閑話[とある騎士の災難]
《C地区・軍訓練場・休憩所》
「団長、第三街領主のスズカゼ殿が目を覚ましたそうです」
スズカゼが特別医務室で目を覚ました頃。
ベルルーク国軍基地C地区、軍訓練場の休憩所にはゼルとファナ、そして一般騎士の姿があった。
彼等はスズカゼが気絶している間、この休憩所を駐屯地として使用していたのである。
「そうか。じゃぁ、もう帰るぞ。準備は整ってるな?」
「えぇ、整っていますが……、そんなに急がなくても」
「いや、駄目だ。早くしろ」
怒りすら含んだゼルの声に、報告に来ていた騎士は背筋を伸ばしきる。
その騎士自身もこの国に来てから、得に数日前からゼルの様子がおかしいことは知っていた。
そもそも敵国なのだ。何があってもおかしくはない。
その事について団長自身が怒りを覚えていても何ら妙ではないだろう。
触らぬ神にたたり無し。
ならば、ここは大人しく命令を聞いてくべきだ。
「了解しました。スズカゼ殿が戻ってき次第、出発できるよう準備しておきますので」
「あぁ、頼む」
バタン、と扉の閉まった音を聞くなり、ゼルは机に突っ伏した。
鈍い音と共に頭が落ちるのも気にせずに、彼は机に鼻先を打ち付ける。
少なからず痛みもあるはずだろうが、それでもゼルの感情を上回ったのは気疎い物だった。
「……はぁああーーーーー」
同時に机上の埃を全て吹き飛ばすようなため息を吹きかけた。
それも一度や二度ではなく、何度も何度も、体中の息を吐き捨てては吸い込み、吐き捨てては吸い込み。
幾度となく彼はため息を繰り返す。
「……おい、うるさいぞ」
そんな彼の隣で、本を読んでいたファナは不快そうに眉根を寄せていた。
その本というのは、何と言う事はない旅行記であり、分厚さはそれ程無い。
背表紙の数字からして長編物なのだろうが、ファナの荷物にそんな物はなかった。
と言うのも、彼女はこの二日間、特にすることも無いので、休憩室に置かれた小説を読み漁っていたのである。
その量は見る場所によっては彼女の姿を隠すほどの量だ。
「静かに本が読めない」
「お前、どんだけ読んでんだ……。もうベルルークに住めよ……」
「断る。獣人廃絶の兆しがあるのは悪くないが、このような国に居ては使い潰されるのが目に見えているからな」
「だろうな。……そうじゃなくてもこの国には居たくねぇけど」
「あんな事があっては、か?」
「……まぁな」
それは数日前のことだった。
具体的にはスズカゼが倒れた当日の話である。
精霊や妖精の襲撃もあって、酷く疲労困憊していたゼルは入浴と食事を済ませるなり、ベッドに沈むようにして眠り込んだ。
やはり彼自身もかなりの疲労が溜まっていたのだろう、無理は無い。
して、ゼルが眠り始めて何時間経った頃だろうか。
最早、外の訓練場にも見張りしか居ないような時間になった頃。
彼の部屋に踏み入る一つの足音があった。
ぎしり、ぎしり。
常人ならば気付かないであろうほど小さな足音だ。
それは段々と彼に近付いていき、遂に彼の足下へと立った。
刹那、ゼルは枕の下に忍ばせていた護身用の短木刀を全力で振り抜く。
凄まじい風切り音と共に彼の腕には衝突の感触。
それは、まるで鉄壁にでも当てたかのような重量感だった。
相手が何者かは解らないが、この足取りからしても確実に暗躍目的。
手加減する必要性も確認する必要性も無かった。
だからこそ、現状、この手元にある感触が答えだ。
軽い。余りに、軽い。
「……ふむぅ、中々の一撃だな!」
ぼやける目を細め、ゼルは眼前の、自分の足下に立つ男を確認する。
オートバーン・ビーカウン大尉。この国に来て何度か接触した人物だ。
戦闘面も目撃したからこそ、この人物が決して暗殺向きで無い事は解る。
だが、それでも先程の足取りを考えるに、やはり相応の技術は持っているのだろう。
尤も、それで自分を殺せると思ったのならば、舐められた物だが。
「刺客にしちゃ、随分とデカい奴を寄越したモンだ」
「刺客とは人聞きの悪い。我はただ親交を深めようとだな」
友好とはよく言った物だ。
血肉を刻み合い潰し合うのが友好ならば、今頃、世界の戦場は親友だらけだろう。
「面白い。国を挙げての親交大会の前に、俺が個人的にテメェと友達になってやるよ」
「ほう? それは良い。では始めるか」
「上等だ」
ゼルは布団を払いのけ、木刀を手にベッドから足を下ろす。
狭い室内とは言え、短木刀。威力は無く、相手がこれ程の巨漢だとしても急所に叩き込めば一縷の望みはあるだろう。
彼のその行動に答えるようにして、オートバーンもまた、上着を脱いで骨肉隆々な肉体を晒し出す。
そして流れ作業のように優々と下の衣服にも手を掛けた。
「おい待て、何でそっちも脱ぐ」
「親睦を深めるためには必要だろう? 着たままというのは衣服が汚れてどうにも……」
「……うん?」
「む?」
「親睦、戦う、戦闘、OK?」
「親睦、戦う、戦闘、OK!」
「敵、斬る、倒す、OK?」
「的、突く、押し倒す、OK!」
「…………」
「…………」
「夜這いじゃねぇえかぁああああああああああああ!!!」
「今更何を。では始めようか」
「待って! そういう意味じゃ無い!! 戦うって夜の戦闘って意味じゃねーから!!」
「はっはっは。断る」
その晩、訓練場の休憩所に凄まじい悲鳴が響き渡った。
飛び上がったサウズ王国騎士団の騎士達とベルルーク国の見張り兵士が見たのは、必死の形相で部屋から飛び出てきたゼルと、上半身裸のオートバーンだったという。
また、それを見た時にデイジーが悲鳴を上げながらオートバーンに斬りかかったのだが、これはまた別の話である。
「軍人が男色家など珍しくもないだろう」
一連の出来事を思い返したファナは面倒くさそうに吐き捨てた。
確かに軍事関係の組織ではそういう趣味の人間は少なくはない。
女性の少なさや自己処理の出来ない戦場での状況など、様々な理由があるのだが、まぁ、これは置いておくとしよう。
「だからって夜這いされた俺の気持ちを考えてみろや小娘ェエエ!!」
「知らないし、知りたくもないな」
因みにこの出来事をファナが知るのは件の翌朝である。
徹夜で本を読みあさっていた彼女は、騎士から報告される出来事を眠気半分で欠伸をしながら聞いていたそうな。
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