の大国、ベルルークが長、バボックの姿を見て。
「……えっ」
取り敢えず、出た感情は驚愕だった。
確かに西の一団が来た、という情報は耳に入っていた。
けれど、それも少人数だし、大した事はないだろうと思っていたのだ。
それが見てみればベルルークの長が来ているではないか。
本来ならば国を挙げての歓迎をすべきだというのに、その人物を連れて来たのはただの騎士であるデイジー。
サラはもう何が何だか解らない状態に陥っていた。
「ふむ、ここかね」
「ここが我が騎士団最大の施設を誇る訓練場だ」
と、そんな困惑するサラに追い打ちを掛けるが如く、バボックの背後からぬっとゼルが姿を現す。
続いてネイク、スズカゼだ。
第三街領主に騎士団長まで来ては騎士団の面々も騒然としない方がおかしいだろう。
ある騎士は急いで武器を仕舞って身形を整え、ある騎士は呆然としたまま立ち尽くし、ある騎士は何かの見間違いだろうと構わず訓練を続け、ある騎士は何も見なかったと言わんばかりに訓練場から出て行っている。
サラはその中の呆然と立ち尽くすそれだったのだが、ゼルは彼女に気付くなりデイジーを連れて行け、と視線で合図した。
「で、デイジー。こちらに来てくださるかしら」
口元を引き攣らせながらもいつもの笑みを絶やさず、サラはバボックに一礼すると共に、強引にデイジーを引っ張っていく。
ゼルは爆弾が身近から撤去されたのを喜ぶように、微かに頬端を緩ませた。
だが、幾ら爆弾が撤去されたからといって既に爆発は起こったような物。
全てが吹き飛んだ爆心地の上で爆発が起きても、正しく今更でしかないのだ。
「おや、あの子は何処に行くのかな?」
「デイジーは訓練途中で抜けてきたみたいなんで、訓練に戻りました」
「そうか、それは残念だ。私は彼女のような正直者は好きなんだがね」
「……それは何よりです」
扱いやすい人間が好きなだけだろうが、と心の中で毒突きながら、ゼルは武器庫へと歩を進めていく。
[魔炎の太刀]を使う事が条件のスズカゼならともかく、彼は本来の武器を使う訳にもいかない。
なので訓練用の、安物の剣を持ち出すのだ。
「大総統、こちらに」
機を見計らってネイクはバボックを物見席へと連れて行く。
本来、そこは新参者が古参の者達の訓練を見学する場だが、流石に新参物達も大総統に席を譲らない訳にはいかず、そそくさと退散していく。
バボックは一緒に見ないのかい? と若い騎士に声を掛けたが、その騎士はひっと声を上げて必死に頭を下げ、さっさと逃げていった。
「……嫌われているのかな、私は」
「立場を弁えてください」
「手厳しいね」
苦笑するように小首を傾げ、バボックは懐から煙草を取り出した。
ネイクは目にも留まらぬ速度でそれを取り上げ、自らの懐に仕舞う。
不満そうに眉根を寄せるバボックだったが、戒めの事を思い出して仕方なく肩を落とした。
「…………むぅ」
と、そんなベルルーク勢の様子を見ながら、スズカゼは片眉を吊り上げる。
彼女は未だバボックの意図を察する事が出来なかった。
イーグが自分の与えた物を使いこなせているかどうか、というのは解る。
何故なら彼は自分の体質を、[霊魂化]を知っているからだ。
だからこそ武器の使いこなしを調べておかなければ、自分の与えた物が不相応だったかどうかが解らない。
だが、バボックはどうだ?
[霊魂化]を知らないはずの彼が、どうして自分に興味を持つ?
まさか、あの問答の成果を見ようとしているとでも言うのか?
あの思い出すも悍ましい、問答と地獄の景色を。
再び見せろ、と。そう言っているのか?
がちりっ
スズカゼは自分でも気付かぬ内に[魔炎の太刀]を強く握り締めていた。
それが怒りによる物なのか恐怖による物なのかは、彼女自身にも解らない。
ただ、彼女は内心にただ一つの柱にして、ただ一つの焔を灯していた。
「……強くあれ」
誰が言ったのか、いつ言ったのか。
そんな事はもう、彼女の中で疑問のそれとして存在していない。
ただ強くあれ、と。そうならなければならないーーー……、と。
或いはバボックの姿を見たからこそかも知れない。
何かを守る為には力が要る。そして、力を持っているのならば、それを迷わず行使せよ。
それこそが人間。それこそが戦人だ、と。
「待たせたな」
彼女が決意を再確認すると同時に、ゼルが奥の武器庫から姿を現す。
いつも通りの軽甲冑を身に纏い、その手には鉄のみで作られた摸擬専用の刃。
然れど、その双眸には確かな戦意がある。
「……始めるぞ」
「はい」
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