暢気な日の元で
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「……うーん」
ゼル邸宅の、スズカゼ私室。
そこで彼女は真っ白な布団にくるまりながら、胸中でそれを抱え込んで居た。
白と紅が混じった斑色の大きな卵。
彼女がイトーから授かった、何が生まれるか解らない不明の卵だ。
それでもこの卵から生まれる何かを楽しみに、彼女は待ち望んでいるのだ。
「何が生まれるかなぁ~……」
この世界の生物について、自分は余り知らない。
精々が図鑑で見た物ぐらいだろうか、後は獣車を引く獣など。
まぁ、端的に言ってしまえば知識が足りない。
前まではジェイドによる学習などを受けていたが、最近は天手古舞いのせいでそれも出来ていない始末だ。
いや、と言うよりは自分で逃げているのだが。
昨日、ジェイドに挨拶しに言ったときも彼の安堵の笑みを見てから、次の話題を出される前に逃げ帰ってきたのである。
何故なら、彼が手に持っていた大量の紙束を見逃さなかったからである。
「……まぁ」
この世界の言語も殆ど読めるようになってきたし、第三街の民にも顔を覚えられるようになってきた。
それ所か、何故か第一街の貴族も第二街の民にも自分の顔が覚えられている始末である。
……やはり大臣を蹴り飛ばしたのは色々マズかったのだろうか。
コンコンッ
「おーい、スズカゼー」
卵を温める彼女の思案を遮ったのは、扉のノック音とゼルの声だった。
この国に帰ってきてから既に数日が経っているが、挨拶に行ったのはジェイドとメイアウスぐらいの物で、その後は帰ってからすぐに就寝したためにゼルとはろくに話をしていない。
彼が忙しかったという事もあったが、何より自分が疲れていたためだ。
「何ですかー!」
「卵の美味い調理法聞いてき」
扉を突き破り、見事なドロップキックがゼルの顔面に突き刺さる。
その騒音を聞きつけたメイドが気絶したゼルを回収するのは数分後の話である。
「……えーっと、だな」
顔面に真っ赤な靴跡をつけたゼルは頬杖を着いてため息をついた。
そんな彼の前にメイドは蒸しタオルを置き、ゼルはそれを顔に押し当てる。
鈍々しい痛みが彼の顔から引いていき、靴跡もゆっくりと消えていった。
「痛い」
「すいません……、ついカッとなって。反省してませんから」
「しろよ!!」
「私はあの卵育てる決めたんや! 絶対に食わせんけぇなぁ!?」
「解った! 解ったか静かにしてくれ!!」
相変わらずぎゃあぎゃあと言い争う二人を見て、メイドは微かに優しい笑みを浮かべる。
彼女はスズカゼが狙撃されたと聞いて、気が気では無かったのだ。
ベッドに伏した彼女の姿を見るのも心苦しかった。
だが、今、スズカゼはこうして元気に声を上げている。
それが何よりも嬉しくて、有り難い事だというのが再認識できた。
「で? お前、どうするんだ」
「……そうですねぇ」
言い争いが終わった二人は、先程までの喧騒が無かったかのように会話を開始する。
この切り替え具合は何とも見事な物だ、とメイドは苦い笑みを浮かべてみせた。
「暫くは激しい運動は駄目って言われてますし、取り敢えず訓練だけでもしようかと」
「言葉の前後が矛盾してるぞ、おい」
「あぁ、いや、模擬戦とかではなくてですね。普通に素振りとか打ち込み……、誰かに立って貰って一方的な訓練とか」
「……そう言えば、お前の剣技は中々見なくなったな」
「近頃は他国に行ったりパーティーに行ったりでしたからね。そろそろ腕を慣らさないと鈍っちゃいそうで……」
「って事は、暫くは訓練でもするつもりか?」
「えぇ、まぁ。メイア女王も暫く仕事は入れないで置いてくれるそうです」
「流石にここで仕事なんざ入れられたら鬼なんてレベルじゃねぇな。……いつまで訓練して過ごすつもりだ?」
「取り敢えずはリドラさんが帰ってくるまで、ですかねぇ」
そう、サウズ王国お抱えの鑑定士であるリドラは今、この国に居ない。
元より一時国外追放の命が出てはいたが,その期間は疾うに過ぎているにも関わらず、だ。
理由としてはナーゾル大臣の異議申し立てにより、メイアウス女王が仕方なく彼の刑期を伸ばしたことにある。
とは言っても、実際の所はリドラは喜んでそれを受け取った。
少し長めの休日だと思えば良い、という気楽な言葉を残し、彼は今頃、南国の方面にある小さな別荘で過ごしているはずだろう。
ゼルがこれを聞いて羨ましそうに舌打ちしたのは言うまでも無い。
「ったくよぉ、何でアイツには休暇で俺には……」
「大臣殴り飛ばせば良いんじゃないですかね!」
「俺の首跳んでお前の住処無くなるけど、それでも良いなら」
「冗談です」
彼等は会話に一息を着き、メイドの淹れた紅茶を口に含む。
香ばしい薫りと上品な味わいが鼻先を突き、喉かな味が喉を潤す。
思わずため息が出てしまうほど美味なそれは、彼等の心に安らかな平穏をもたらせた。
「……はぁ」
外で獣人や人の子供達が遊び回る声と、空を舞う小鳥の囀りが耳に心地よく鳴り響く。
何とも暢気な日の元の午前中だ。思わず眠くなってしまうほどに。
今まで散々な事があった。それらは等しく辛かったが、それでも、こんな日を迎えられたのだから、今ぐらいは忘れても良いだろう。
暖かな陽気と喉かな雰囲気。
スズカゼは思わずうつらうつらと眠気を覚え始めていた。
「スズカゼ殿ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
だが、そんな彼女の眠気を遮る絶叫が一つ。
不快そうに酷く眉根を歪めた彼女はその大声の方へ視線を向け、それを瞳に映した。
そう、この世の物ならざらぬ何かを見たように酷く怯えた様子で土下座する、デイジーの姿を、だ。
「私共の力不足のせいで御守り出来ず、申し訳ありませんでしたぁああああああああああああ!!」
「ちょ、うるさ」
「ですがぁあああああ! 我が一族全財産を掛けてでも全力で貴女様を供養しますのでどうかお許しをぉおおおおおおおお!!」
「いや、生きてますか」
「どうか御成仏してくださいませぇえええええええええええええええええええええええええ!!」
「聞いちゃいねぇぜ、おい」
「お願いしますぅううううううううううううううううう!!」
「ゼルさん、貴方の部下でしょ。どうにかしてくださいよ」
「幽霊の頼みはちょっと……」
「張っ倒すぞアンタ」
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