白煙に黒衣は紛れて
「……ふー」
その女は夜風にコートを靡かせながら、その女性は口から白煙を吹き出した。
彼女は手に持った白煙を立ち上らせる煙草を地に捨て、革靴によりグリグリと踏み潰す。
じゅっ、と一瞬の断末魔と共に灯火は消え失せ、微かな白色だけが夜空の中へと消えていった。
「悪くない」
朱色の短髪を揺らしながら、彼女は口端を緩め上げた。
頭髪と同じ朱色の眼光は、遙か前方の闇色を見詰めている。
太陽でなければ照らしきれないような、額縁すらも塗り潰す黒き闇色を。
「風も、距離も、方角も」
その女性は背より黒色の、大きなケースを足下に置く。
そのケースは旅行道具のような物で、事実、彼女がそれを開いたときに見えたのは様々な日常品だった。
髭剃りや果実や数冊の本などという、ごく一般的な物だ。
だが、それら全ては見た目通りの物では無い。
「悪くない」
髭剃りはトリガーに、果実は弾丸ケースに、数冊の本の中には銃の本体部品が。
見る見る内に日常品は、その偽装していた物の本来の用途を、日常を否定する殺戮の道具へと成り果てる。
「悪くない、ね」
夜を掛ける鳥は。
八咫烏の、夜鳥を司る獣人であるフレース・ベルグーンは。
闇夜に身体を預けるように、ゆっくりと地に伏した。
《王城・大広間》
「うォらあッッ!!」
ゼルの義手が黒衣を纏う者の顔面にめり込み、容赦なく吹っ飛ばす。
義手とは言え、鉄の塊だ。
そんな者が大の大人の全力で振り抜かれれば、顔面が砕き割れるのは言うまでもないだろう。
「リドラぁ! さっさと避難させろォ!!」
「無茶を言うな! パニック状態でそれどころではない……!!」
元々は戦場などと縁の無い貴族達だ。
急な襲撃のせいもあってか、彼等は異常なほどのパニック状態に陥ってしまっている。
リドラの先導も虚しく、彼等は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うばかりだ。
「スズカゼは!? 無事なのか!!」
「白煙で何も見えん……! 何がどうなっているのかも、だ!!」
黒尽くめの集団が突入時に放り込んだ発煙筒。
それにより、大広間は白に埋め尽くされている状況となっていた。
視界先1メートルも見えないような空間の中で、物音は貴族達の悲鳴によって掻き消される。
こんな混沌の中だ。小娘一人が殺されたとて、誰一人として気には留めないだろう。
「これが狙いか、野郎共……!!」
しかも、つい先程まではパーティーが行われていたのだ。
勿論のこと武器など持ち合わせて居ないし、通信機の類いもない。
万が一の場合には見張りからの連絡が入るはずだったが、それが無い事を見ると、恐らく連絡する暇すらなく突破されたのだろう。
「どうする……!?」
この白煙の中だ。率先して敵を排除することも出来ない。
精々、自分に近付いてきた者か視界に入った者を相手取る事ぐらいだ。
しかもこの連中、間違いなく過去の、黒尽くめの一件と同一組織の人間だ。
即ち暗殺や戦闘においては間違いなく玄人のそれだろう。
不意打ちや視界が開けていたあの時とは違い、今はこの白煙の中。
幾らスズカゼでも視界外からの一撃など避けられるはずが無い。
その上、今は全くの無防備であり武器の一つも持っていないのだ。
「……いや」
そうだ、こんな時のために護衛を付けたのではないか。
奴等ならば黒尽くめの連中に後れを取ることはないだろう。
それに、スズカゼの現在地を知らない自分は下手に動いて時間を無駄に消費するよりも、数多く黒尽くめ連中を倒す事を優先すべきだ。
「頼むぞ、メタル、ハドリー、デュー……!」
ゼルは拳を握り締め、白煙を切り裂くように歩み出す。
今は各々の役割と立場を考え、それに沿って行動すべきだ。
彼等はスズカゼの護衛、自分は騎士団長。
ならば、信じるしか無いだろう。
自分はその為に彼等を護衛に任じたのだから。
「やっべ。スズカゼ見失っちゃった」
「本当に何してんですか。いやマジで」
一方、こちらはつい先程、漸く異変に気付いたメタル達。
だが彼等がそれを認知した時には既に遅く、周囲は白煙に覆い尽くされていた。
スズカゼが居た方向も解らなくなるし周囲は何だか騒々しいし皿の料理はそろそろ無くなりそうだ。
「やっべーな。おかわり、どうしようか」
「いや、今はそんな状況じゃないと思うんですが」
周囲の騒々しさから、流石の彼等も異常状態だというのは解っている。
悲鳴が聞こえる上に、何かの破砕音だの衝撃音だのが響き渡っている始末だ。
となれば、何が起こっているのかは自然に解ってくる。
「来ましたね。彼等はフリーの傭兵である[黒夜]だ。金さえ払われれば何でもするような集団で、余り良い評判は聞きません」
「前にこの国を襲撃したこともあったらしいぜ。……で? 襲撃に来るのは[八咫烏]じゃなかったのか?」
「未だ姿を見せていないだけですよ。彼女の事だ。どうせ、外から狙撃するタイミングでも計っているんですよ」
「なるほど。……つっても、こりゃどうするかな。周りなんも見えねぇし動きようがねぇぞ」
「取り敢えずはスズカゼさんを探しませんか。私達は今、彼女の護衛だ。それにこのタイミングからしても彼女、フレース・ベルグーンはスズカゼさんを狙っているはずです」
「……そうだな。まずはスズカゼを探すか」
メタルは腕を掲げ、そこに通した灰色の腕輪より光を放つ。
彼の所持する魔具、アビスの腕輪は如何なる物体をも仕舞う事が出来る魔具であり、それは当然、武器の類いも仕舞ってある。
武器厳禁なパーティー会場でも、流石に腕輪までは禁止しないという事だ。
「お前、何使う?」
「では大剣で」
アビスの腕輪より蛮骨な大剣が出現し、それは豪華絢爛な絨毯を無様に切り裂く。
地面に突き刺さったそれを、デューは軽々しく持ち上げて肩へと担ぎ上げた。
たったそれだけの行為でも大剣の重量故か、白煙の一部は乱れ旋風と化す。
「さて、行きましょうか。お姫様を守りにね」
「あ、その前にフェイフェイ豚のステーキおかわりしてきて良い? 滅多に食えないし」
「空気読みましょうよ……」
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