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獣人の姫  作者: MTL2
森の魔女
141/876

闇の水面に映る二つの影

暗い。

この景色には、見覚えがある。

今まで何度か見た事のある、景色だ。

真っ暗で何も無い水面に自分は立っていて、その前から何かが迫ってくる。

初めて見たときは酷く慌てた物だけれども、今となっては何とも思わない。

もう既に何十、何百、何千、何万と見続けた、この景色に驚きはないのだ。


ぴちゃんっ


水面に雫が落ちて、鏡のようなそれに波紋を作り出す。

静寂を打ち崩すそれは、彼女にとって違和感を生む物だった。

眼前より迫り来る[何か]が、来ないのだ。

いや、こう言っては言葉に語弊があるだろう。

眼前より迫り来る[何か]が途中で止まって、それきり動こうとしないのである。


「動かないだろう」


いつの間にか、何十、何百、何千、何万と繰り返してきた[それ]に居なかったはずの、その人物は隣に居た。

自らの二倍はありそうな巨躯に丸太のような手足。

彼の渋みを含んだ声と、腰元で揺れる束髪には覚えがある。


「……オロチ」


「悪いのぅ。邪魔しているぞ」


「どうして、貴方が……?」


「何、今は壁が薄いから乗り越えてきただけのこと。普段ならば乗り込めぬよ」


質問の答えになっているようで、なっていない応答。

スズカゼは心の何処かでそれを感じ取ったのか、嫌悪気味に眉根を寄せる。

オロチは彼女の反応に対して、それを抑えるように掌を向けた。


「……阿呆め。こんな所に囚われおって」


「どういう意味ですか? ……こんな所に、って」


彼女の言葉は、そこで止まる。

こんな所に、何だ?

そもそも、ここは何処だ? 自分はどうしてこんな所に居る?

いや、違う。

自分は今まで何処に居た? ここではない、何処に居たのだ?

本来居るべき場所はここだ。ここが、自分の居場所のはずだ。

では、自分は一体、今まで何処にーーー……?


「ならんぞ、スズカゼ・クレハ」


彼女の思考を阻止したのはオロチだった。

重圧を掛けた訳でも、拳や脚を震った訳でもない。

ただ悲しそうに、ただ呟いて。

たった、それだけの事だった。


「ならん」


「……どうして、ですか?」


「ここは御主の居るべき所ではない。そう思い込んでいるだけだ」


この懐かしさも、暖かさも、美しさも。

全て、嘘だというのか?

彼は、これが全て嘘の存在だと言うのか?


「目を覚ませ。御主の目指すべき場所はそこではないだろう」


スズカゼの眼前に広がる、二つの光。

酷く悍ましく恐ろしいそれは、彼女を飲み込むように煌々と輝いている。

しかし、スズカゼはそれを愛おしそうに、ただ惚悦の表情で見詰めていた。


「それは闇の道ぞ」


「……ここは、何処ですか?」


「境界、心の中、命の終焉、地獄、天国、冥界、異世界……。名称は幾らでもある」


この世界のように無限の名称がある、と彼は言葉を付け足した。

確かに、この世界は何処までも無限に続いているように見える。

果てなどない、無限の闇に。

その闇が何処までも続くように、名称も何処までも続くほどあるという事だろう。

それはつまり、この空間が全ての中に存在する故に存在しない物である事も示す。


「……私は何処に居るべきなんですか」


その問いは心から望んで出した物では無い。

義務感だとか予測感だとか、そんな、得に理由もなく形式的に出した物だ。

その答えが何であれ興味も無く、従う気もない。

自分が居るべき場所はここだと信じて疑わないから。

彼女は既に、それを違和感としてすら感じていないのだ。


「御主が居るべきなのは××の世界で、××の国で、××の邸宅だ。尤も、今は聞こえないだろうがのぅ」


「……聞こえませんね、確かに」


「御主は長く、いや、深くここに居過ぎた。本来ならば扉に触れるだけだと言うのに、こうして足先まで沈めおってからに」


呆れ気味にそう述べたオロチは、スズカゼの片手をがっちりと握り掴む。

彼は間髪入れずにスズカゼを一気に引っ張り上げ、水面から足を引きずりだした。

スズカゼからすれば、その感触は酷く不快で恐ろしくて、苦痛を伴う物だった。


「あづッ……!?」


「我慢せい。ここに居続ければ闇に蝕まれ、消え失せるのみだ」


彼女は苦痛を放つ自らの足を見て、驚愕と恐怖に染まった、短い悲鳴を上げる。

そこには千切れて、消えてしまったかのように足が無かったのだ。

これでは、まるで幽霊では無いか。


「これ、は?」


「一部が呑み込まれたのだ。……本来ならば既に呑み込まれていようが、××との確かな繋がりがあったが為に、耐えることが出来たのだろう」


オロチの視線の先、闇の水面に浮かぶ一対の刀剣と白色の光。

一対の刀剣はベルルーク国で与えられた[魔炎の太刀]と、嘗て自分が使っていたただの木刀。

そして、白色の光は、ただ煌々と輝く存在だった。


「これが繋がり……?」


「武と情、と言った所かのぅ? 今の貴様を支える物だ」


「武と情……」


彼はそうは言うが、自分にそれらの見覚えはない。

一対の刀剣は、一対という事は解れども、どうして一対なのかは解らない。

そもそも木刀と真剣だ。自分はそれをどうして一対だと思ったのだろうか。

全く違う存在の、それらを、どうして。


「はぁ、全く。世話の焼ける小娘よのぅ」


オロチは困惑するスズカゼの頭部を、大きな手で掌握する。

掌だけでも彼女の頭ほどもある、大きな手だ。

それをどうするのかと小首を傾げた彼女は、直ぐさま驚きに目を見開く事となる。


「耐えぇよう?」


にやりと笑んだ彼は、折り曲げた中指を親指で押さえつけている。

拳にも似た、その掌と、押さえつけられた中指が示すのは一つ。

デコピン、である。


バチィィンッッッッ!!


凄まじい、それこそ壁に水風船を全力で叩き付けたような音。

音からも解るように、とんでもない威力のそれを受けたスズカゼはその場で二回転、三回転と吹っ飛ばされる。

水面を激しく揺らしながら漸く止まった彼女は、額を抑えながらその場を転げ回った。


「おづっ……! ぬ゛ぅーーー……!!」


激痛に悶えながら、スズカゼはそれを逃がすように足で水面を何度も蹴り飛ばす。

とは言っても水面が蹴り飛ばせるはずもなく、無様に波紋が広がっていくだけだ。


「んぁっ……! れぇ……!?」


気付けば、いつの間にか足が生えていたのだ。

比喩では無く、正しく足が出て来たのである。

原因と言って思い当たるのは先程の[アレ]しかないだろう。


「な、に、をしっ……!?」


「儂の魔力をくれてやった。一部だがな」


身体の奥底にある燃え上がるような[それ]の感覚。

懐かしい、いつか感じたはずの感触だ。

自分は何処でそれを感じ取った? 一体、何処で?


「……あ」


瞳に映るのは[魔炎の太刀]。

心の奥底に眠る恐怖と闘争心が蘇り、彼女の指先を震わせる。

そして、同時に木刀が一対となっていた事も理解出来た。

これ等はその用途と同じくして、自らの生命線の一つなのだ。

[武]とはよく言った物だ。

これこそは自らの存在意義の一つだったのだろう。


「……私は」


彼女の脳裏に蘇る記憶。

それは火花のように、微かな輝きを放つ。

だけれど、まだ弱い。

この闇を照らすには余りに弱々しすぎる。


「どうして、こんな所に居るの?」


その言葉は同じでも、先程とは意味が違う。

そうだ、自分が居るべきは,こんな場所では無いはずだろう。

自分が居るべきはサウズ王国の第三街だ。

第三街領主、スズカゼ・クレハとして。


「早ぅ戻れ。居て良い場所ではない」


オロチはそんな彼女を見て安堵したのか、微かに頬を緩めながらため息をついていた。

だが、彼のそんな表情とは裏腹に、彼自身の姿は段々と薄れていっている。


「そ、それ」


「御主が戻ったから、段々と接続が弱くなっとるんじゃ。……早く光に触れぃ」


彼は最早、興味など無くなったかのようにぶっきらぼうに言い捨てる。

そんな声色にスズカゼは少しむっとしたが、それでも自分を救ってくれたのは彼だ。礼は述べるべきだろう、と深く頭を下げた。

オロチはそんな物は良いから、さっさと帰れと再びぶっきらぼうに言い放つ。

スズカゼからすれば、それは何か知られたくない事を隠す姿にも見えた。

そんな事に気付いたからこそ、浮かぶ疑問。


「貴方は、誰なんですか?」


その問いに彼が答える事はない。

当然と言えば、当然だ。

嘗てのあの時だって、彼が明確な答えを出したことは無かった。

だが、あの時、つまりクグルフ山岳の時と今では状況が大きく違う。

ただの山とこの世界では、余りに異なるのだ。


「……強くなれ、小娘。御主がその時まで生きて居れば、いつしか相まみえる事もあろうて」


それが唯一の言い訳だった。

彼の何処か悲しそうで、それでいて嬉しそうな表情。

光に包まれていく意識の中、スズカゼはただ何とも言えないその表情だけを、視界に映していた。



読んでいただきありがとうございました

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