閑話[闇に浮かぶ月は光を望む]
《第三街西部・廃墟》
「…………」
渇き果てた血がこびり付いた刀剣。
折り砕けたそれを眺めながら、彼は両掌を組んでいた。
双眸は薄暗く濁っており、両掌の爪は自らに食い込むほど、力が込められている。
「懐かしい場所じゃないですか、ジェイド」
「……ハドリー」
「その目、昔と同じですね」
ハドリーは腕の羽で土埃を振り払い、ジェイドの隣に座す。
彼が何か言いたげに口を開くが、ハドリーは有無を言わせないように素早く姿勢を整えた。
「あの頃でしたね。私が貴方に拾われたのは」
「何年前の話だ」
「忘れてしまうぐらい、ずっと昔の話です」
「……そうか、そんなに、昔か」
「えぇ、そんなに昔です」
静寂。
日暮れの橙色が差し込む中、彼等は微かな静寂に沈んでいた。
それは戦場で全てを滅した後の静寂よりも、ずっと心地良い。
だが、それをいつまでも楽しめるほど甘い状況では無い事を、ジェイドもハドリーも理解していた。
「姫は、どうなった」
「無事……、とは言えませんが生きていますよ」
彼女の一言にジェイドは黄金の隻眼を見開き、声を詰まらせる。
彼の余りの驚き振りに、ハドリーは思わず笑んでしまう程だ。
彼女がそんな反応をする物だから、ジェイドも気恥ずかしそうに咳き込んで、再び姿勢を正し直した。
「俺がお前から聞いたときには、胸を撃ち抜かれたと」
「えぇ、そうなんですが[霊魂化]? ……という症状のお陰で生き残ったらしく」
「……なるほど、合点がいった。だが、その言葉は余り外では出すな」
「解ってますよ。その事情についてもゼルさんから話は聞いていますから」
「……なら、良いんだ」
再びの静寂。
だが、その静寂の中に先程のような息苦しさはなかった。
スズカゼが生きていると知って安堵したジェイドの雰囲気が少なからずそれに影響していたのだ。
ハドリーもそれを解っているためか、とても穏やかな表情をしていた。
「だが、知らせが来ないところを見るに、姫はまだ……」
「……そうですね。その解決策は森の魔女が持っている、と聞いています」
「森の魔女? そんな眉唾物に頼るのか」
「ゼルさんは面識があるそうです。……尤も、一度か二度程度らしいですが」
「……そんな、不確定な」
「ジェイド」
彼女のその声は、ジェイドの思考を中断させこそすれども、否定する物ではなかった。
まるで間違いを咎めるような、そんな声。
「貴方はそれよりも解決すべき事があるのではないですか?」
彼女の言っている事が何なのか。
ジェイドにはそれが直感的に理解出来ていた。
いや、当然と言えば当然なのかも知れない。
自分がここに来た理由も、それなのだから。
「戻って、しまった」
「……[闇月]に、ですか」
「あぁ」
四国対戦が終わった時点で、自らの闇月も封じたはずだった。
争いは終わったのだから、もうこの力も必要無い、と。
武器も使い慣れていない長刀を使うようになった。
自らの力を制限するように。
この力は命を切り刻む技だから。
もう、使わないように、と。
「殺しなど良い物ではない。それに、あの技術は、力は、[闇月]は。……命を無慈悲に絶つ。相手に謝る暇すら無く、無慈悲に」
「だから貴方はあの力が嫌いなんですか」
「俺はあの力を封じてからも殺しはした。……だが、あの力は殺しをしない。命を絶つんだ」
「……その違いは、戦人でない私には解りません。私は人を殺したことなんて無いから」
「それで良い。この感覚は、解ってしまった時点で人ではなくなる」
地に落ちた[闇月]の証。
彼はそれを拾い上げて、再び地に墜とした。
まるで自らが得る事を拒んでいるかのように。
「なぁ、ハドリー。もし姫が起きたのなら、今の俺を見て何と言うだろうな」
「私はスズカゼさんではないので解りません。……けれど、そうですね」
茶化すように微笑み、ハドリーは小首を傾げてみせる。
夕日に照らされた彼女のその仕草は幼くも愛らしく見えた。
「知るか、馬鹿っ。……そう言うと思いますよ」
「……そうか」
ジェイドは自嘲気味に、しかし何処か嬉しそうに口端を緩める。
憑き物が落ちた、とでも言うべきだろうか。
[闇月]に囚われていた彼の瞳は少しずつ、光を取り戻していく。
「俺の過去は無くならない。消えて光に沈むことなど、ない」
「けれど、全てが闇ばかりじゃない」
「……あぁ」
赤黒い血液のこびり付き折り砕けた刀剣。
彼はそれを地に突き刺して、それを合図にするかのように立ち上がる。
「行こう。見舞いぐらい、しておかなければな」
「……はいっ!」
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