剣の腕を望みて
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「……と、以上が我々が結ぼうとしている条約の内容です」
全てを喋り終えたネイクは席に座り、一息ついて紅茶で喉を潤す。
かなり長く話したので少し息切れしているようだが、顔色を変える事はない。
話慣れている、という事だろうが、それは彼の普段からの苦労を指し示すようだ。
「ご苦労、ネイク少佐」
「……恐縮です」
「話は解ったがよ。それを信用しろ、ってか?」
「判断を下すのは君ではないさ。メイアウス女王だ」
一口。
香ばしい紅茶を口に含み、バボックはそう断言する。
確かにその通りだ。条約の締結を決めるのはゼルではなくメイアだ。
この場にバボックが来たのは、本当に彼の言う通りスズカゼに会いに来たという事だろう。
本人からすれば非常に複雑な物ではあるのだが。
「まぁ、スズカゼ君が元気そうでなによりだよ。イーグも気にしていてね」
「[魔炎の太刀]の調子はどうか、という言伝を預かっています」
「……え? あ、えぇ、まぁ」
どうにも心地よく返事をすることが出来ない。
当然だ。[魔炎の太刀]の、太刀としての部分なら使えていても、まだ使いこなせているわけでは無い。
あの刀がただの切れ味の良い名刀でない事は解っている。
だからこそ、未だ使いこなせていない刀について調子がどうだ、と言う訳にもいかないだろう。
「お恥ずかしい話……、まだ使いこなせては」
「おや、そうなのかね? 君の技術は相当な物だと聞いていたから、疾うに使いこなせていると思っていたんだがね」
「……そ、それは失敬しました」
目元をひくつかせながら、スズカゼは頭を下げる。
ベルルークの一件からバボックはどうにも苦手だし、彼の言葉の一つ一つが嫌みたらしく聞こえてしまう。
いや、隣のゼルも奥歯を軋ませている所を見ると、事実、嫌味なのだろう。
……尤も、デイジーは相変わらず恐縮してしまって縮こまっているのだが。
「何、畏まらなくて良いよ。別に責める訳じゃないのだから」
責めるじゃなくて嫌味でしょう。
そう言えばどれほど楽だろう、とスズカゼはにこやかな笑顔を作りながら思案する。
ゼルは何かを言いかけたようだったが、バボックの後ろで怯えるメイドの姿を見てどうにか口を噤む。
「……あぁ、そうだ。この国に演習場はあるかね?」
「ありますが、何か?」
「ネイク、君は確か剣術の覚えがあったよね」
「えぇ、まぁ。……所詮は学術レベルですが」
「スズカゼ君と模擬戦をして見てくれないかな」
それは突然の提案だった。
確かに正式な決闘でもないし、ネイクの獲物は双銃だ。
もしスズカゼと戦って負けたとしても自らの土俵の話ではないのだから、特に問題はないだろう。
まぁ、プライドの話なども絡んでくるだろうが、ネイクはそれを気にするような人間でもあるまい。
と言っても、流石にこんな突然の提案を呑むわけにはいかないだろうが。
「そ、それは」
「お断りします」
だが、そのバボックの提案をまず断ったのは何とネイクだった。
スズカゼやゼルだけでなく、バボック自身も流石にこれを予想していなかったのか、驚きを隠せない表情だ。
「何故だね?」
「私の剣術など訓練兵のそれです。流石に為す術無く負けるのは、普通に負けるよりも男としてのプライドが許しません」
「上司命令だとしてもかい?」
「こんな国外で他に誰がその命令を証明するのですか」
彼のそんな言葉を聞いて、ゼルはメイドに視線を送る。
始めは何の事か解っていなかったメイドだが、彼が首で指示したのを理解したのか、奥の部屋へと入っていった。
そんな事は知らないバボックは命令を聞かない部下にため息をつきながら、スズカゼに苦笑を見せる。
「ザマ……、私がネイク少佐さんに勝てるなど、そんな」
「うん、今出かけた本音については目を……、というか耳を閉じよう。しかしまぁ、実際は君が元気なのとイーグの言伝を確かめに来たわけだからね。是非とも剣術のそれは見ておきたいんだけど」
「そうは申されましても、実は私、激しい運動が……」
「え? スズカゼ殿、先程は訓練がどうとか……」
デイジーがそれを失言だと気付くのに、そう時間は要らなかった。
まぁ、阿修羅が如き憤怒の面を二つも向けられれば当然とも言えるだろうが。
彼女は緊張故にぽろりと零してしまったのだろうが、もう取り返しの付くことではない。
「おや、スズカゼ君はどうにも謙遜が過ぎるね」
そんな嘘が通用するとは思わない事だ、という言葉が聞こえてきそうなバボックの笑み。
彼の嬉しそうな表情とは裏腹に、スズカゼとゼルの憤怒の表情は益々酷くなりデイジーに向けられる。
「……無理強いはよくありませんね、大総統」
「いや、これは[お願い]ですよ。ネイク少佐、私は君の言った通り他国に来た客人でしかない。だから、この言葉には何の強制力もない」
彼は自身の立場を理解した上で話をしているのだ。
言うなれば王の戯れ、言うなれば王の無茶振り。
これを断っても大したデメリットはない、とは言い切れないのだ。
この場で何もなくとも後に亀裂を生むかも知れない。何かあるかも知れない。
相手が西の大国、ベルルークの長である以上、迂闊に断りを入れる訳にはいかないのである。
「……だけど、相手が」
「何ならウチの兵士から出そうか? ……あぁ、けれど、所詮は訓練兵程度かな」
このまま主導権を握らせる訳にはいかない。
バボックの事だ、とんでもない事を言い出したとて不思議ではないだろう。
会話の主導権を取り返すべくゼルが口を開くが、ここで再び爆弾が爆発する事となる。
「では、我が騎士団長がお相手します!!」
それを言ったのは当然のことゼルではない。
先程の失言を取り戻そうと自信満々に胸を張ったデイジーだった。
確かにサウズ王国の騎士団長ならばスズカゼ相手に力加減も自由自在。
これは名案だ、と彼女は瞳を輝かせてそう述べたのである。
「ほう……? それは随分と挑戦的だね」
「え?」
きょとん、としたデイジー。
魔王が如く殺意の眼光を唸らせるゼル。
私は知りませんよ、薄ら長く目を細めるネイク。
もう笑うしかねぇと遠い目をするスズカゼ。
「それはつまり、ゼル・デビットが敗北すればこの国の騎士団はその程度と指し示す事になり、スズカゼ・クレハが敗北すれば我が国の好意を未だ使いこなせない腑抜けだと指し示す事になる訳だが……。うん、中々に挑戦的だ」
つまりは、そういう事だ。
スズカゼが勝ってもゼルが勝っても。
この勝負は無意味で悪辣な結果しか生まないのである。
「うん、ここまで思い切りの良い人間は久々だ。お嬢さん、どうか案内していただけないだろうか」
バボックの笑顔と反比例するようにデイジーの表情は段々と青ざめていく。
もう何を言っても時既に遅し。スズカゼもゼルも仕方なく腹を決めて席から立ち上がった。
「ゼル騎士団長殿」
と、そんな中でネイクがゼルに手招きする。
彼は懐からベルルーク産の煙草を取り出し、ゼルの懐へと差し込んだ。
「気苦労、お察しする」
ゼルが苦笑すると同時に、いつの間にか彼の隣にはメイドが戻ってきていた。
その手には高価な茶菓子であるマシュールが持たれている。
「お互い様だ」
彼はネイクの手にマシュールを置いた。
二人は互いに顔を見合わせ、苦笑と共に深いため息をつく。
そして、遠慮の無い上司と思慮の無い部下を追って部屋を出て行くのだった。
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