大森林の中で
「ーーー……あの」
薄暗い、微かにしか差し込まない陽の光が照らす森の中。
蝙蝠のような黒い生物がそこら中を飛び回り、体の周りを羽虫がブンブン飛び回る。
その羽虫も、蒸し暑さ故に皮膚の上を伝う汗の臭いに吸い寄せられてか、衣服や頭髪に止まっては直ぐに飛び去っていく。
頬先を伝う汗を飛ばすはずの風も、酷く生温い。
最早、ここは不快感の塊と言えるような、そんな場所だ。
「何ですか、ここ」
「「森」」
口を揃えて解りきった事を述べるリドラとメタル。
彼等のそんな反応に、ハドリーは少なからず疲労感を覚えてしまう。
こうして酷く曲がった背筋と包帯の塊を背負う背中を見続けて既に数時間。
そろそろ足が棒になってきたようにも思えてくる。
「……しかし、メタルよ。歩き始めてもう随分経つ。まだ着かないのか? と言うか、この森はこんなに大きいのか?」
「ここの大森林はサウズ王国より東の方向の地域を全部覆い尽くしてるぐらいデカい。つっても、果ては北部まで延びてる上に外は海だ」
「確かに貴様の謂うとおり、この森は東部で言う所の人類未到の地……。森の魔女が居るという噂があるのも頷ける、が。……幾ら何でも大き過ぎる。闇雲に探していては一週間どころか、一月は掛かる」
「その心配はねぇんじゃねーかなぁ」
「それは、どういう……?」
リドラの声を遮るようにして、彼の眼前を飛び抜けていく真っ黒な大鳥。
彼は思わず体勢を崩して尻餅をつき、メタルはおーっと声を出す。
その鳥は倒れたリドラなど気にも留めずに木々の上へと留まる。
「だ、大丈夫ですか!? リドラさん!」
「大丈夫……、大丈夫だ。少し驚いた程度だから問題無い……」
彼を転ばせた鳥はこちらをじぃっと見詰めている。
勿論のこと悪びれる様子も無く、自らの羽毛を嘴で整えている始末だ。
とは言っても鳥に文句を言うわけにもいかず、リドラは尾尻を叩きながら立ち上がる。
「迷惑な鳥だ」
「……鳥程度なら、まだ良いんだよ」
「何?」
「足」
メタルの言葉に、リドラは自らの足に視線を落とす。
彼の片足にぎっちりと絡まったそれは、生物のように蠢いているのだ。
その、触手は。
「何だ、これは」
「……触手」
メタルの言葉に返事でもするかのように、その触手はリドラの体を跳ね上げる。
一本釣り、という表現がよく似合うだろう。
彼は反応する間もなく足を触手に引っ張りあげられて空へと舞い上がったのだ。
「め、メタルさん! リドラさんを助けないと!!」
「あー、大丈夫。アレは男は襲わねぇんだ」
彼の言う通り触手はリドラを揺さ振ったり振り回したりするだけで、特に捕食しようとする様子は見せない。
言うなれば玩具を得た子供のような状態だ。
その子供は玩具をぶんぶんと振り回し、はしゃいでいるようにも見える。
尤も、当然の事ながら玩具からすれば堪った物では無いだろうが。
「め、た、る、た、す、け、ろ」
「そろそろ助けないとマズくないですか!? 中身出かけてますよ!?」
「……うーん」
ハドリーの叫びに答えず、メタルは依然として触手の戯れをぼーっと眺めている。
確かに触手はリドラを捕食してしまうような気配は見せていないが、このまま放って置いて良い物でもないだろう。
どうしてメタルがリドラを助けようとしないのかは解らないが、放っておく訳にはいかない。
「た、助けないんですか!?」
「いや、だってなぁ……」
「わ、私は助けますからね!!」
未だ渋る彼と相反し、ハドリーは小さなナイフを持って触手へと突進していく。
触手とは言え、所詮は生物。倒すとまでは行かずともリドラを救う事ぐらい出来るはずだ。
ハドリーは両腕を羽ばたかせ、草々に風を打ち付けながら飛空する。
獣人である彼女だ。流石に本来の獣より飛空能力は無いが、リドラが持ち上げられた場所まで飛ぶことは出来るだろう。
「これでーーーっ!」
その一撃は決して速くも無いし威力も有る訳ではない。
それでも、生物の触手を切り取ることは出来る一撃だった。
切り取れるはずの、一撃だった。
にゅるっ
「えっ」
それは、万物の摂理と言えるだろう。
りんごが地面に落ちるように、人が何時しか死ぬように。
無から有が生み出されないように、世界が回り続けるように。
因果的運命の一つと言っても良い。絶対的な存在と言っても良い。
女性と触手。この二つが揃いし時、導き出される答えは一つ。
「あっ、やっ、あぁ!?」
その触手はリドラなどぽいっと放り出し、彼を捕まえていた倍のそれをハドリーへと絡ませる。
両腕の羽をにゅるんと絡め取り、両足もにゅるっと絡め取る。
まずはその四本で彼女の自由を奪い、次に身動きの取れなくなった獲物へ悠然と本命を伸ばす。
「げほっ……、げほっげほっ!」
「大丈夫か-、リドラ」
「私は大丈夫だ……! だが、ハドリーが!」
リドラが体制を立て直し、這いつくばるようにして見た眼前に広がる光景。
それは無残にも触手に陵辱される、一人の女性の姿ーーー……、ではなく。
彼女を陵辱しようと触手を伸ばすも、それを届かせる事の出来ない憐れな生物の姿だった。
「……む?」
「あー、やっぱりか」
触手は決して手を出さないのではない。
むしろ、手を出せない、と言った所だろう。
見えない鎖で縛り付けられているような、筋肉自体を固定されているような。
「ハドリー。もう降りれるだろ?」
呆れ気味にそう述べたメタルの言う通りだ。
触手の拘束力は緩んでおり、ひ弱なハドリーの腕力でも簡単に振り解けた。
彼女という獲物が逃げていくのに、触手はぴくりとも動かない。いや、動けない。
「あ、あの、これは?」
「その触手は門番だ。……近いって事だよ」
未だ延々と続く、森の闇。
だが、メタルの視線はその先にある[何か]を確かに見詰めていた。
「魔女の家が、な」
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