宴は闇夜に蹂躙されて
「かっ、ごほっ……」
白煙に噎せ返りながら、ハドリーは白に覆われた視界を見渡した。
つい先程まで前に居たスズカゼとナーゾル大臣の姿は何処にも無く、その代わりに白の渦だけが残って居る。
「スズカゼさんーーー……!」
一瞬だった。
窓硝子の割れる破砕音が鳴り響いたかと思うと、一瞬で周囲は白に染まったのだ。
その白の中で、微かに見えたのは窓から飛び込んでくる黒。
そう、嘗て獣人の少女を攫い、スズカゼ・クレハの暗殺を企んでいた者達の纏っていた、黒衣だ。
「……ッ」
彼等がここに来るまで何の騒ぎも起こさなかったのは、恐らく即座に見張りを気絶、若しくは殺害して来た。
そんな事が出来る者達だ。
この白煙の中で彼女に危害を加えるのは難しくないはずだろう。
なればこそ、即座に護衛に向かわなければならない。
彼女は今、武器を持っていないが為に戦力は獣人である自分よりも低いはずだ。
「ハドリー君」
思考する彼女に声を向けたのはバルドだった。
その手に槍を持った彼は白煙を払いのけるようにして、こちらへ走り寄ってくる。
彼の身体に飛散した多くの赤黒色は、恐らく黒衣の物共の血液だろう。
量からしても数人、いや、十にも及ぶ数を切り伏せているようだ。
「スズカゼ嬢は?」
「す、スズカゼさんは何処かに……!」
「……見失ったのか。この白煙の中じゃ仕方ないかな」
「今優先すべきはスズカゼさんの保護です! 奴等の狙いは間違いなく……!!」
「あぁ、解っているよ」
とても落ち着いた口調で、彼はそう述べる。
この緊急事態だというのに普段の笑みは全く崩れて折らず、汗一つすら流して居ない。
もし、その身に纏う赤黒色さえなければ、嘗てのように、第一街の人々に接するときと何ら変わらないだろう。
それ程までに、彼の雰囲気は和やかで、穏やかだった。
「……けれど何か忘れてないかな」
無論、何の意味も無く彼がその雰囲気を持っているわけではない。
戦力など持ち得ない貴族が集うパーティー会場に襲撃を受け、さらに白煙により視界が支配されていても。
彼はその理由故に、慌てることなど一切無い。
「ここには今、彼女が居る」
彼が、何処と無い白煙の中を見詰めると同時に、それらは全て一瞬で消え失せた。
豪風により払われただとか、上昇して天井に圧縮されただとか、そんな物ではない。
一瞬で、その存在自体が始めからなかったかのように。
白煙は刹那に消え失せたのである。
「四天災者[魔創]の、メイアウス女王がね」
「……ふん」
玉座に座したまま白煙を消し去ったメイアは、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
彼女からすればこの襲撃など、ただ羽虫が室内に入って天井を右往左往しているような、その程度の事でしかないのだろう。
現に彼女は、これほどのパニックになっているというのに指先一つ動かす事はない。
「ゼル、バルド」
面倒くさそうに頬杖を突き、彼女は王国騎士団長と王城守護部隊隊長の名を呼ぶ。
彼女の声に反応した二人は体を向ける事も返事を返すことも無く、ただ視線だけを向ける。
そして、メイアは彼等の視線を確認すると同時に小さく、呟くようにしてこう述べた。
「片付けなさい」
ただ単純な命令だった。
天井を転げ回る羽虫を殺せ、と。
ただ、それだけの。
「「了解」」
故に彼等もその言葉だけを返す。
そのやり取りは、物の数秒。物の一瞬。物の刹那。
白煙が消滅した事により、[黒夜]の者共が動揺している間に行われた。
結果として、彼等は気付かない。
煙が晴れただけでやる事は変わらないと考えている、自分達の過ちに。
王国騎士団長だろうが王城守護部隊隊長だろうが、数で囲めば倒せると考えている、自分の過ちに。
眼前の、たった二人の男の纏う気配が大きく変化した事に。
気付かない。気付くことは無い。
「ふん……」
「解放」
ゼルは足下で顔面を砕き割られ息絶えた男の所持品である、刀を拾い上げて。
バルドはその手より幾十もの白銀の刃を召喚して。
彼等の持つ白銀は、対照的に眼前の黒を映し出し、反射させる。
「右半分だ」
「では、左半分」
再度の短絡的な言葉。
彼等の眼前には、左右対照的とも言えないが、ほぼそれに近い数で黒尽くめの者達がそれぞれ分かれている。
だとすれば彼等の言葉の意味は言うまでもないだろう。
「手こずるなよ」
「ははは、面白い冗談だ」
「ーーー……っ!」
ハドリーは大広間の各場所を走り回っていた。
広間の端、行き交う人々の中、倒れた机の影。
そのような場所を何度も何度も、彼女は確認しているのだ。
「スズカゼさんーーー……!」
白煙が晴れたのには彼女も驚愕した。
だが、それ以上に驚愕したのは、スズカゼ・クレハの姿が何処にも無い事だった。
大広間は確かに広い。今はパニック状態のこともあって人と物という障害物が幾百と広がっている。
一目で大広間の全てを見渡すのは難しいだろう。
だが、それでもスズカゼの姿が、つい先程まで目の前に居た少女の姿が見えなくなるのは異常だ。
考えられる可能性は三つ。
一つ、スズカゼが連れ去られたこと。
二つ、スズカゼが自己的に何処かに移動したこと。
三つ、スズカゼが移動せざるを得ない事が起きたこと。
「一体、どうしーーー……」
彼女の声を遮るようにして振り抜かれる、火花を放つ電撃。
ハドリーが見て、聞いたのは、狂ったように動く目と、狂ったような叫び。
その電撃には即死性はないだろう。
だが、それでも意識を刈り取られる事にはなるはずだ。
今ここで、自分が意識を刈り取られればどうなる?
スズカゼが何処に行ったのかも解らず、自分に与えられた任務もこなせずに。
気絶、する。
「はい、邪魔ぁー」
だが、彼女の目の前でその黒衣は切断される。
いや、切断というよりは分断と言った方が正しいかも知れない。
鉄塊は速度だの方向だの重量だの全てを無視して、その男の全身の容量を半分にしたのだ。
「無事ですか、ハドリーさん」
「あ、貴方は……」
男を分断した大剣を振り抜いたのは[冥霊]の一人、デュー・ラハンだった。
彼は正装に黒兜という非情に奇妙な恰好ながらも、得に違和感なく動いているようだ。
大剣を片肩に担ぐその姿は、まるで歴戦の戦士にも見える。
「スズカゼさんが見つからないのですが、ご存じありませんか」
「そうですか。私達も見失ってしまって……」
「……デューさん、私はスズカゼさんを捜索します! 貴方達は黒衣の者達への対処を!!」
「妥当ですね。了解しました」
ハドリーは再び周囲に視線を向け、デューは大剣を眼前へと構え込む。
彼女達を囲む[黒夜]は灯りすらも掻き消す常闇が如く。
殺意は無くとも、戦意はある事が明瞭に解る。
「さて、気は抜けないようだ。……手もね」
「ですね。……ところで、メタルさんは?」
「人混みに流されて何処かに行きました」
「あの人、何の為に来たんですか」
「さぁ……?」
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