彼女と少女
【サウズ王国】
《第一街中央部・王城西門》
「……ん?」
西門から出て来るバルドと擦れ違いに、王城へ入っていく漆黒の衣を纏った男。
バルドは振り返って彼等の後ろ姿に視線を向け、微かに首を傾げて見せる。
男はそんな彼に気付くことなく、門を潜り抜けて王城へと消えていった。
「今のは?」
バルドの質問に門番の兵士はメイア女王への客人です、と言葉を返した。
彼はへぇ、と大した関心も無いように生返事を零す。
だが、優し気なその表情の奥底には、何処か冷徹な光が灯っていた。
「あの人がねぇ……」
「如何なされましたか?」
「いや、別に。珍しい客人も居るんだな、と思っただけだよ」
「そうですか? 私には別に変わった所は……」
「いやいや、別に良いんだよ。何も問題なければね」
バルドは門番の兵士に笑いかけ、その笑みのまま回れ右して歩き去って行く。
兵士は特別、疑問を抱くこともなく敬礼を行って後ろ姿を見送っていた。
ただ、もしこの場にゼルが居たのならば。
彼の笑みを見て、背筋を凍らせていただろう。
その仮面のように張り付いた笑みを見て。
《第三街南部・空き地》
「……この計算結果は?」
「……2?」
「4だ」
一方、こちらは相変わらずのファナと獣人の少女が居る第三街南部の空き地。
いや、相変わらずと言っても二人の関係は何処か変わっていた。
何処かと言えば明確に解るのだが、それでもファナの表情は依然として嫌々な物である。
「どうしてこんな基本的な計算も出来ない? 今時、第二街じゃ赤子でも出来るぞ」
ファナと少女が行っていたのは、スズカゼがもう習い終わったような非常に簡単な計算だった。
だが、極度の獣人嫌いであるはずのファナがどうして少女に計算を教えるなどという事を行ってるのか。
それは単純に彼女が少女に根負けしたからだ。
少女は何度追い払っても引っ付いてきて、助けられた事の礼を言ってくる。
そこまではまだ良かったのだが、助けた事はもう良いと少女に断ったときにうっかり自分が王城守護部隊副隊長である事を言ってしまったのだ。
幾ら貧しい第三街の住人でも王城守護部隊は知っている。
そこから、少女が引っ付いてくる理由がお礼を言う事から、ファナへの興味へと移り変わってしまった。
そのせいで前よりも頻繁に空き地に来るようになり、やがてファナは自分の過去を話したくない勢いから、どうしてだか勉強を教えることになってしまったのである。
尤も、少女がファナに向けている眼差しの本質はやはり変わってはいないのだろうが。
「……頑張る」
「…………はぁ」
ファナは呆れ果てた、と言うよりはむしろ疲労し切ったようなため息を漏らす。
常識的な勉強を教えることが、どうしてこうも難しいのか。
彼女が今教えているのは掛け算なのだが、少女はどうにも覚えが悪い。
第二街ならば彼女は今頃、もっと難しい計算を習っている頃だと言うのに。
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「何だ」
「どうして、男の人みたいな喋り方するの?」
少女の質問に、思わずファナは口端を下げてムッとした表情を作り出してしまう。
と言うのも少女に対して不快感を抱いたから……、ではない。
今までの自分ならば関係ないだろう、と一蹴するはずだった。
だが今、自分はそう言おうとしなかった。
それどころかこの喋り方の理由を話してしまいそうになった程だ。
表情を歪めた苛つきの矛先は自分。
こんなに甘くなってしまった、自分なのだ。
「……お姉ちゃん?」
「そんな事よりも、早く計算しろ。私の内情など、どうでも良い」
「はっ、はい!」
少女は背筋をしっかり伸ばして、地面に描かれた計算式を必死に解き始める。
その必死な様子と、それを眺める女性の様子は如何にも教師と生徒だ。
もし違うのならば、教師は15という非常に若々しい年齢だという所だろうか。
「…………」
そして、その授業を参観しているのが第三街領主と王国騎士団長、と言った所だろう。
ファナは彼の存在に気付くなり、暫しの静寂の中に意識を閉ざした。
だが、そんな場合じゃないと自己完結した彼女は取り敢えず魔術大砲を放つべく、掌に魔力を収束させ始めた。
「「待て待て待て待て待て待てストーーーップ!!」」
「貴様等、何をしている」
「貴女の方が何しとんの!? この街吹っ飛ばす気かいな!?」
「見ろ! スズカゼがよく解らん喋り方をするほど切れてるぞ!! 良いから止めろ!!」
「……お、お姉ちゃん、街、壊すの?」
「……チッ」
皆からの非難囂々、と言うよりは非難恐縮を浴びてファナは舌打ちしながらも掌に収束した魔力を散開させる。
流石の彼女も理由無しに街一つを吹き飛ばしたりはしないだろうが、それでも暴動の一件がある。
スズカゼとゼルの脳裏に過ぎった光景は嘸かし恐ろしい物だったに違いない。
「……本当に、何をしに来た? まさかデートでもないだろう」
「こんなまな板娘、誰が好くか」
「ブチ殺すぞ」
「冗談です。……いや、俺達は空き地に居座ってるホームレスが最近のところ少女を連れ込んでるって話を聞いたから、見に来ただけなんだが……」
「……勉強、習ってるの?」
「お姉ちゃん、色々知ってるから……」
「……へぇ~~」
ニヤニヤと口元を緩め、ファナに暖かい視線を送るスズカゼ。
彼女に対して魔術大砲が放たれるまで数秒前である。
「冗談! 冗談だから!!」
「……フン。その件に関しては、この少女が勝手に私の所に来ているだけだ。誘拐や脅迫ではない」
「そりゃ良い事なんだが……、なぁ」
ゼルは言葉を濁すように、少女へと視線を向けた。
彼の視界に映るのはスズカゼと共に、木の棒で地面に書かれた計算式を必死に解く少女の姿。
頭に獣の耳を持つ、少女の姿だった。
「……ファナ、ちょっとこっちに来い」
ゼルは彼女を呼びつけて、スズカゼに少女の相手をするよう視線で合図した。
それを察してかどうかは解らないが、ファナは何も言わずにその場を立って空き地の奥へと向かう。
そんな彼女の後について、ゼルもその場所へと歩いて行った。
「どういうつもりだ?」
「何が」
「あの少女だ。お前は極度の獣人嫌いだろう」
「……別に」
「まぁ、変化があるのは良い事だけどよ……。それよりも、お前に聞きたい事がある」
「……何?」
ゼルが第二街の朝市で起こった事件について聞こうとした瞬間だった。
ドゴォオオオオオオオオオオォンンンッッッッ!!
ゼル達が会話を打ち切り、その音源に視線を向けるには充分過ぎるほどの、爆音。
それは周囲を覆い尽くし、静寂と住宅街の閑静を切り裂いていく。
ゼルとファナはその爆音が鳴り終わるよりも前に走り出していた。
互いに交わす言葉はない。交わす視線もない。
だが目指す場所は一つ。
「あの方向はーーーー……ッ!!」
呆然としたスズカゼと少女を置き去りにして、二人はその場所へと走り出していた。
ファナが本来向かうべき場所であり、ゼルが居を構えていたその場所。
そう、ジェイドとハドリー、そしてリドラとメイドが居るはずの、邸宅に、だ。
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