事件の関係者
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「第二街で事件?」
大量の資料の山に埋もれていたスズカゼは、如何にも不思議そうに聞き返した。
あぁ、とゼルは相づちを打って手元の報告書を見直した。
「事件と言っても大した物じゃない。ただ獣人の子供から第二街入街許可証のカードを強奪した男が取り押さえられただけだ。取り敢えずは獣人も関わってるし耳に入れとこうと思ってな」
「……反吐が出ますね」
「カードを持たない獣人からすれば、カードは喉から手が出るほど欲しい物だ。大方、人間に奪うよう依頼したんだろう。ま、その人間も捕まったんだから依頼した獣人が捕まるのも時間の問題だろうがな」
「それじゃ、今回の事件は終わりなんですね。奪われた子供は無事ですか?」
「大丈夫。カードも取り返したしその子に怪我もない」
「はぁ、良かった……」
スズカゼは胸を撫で下ろし安堵のため息を漏らすが、ゼルの表情は依然として複雑な物だった。
子供が被害に遭ったが犯人は無事に捕らえられた。それで事件は終わりのはずだ。
だが、彼の表情が晴れることは無い。
彼女はその異変に気付き、まだ何かあったんですか、と言葉を続ける。
「……いや、その犯人を取り押さえた人間が不明なんだよ」
「どういう事です?」
「強奪犯なんだがな。逃亡中に肩を撃ち抜かれたらしい」
「肩? 何で?」
「知るか。大凡、逃げるのを阻止するためなんだろうが……」
「その撃った人間が問題だ」
彼等の会話に割り込んできたのは、先程まで壁にもたれ掛かるようにしていたジェイドだった。
彼はその話を酷く訝しんでいるのか、眉根に皺が寄っており目付きは悪い。
ゼルも彼の表情に呼応するように口を閉ざし、ジェイドの次の言葉を待つ。
「第二街にも獣人擁護派の人間は居る。だが、その男の肩を撃ち抜くような魔術師は居ない」
「……魔術師?」
「……教えたはずだぞ、姫」
「エッ、ナンノコトカワカラナイ」
「全く……」
ジェイドは呆れ果てたようにため息をつき、ゼルはやれやれと言わんばかりに首を振る。
彼等の反応に対してスズカゼは何か言いたそうに口元を歪めたが、何を言っても墓穴しか掘らないだろうと思い、言葉を飲み込んだ。
「五大元素を操るのが魔術、それ以外の魔力回路から発せられる元素を操るのが魔法だ。ここまで良いな?」
「既に無理です」
「……五大元素とは火、水、風、岩、雷。これも教えたぞ」
「テヘッ」
「うわぁ、可愛くねぇ」
「黙ってろブチ殺すぞ」
「そして女子の使う言葉じゃねぇ……」
「この五大元素が織りなすのが魔術。そしてそれ以外……、まぁ召喚術や鑑定術の類いだな。これが魔法だ」
「なるほどなるほど」
「今回の問題点はその魔術を使う人間が強奪犯に危害を加えた事だな。いや、別にそれは良いんだが誰が加えたのか、って事が問題なんだよ」
「魔術師でしょ? 割とポピュラーだし、別に珍しくないんじゃ……」
「珍しくはねェが、それにもピンからキリまである。上位の存在になりゃ片手で数えられるほどしか居ねェんじゃねぇのか?」
「話に聞くだけではな。森の魔女だの全属性掌握者だの、眉唾物が多い」
「……えーっと、それはそうと、今回の問題は結局のところ、どういう事なの?」
「強奪犯の肩を貫いていた一撃なんだが、相当の熱量だったらしい。肉が焼き尽くされて血管が焦痕に潰されていたらしいぞ。つまりは、そんな一撃を放てる奴が誰なのか、って事だ」
「熱量って……」
「火、だろうな。極限まで収束すれば可能だ」
「それを出来る人間がこの国に何人居るよ?」
「……むぅ」
「獣人の女の子だったんですよね? 被害者は」
「そうだが?」
「だったら獣人じゃないですか!? こう、同族のよしみで的な!」
その言葉にゼルとジェイドは酷く呆れ返ったような、何を言ってるんだコイツはと言わんばかりの気抜けした表情となった。
これで正解だろう、と自信満々に言ったスズカゼは彼等の反応に思わず凍り付く。
あぁ、これはまた授業開始の合図だろうな、と。
「獣人は魔力を持たないと……、俺は授業で何度言った?」
「……さ、さぁ?」
「魔法石などの道具でも使えばその限りではないがな。さらに混血などでもそうなのだが……、流石にそんな話は聞いた事がない」
「そもそもやったのが獣人ならカードの経歴調べて一発だろーが。誰も苦労しねぇよ」
「じゃぁ、人間ですか?」
「だろうな。その人間の事が解らねぇから苦労してんだ。第二街にも魔術を使う人間は居るが、そんな事が出来る程の奴は居ねェ。となれば必然、第一街の奴か外部の人間なんだろうがな……」
「それが解らない、という事か」
「別に罪を犯した訳じゃねぇんだから、さっさと名乗り出てくれりゃこっちも楽なんだがな。今は部下が外部から来た人間の記録を洗い出してる。事件には本質的に関係ないから別に見つからなくても問題は無いんだが、外部の人間だとこっちで能力を使って、それを黙ってるのが問題だからなぁ……」
「面倒な事になったな。目撃者は居ないのか?」
「気がつけば男が叫んで倒れていた。……こんな目撃証言しか拾えなかったんだよ」
「となれば近距離での発砲……、ではないな。そうだとすれば誰かが気付く」
「だとすれば遠距離か。それで居て高威力の一撃を放てるような人間と言えば……」
ジェイドは首を捻り、ゼルはため息をつき、スズカゼは声を呻らせる。
一人、たった一人だけ思い当たる人間は居る。
事件時の行動が知れず、高威力の一撃を遠距離から放つことが出来、第二街にも入る事が出来る人間が。
だが、その人物は極度の獣人嫌いだ。
それこそ人質が人間で無いと解れば獣人の暴徒達ごと消滅させようとするほどに。
「……いや」
「アイツじゃ」
「無いだろう……」
全員が同じ思考で同じ結論に至り、同じ恰好で頷く。
一体、誰が獣人の少女を助け、強奪犯の肩を撃ち抜いたのか。
思い込みとは恐ろしい物で、最も近くにある答えを見えなくしてしまう。
彼等は思考を同じ場所で回転させ続け、ずっと頭を悩ませていた。
《第三街南部・空き地》
「へくちっ」
「……お姉ちゃん、意外と可愛いクシャミするんだね」
「……うるさい、黙れ」
相変わらずの空き地ではゼル邸宅で噂されているためか、それとも慣れない生活のためか、性格と似合わず随分と可愛らしいクシャミをするファナと、彼女の隣にちょこんと座る獣人の少女の姿があった。
と言うのも先日の第二街での事件以来、少女はどうにもファナに懐いてしまったらしい。
ファナは何度も何度も脅したり怒ったりと追い払ったのだが、その度に健気に寄り添ってくるのだ。
この習性からしても、やはりこの少女は犬の獣人なのかも知れない。
「どうして寄り添ってくる? 私は貴様などに興味はない。失せろ」
「だってお姉ちゃん独りだし……」
「好きで居るんだ。失せろ」
「だって……」
少女の瞳には微かに涙が浮かび、すんと鼻を啜る音が閑静な空き地に鳴り渡る。
ファナはその様子を鬱陶しそうに見ていたが、やがて少女の瞳に大粒の涙が浮かび出すと、チラチラと周囲を確認するようになった。
やがて少女が嗚咽と共に鳴き出した頃、彼女は漸く口を開いた。
「……この前の事件の後は、何もなかったのか」
「き、きしだんって言う人達が来たけど、怖いから何も知りませんって言っちゃった……」
「……そうか」
面倒な事になった。
自分がやったことは未だ露見していないだろうが、バレるのは恐らく時間の問題だろう。
そうなれば当然、バルド隊長の耳にも届く。
結果、自分の現状が知られるのも必然だ。
もしも、そうなってしまったら…………。
「……ん?」
彼女の悩みを打ち切るかのように、空き地の前を三人の男が通り過ぎていく。
本来ならば大して気にもしなかったし、目にも留めなかっただろう。
ただ鳥が過ぎ去るように、景色の一部として捉えたかも知れない。
だが、その連中は違った。
第三街らしい、薄汚い格好にも関わらず妙に厚着なのだ。
それこそ、服の下に武器程度なら隠せそうな程に。
「…………」
歩き方にも隙が無く、真後ろから斬りかかられても即座に反応できるのだろう。
その歩き方もそうだし、何より気配から相当な手練れである事が解る。
少なくともそんな人間が第三街に居るはずがない。
「……今日はもう帰れ」
「やっぱり、私のこと嫌いなの? お姉ちゃん」
「…………帰れ。そして、暫く家から出るな」
「どうして?」
「……羽虫が街を、彷徨いている」
彼女の呟きは、少女に聞こえなかったのだろう。
少女はあどけない表情で首を傾げ、ファナを見上げてお姉ちゃん、と小さな声で彼女を呼ぶ。
だがファナの視線はその男達の後ろ姿に向いており、彼女の言葉など耳には届いていない。
「……お姉ちゃん?」
再び少女に呼ばれようとも、ファナは一切視線を動かす事はなかった。
街を彷徨く羽虫を見つめる彼女の視線は、少女が知っているファナのそれではない。
例えるならば氷。例えるならば雪。例えるならば雹。
冷たくて、冷淡で、冷悪な。
そんな、視線だった。
読んでいただきありがとうございました




