大総統と少女の言葉
「どうしたのかな? 飲まないのかい?」
スズカゼと同じ、白の陶磁器で出来たコップを手に持つバボック。
彼の持つコップの中には湯気立つ珈琲が入っているが、それは勿論のこと安物だ。
決して、彼のような大総統が飲むものではない。
それでもバボックは文句を言う事無く、珈琲を注いでくれたエイラに笑顔を持って感謝の言葉を述べていた。
尤も、そのエイラは今、部屋の隅で肩を竦ませて固まって居るのだが。
当然だ。例えるならば、急に自分の家に国家最高権力者が尋ねてくるような物である。
部屋の隅で固まるのも無理はないだろう。
だが、そんな彼女と違ってスズカゼは手元に珈琲の入ったコップを置いたまま、凄まじい眼光を浮かべていた。
「……私に何の用ですか?」
本来、他国からの客人とは言え、大総統という立ち位置の人間がこんな医務室に来るはずが無い。
そもそも、彼女達を対応すること自体、通常ならばネイクかヨーラ相当の地位を持つ人間が行うべき事だろう。
だと言うのに応対から案内、果てはこうして見舞いまで。
ただの客人に、興味本位でこんな事までするはずがない。
「用があるから、来たんでしょう。……いいえ、ずっと、用事があったんじゃないですか?」
バボックが自分達を単なる客人として招いたのではない事は解っていた。
問題は、その理由は何なのか。
何の為に自分達をここへ、いや、自分をこの国へ呼んだのか。
「うん、見事だ。そこまで見抜くんだね、君は」
安物の珈琲を口に含みながら、バボックは感慨深そうに息をつく。
彼の言葉には何処か嬉しそうな物が含まれていると同時に、意外そうに驚いたかのような物もある。
恐らく嬉し半分驚き半分の状態と言った所だろう。
そして、それは裏を返せば彼女が気付くことを半分信じていた事になる。
「君は私と会話しているとき、一つとしてその力を誇示しようとはしなかった。……あぁ、いや。最後は木刀を振り抜いてきたかな?」
「……それが、何か?」
「力は何の為にある? 自衛の為? 戦乱の為? 双方そうであり、双方間違っている」
「どういう意味ですか」
「自らの誇示。それが力の使い道だよ」
「誇示?」
「その通りだ、獣人の姫君。……君は力を持っているのにそれを誇示しようとしない。横暴でもなく乱暴でもなく粗暴でもない。ただ正常な人間として存在している。私にはそれが果てしなく恐ろしいんだ」
彼の言葉と共に、しん、と空気は静まりかえる。
恐れていると言ったのだ。どうという事を無い小娘を、一国の総責任者が。
それは初老の男性が零したただの言葉で済む物ではない。
場所が場所ならば翌日の新聞の一面を飾るような言葉だ。
だが、スズカゼにそんな事を気にする余裕は無い。
眼前の男の瞳が、嘗てのように深く、暗く、沈みきっているのだから。
「君は喚いたね。どうしてこんな事をするのか、と。……けれど、君は私の行いを力を持って止めようとはしなかった。違うかな?」
「……そんな事をすれば国際問題になるし、他の人への迷惑にも」
「ほざくなよ、小娘」
明らかに声色を変えてバボックは瞳を細め澄ます。
闇は一層濃くなり、その表情は非常に冷たく、恐ろしい。
彼の持つコップすらも震えてひび割れるかのように、空気は静まりかえっていた。
「国際問題? 他人への迷惑? ほざくな、ほざくな、ほざくな。力を誇示しろ。その力は何の為にある? 両腕は獣人を抱き抱えてやるための物か!? 違うだろう! 血肉を裂き、己の元に欲望の全てをかき集める為だろうが!!」
「……ち、ちが」
「違うだと!? 貴様は何の為に戦う!? 富か、名誉か、享楽か!?」
「わ、私が戦うのは! 獣人や仲間の為です!! 自分のために刀を振ったりしない!!」
「それが間違いだというのだ小娘!!!」
静寂は彼等の豪声により打ち破られたというのに、空気は未だ温度を取り戻すことは無かった。
いつ、その冷度により空間が砕け割れたとしてもおかしくはないだろう。
だが、彼等は自らの言葉により微かな亀裂が空間に走っていても、その刃を止める事は無い。
「今回、砂漠の獣を止めたのは何だ!? 貴様自身の力だろう!! それに如何なる助力があったとしても、それを成したのは貴様自身だ!!」
「だから何だと言うんですか!? 私がアルカーを相手取る事を決心したのは、この国の獣人の……!!」
「獣人のためだろう!? では何故に助けようとした!? 善意? 興味? 本能? 否、否、否!! それは自己顕示欲だ!! 獣人を守るという決心故の物だ!! 違うか!?」
「なっ……!!」
「貴様が己を顧みず刀を振ったのは獣人を守る為だろう!? あの蛮獣から獣人を守る為だろうが! ならば着飾るなよ!! 己の欲求のために獣人を救ったと言え!! 信念を言い訳に使うな!! 獣人のためにアルカー共を相手取ったなどと抜かすな!! 己が守りたいから守ったとどうして言わない!? どうして自己を顕示しない!!」
「わ、私は……」
「……自己を顕示しろ、小娘。貴様の力は誰の物でもない、貴様自身の物だ」
狂い切った亡者のように目を見開き。牙を剥き、息を吐き出しながら。
バボックは純粋にスズカゼを称賛し、同時に愚弄する。
目の前の何も知らず戦場に立ち、何も求めず戦場に居座る愚か者の娘を称賛し。
目の前の獣人を守るべく身を張り、己の信念を持つ勇者たる娘を愚弄するのだ。
「アルカーを殺したのは他でも無い貴様自身だろう。そして、そうするに至ったのは他でも無い貴様自身の意思だろう? ならば謙遜するなよ、隠すなよ。その力を存分に振るえ。その力で自らを誇示しろ。全てを壊し全てを己の手に収めろ。さもなくば、いつしか貴様は本当の力を得たときに溺れるぞ」
「溺れません。私は例え力を得たって、それを使う理由はない」
「獣人を守る為だとしても、か」
「……その時は手痛いしっぺ返しを喰らったとしても、それが私自身への跳ね返りならば甘んじて受けましょう。如何なる物であろうとも」
揺らぐことなき、少女の双眸。
それに宿る光は闇を前にしても一片の曇りすら見せず、ただ煌々と照り輝いている。
如何なる言葉も、既に刀を振るった少女へは届かないのだろう。
その事がバボック自身の理解の範疇に入ったとき、彼は席を立っていた。
彼は空となった白の陶磁器を、呆然としているエイラに手渡して扉へと向かって行く。
バボックが扉を開けると同時に、静寂を沈めていた絶対零度の空気を溶かすような風音が入り込んできた。
それを耳に受けながら、バボックはスズカゼに背を向けたまま、小さく呟く。
「それでも君は、いつしか強大な力に溺れるだろう」
彼の言い残した言葉にも、少女の双眸は揺らがない。
それは自らが力に溺れないからだという決心故の物にあらず。
その双眸の光は依然として彼女自身の信念の強さを表しているのだから。
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