空き地のホームレス
【サウズ王国】
《第三街東部・ゼル男爵邸宅》
「……やって」
少女は机の上に積まれた、大量の資料を握り締めた。
頭を机へと項垂れさせて、大きく息を吸い込みーーー…………
「られっかああああああああ!!」
それらの資料を全て放り投げた。
バサバサと資料は空中を舞い、そのまま落ち葉が如く地面へと散っていく。
その一枚一枚に視線を落としながら、黒豹の獣人は呆れ果てたかのようなため息をついた。
「何をやっている、姫」
彼は地面に落ちた資料を一枚一枚丁寧に拾い集め、再び少女の隣へと置き直す。
そんな彼の行動など関係ないかのように、少女は口先を尖らせて捻くれていた。
と言うのも、既に五時間という学習時間に囚われているからだ。
それも、本日で三日目である。
「どうなっとるん!? 毎日毎日毎日、勉強勉強勉強!! ホンマなら私は人生のGWこと大学に進学するはずやったんやで!?」
「……何を言っているかは解らないが、この勉強をしない事にはどうにもならんぞ」
喚き散らす少女こと、スズカゼ。
今、彼女が行っている勉強というのは実はサウズ王国の子供、それも小学生ほどの学年で習う物なのだ。
そう、即ち文字の読み書きである。
スズカゼの言葉はジェイドのような、こちらの世界の人間には通じる。
だが文字となると話は変わってくるのだ。
現代の日本にも漢字やカタカナ、ひらがながあるように。
世界視点からすれば英語や中国語、ドイツ語があるように。
この世界にも独特の文字が存在する。
それは通貨単位や距離単位にも言える事だし、読み書きとなれば尚更だ。
「本来ならば貴様がしなければならん業務をハドリーとリドラが肩代わりしているのだ。さっさと読み書きを覚えて、奴等の負担を減らしてやるんだな」
「わ、解ってますけど……」
言葉が通じる現地で、全く知らない単語を一から十まで覚えるのだ。
さらに、そこにはその世界での常識や食物知識、果ては魔法の事まで学ばなければならない。
その量は膨大という言葉の比ではなく、終わりが見えない程である。
「えーっと、通貨単位がルグ。距離単位がガロ……、で良いのかな」
「そうだ。言葉が通じる分、やはり教えやすいな」
「……子供にも言葉通じるじゃないですかー」
「獣には通じん」
「それは暗に私を馬鹿にしてるのカナ? カナ?」
「……そういう訳ではないから、その眼を止めろ。人でも殺す気か」
再び山積みにされた資料の山を横目に、スズカゼは溶けるようにして机へと頭を突っ伏した。
彼女は大学まで進学したとは言え、生粋の勉強嫌いである。
学生時代は剣道に打ち込んでいたし、勉強など二の次だった。
いや、もしかしたら三……、いや四の次ぐらいかも知れない。
実際のところ、そのせいで進路先の大学選びには随分と苦労した物だ。
……まぁ、今は大学どころか異世界に来ているわけなんですけれども。
「おーい、失礼するぞー」
と、そんな混沌とした室内に入ってきたのはゼルだった。
彼の腕は相変わらず機械部分が剥き出しで、まるでロボットのようにも見える。
とは言え、この国にはロボットという言葉はないのだろうが。
「何だ、まだ義手は剥き出しなのか」
「誰かさんのお陰で腕が涼しくなっちまったよ……!」
「……金銭的な問題か? そうだとすれば、俺では払えんぞ」
「いや、普通に張り替える時間が無いだけなんだが……。……っと、今回の用件はそうじゃない」
ゼルは思い出したかのように、自らの手に持っていた紙を一枚、スズカゼの前へ置いた。
その紙には彼女が嫌いな文字がびっしりと並んでおり、スズカゼは露骨に嫌悪の表情を浮かべる。
「嫌な表情するんじゃねぇよ。お前の仕事だ」
「……仕事?」
スズカゼはその資料を手に取り、今まで嫌がっていた勉強の知識を使い、文字を読み上げていく。
拙い解読ではあるが、幸いなことに難しい文字はなく彼女にもどうにか読める程度だった。
遠くを眺めるように眼を細めた彼女は、その文字の一つ一つを解読していく。
「えー……、さうど、おうこく、の? だいさんがい、で……」
「サウズ王国の第三街で事件発生、解決せよ。だとよ」
「ゼル……。今、彼女が頑張って解読していたのだ。答えを言ってどうする」
「そうですよ! 折角、頑張ってたのに!! これじゃ勉強する気もなくなっちゃうなー!!」
「あっはっはっは。そうだなー、答え言っちゃったなー。居候に答え言っちゃったなー」
彼のその言葉に、スズカゼはびくりと肩を震わせた。
ゼルの仮面のような笑いは止まる事無く、まるで押してはいけないスイッチを押してしまったかのように笑い声が溢れ続ける。
あ、これは地雷を踏んだなとジェイドは察したが、時既に遅しである。
「俺の邸宅を第三街に移してくれた上に金無し飯無し住処無しの三無し娘に答え言っちゃったなー」
「じゅ、住居を与えてくれたことには感謝してます……」
「飯代も勉強代も服代も俺持ちだもんなー。おぉ、財布が痩せる痩せる! 何処かの居候娘さんもお仕事して、ちょっとぐらいお金貰ってきてくれないかなー!! あはははははは!!」
「さぁ、ジェイドさん! 仕事に行きましょうか!!」
「そ、そうだな……」
《第三街南部・空き地》
「……ここ?」
スズカゼとジェイドが到着したのは、本当に何も無い、ただの空き地だった。
彼等がここに来た理由はゼルの持ってきた資料による物なのだが、そこに書かれていたのは非常に解りづらい、と言うよりは全く解らない物だったのだ。
空き地で寝泊まりする女性が居る。
それが、彼等の元に寄せられた依頼だった。
完全にホームレスの話である。
「……ジェイドさん? 別にこれ、私達が出張る必要なくない?」
「俺もそう思うが、放っておく訳にもいかんだろう。第三街領主として民から訴えられた問題は解決しなくてはならない。……まぁ、何だ。これからメイア女王に送りつけられるであろう問題を解決するための予行練習とでも思え」
「世界は理不尽で回っている、って何処かの本で読んだっけ……」
「うだうだと文句を言っていても仕方ないだろう、姫。……しかし、今回の依頼は妙だな」
「何が?」
「第三街は基本的に治安は悪い。それは姫が領主となり、多少改善されたとて変わらない事実だ」
「姫って呼び方はどうにかならないのかしら……。……それで?」
「この第三街には獣人の他に貧しい人間なんかも居るんだが……、彼等は単に借金絡みだの酒に溺れただの自業自得でこの街に追いやられた場合が多い。無論、例外はあるが殆どがそれと考えてくれて構わない」
「あれ? でも暴動の時は居なかったんじゃ……」
「獣人の暴動に人間が関わる必要はないだろう。彼等からすれば失敗すればいつも通り、成功すれば多少なりとも生活の質が向上するという痛手の無い話だ。例えるならば隣の家が良い匂いの花を育てている、とでも言おうか」
「枯れればいつも通りだけれど、咲けば良い香りが漂ってくる……。……なるほどね。だけど、それと家無しの関係って?」
「貧しい人間だ。家が無い者も必然居る」
「言われてみれば確かに……。……あれ? やっぱり来る必要無くない?」
「問題はそれを獣人か人間かは解らないが、我々に報告してきたという事だろう。第三街の者なら見慣れた光景を通報すると思うか?」
「ですよねー……。……じゃぁ、家無しホームレスさんは誰なの?」
「さぁな……。少なくとも、この第三街の者が見て驚くような、そんな人物のはずだ」
「驚く、って……。そんな人、そうそう居ないと思いますけどねぇー」
「だろうな。恐らく外来の人間だろうが、まさか没落貴族でもあるまいし」
「えぇ、全く。第一、そんな人が野宿なんてするはずがありませんよねぇ!」
「あぁ、その通りだな」
ハッハッハと軽快に笑い合うスズカゼとジェイドの隣を、桃色の髪を揺らす女性が通り抜けていく。
彼女は二人をまるで空気のように無視し、そのまま空き地へと入っていった。
そして、そのまま手に持っていた寝袋を空き地の真ん中に敷いて蹲り、そこに体を埋めていく。
そんな桃髪の女性の姿を確認したスズカゼとジェイドの空気は、完全に凍り付いていた。
「……ミマチガイ?」
「では、ないな」
寝袋に入っていた女性は立ち上がり、そのままフラフラとした足取りで二人に近付いてくる。
ボサボサの髪の毛を気にするでも無く、貧相な衣服姿を気にするでも無く。
ただ不機嫌そうに眉根を寄せて、口をへの字に曲げて。
「うるさい」
それだけ言って、再び寝床へと帰って行った。
「何で、あの人がここに……!?」
「……通報されるのは当然だな」
口端を引き攣らせ、目元をヒクつかせる二人。
そうなるのも当然だろう。空き地で寝泊まりしていると通報された女性。
王城守護部隊副隊長、ファナ・パールズの姿を見れば。
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