狂人は如何にして成るか
《C地区・軍訓練場・休憩所》
「い、いぃいぃいだだだだぁ!?」
「うふふふ、我慢ですわぁ」
真っ白な包帯でデイジーの腕を縛りながら、サラは満面の笑みを浮かべていた。
しかし、その力は傷口を締めるレベルではなく、デイジーの腕はギリギリと音を立てている程だ。
と言うのも勝手に飛び出していって勝手に怪我をしたデイジーに対する怒りが込められているのだろう。
「さ、サラ、強い、痛いぞ……」
「どうして勝手に行ったのですか? 見てくるだけだったのではないかしら?」
「そ、それは、その……」
「うふふふふふ。団長にはしっかり報告しますわぁ。しっかりくっきりみっちりと!」
「……サラぁ」
「困った顔しても無意味ですので」
彼女はさらに包帯をキツく縛り付け、デイジーは苦痛の悲鳴を上げる。
お仕置きとしては、まぁ、可愛い部類だろう。
だが、彼女達の表情には何処か不安げな色が隠せていなかった。
それはそこに居るはずの二人が居ないからだ。
ゼルとスズカゼの姿が何処にも、無かったからである。
《D地区・軍本部・大総統執務室》
「……どういうつもりだ?」
ゼルの言葉は酷く冷たい物だった。
それだけではなく、何処か殺意すら孕んでいる。
当然だろう。彼がベルルーク国に戻って真っ先に耳にしたのは、スズカゼの現状なのだから。
「それを私に聞かれても困るがね、ゼル騎士団長。アレはイーグ将軍の完全独断なのだから」
「独断? 独断で国の安否を任せたのか?」
「あぁ、そうなのだろうね。彼がそう判断したからそうした。そして結果として国は守られた。何の問題もない。……それだけではないかね?」
「結構な事だ……! 他国の伯爵を戦場に立たせたんだぞ!? 無断でな!!」
ゼルがベルルーク国に戻るなり耳にしたのは、アルカーを追い払ったのが一人の少女だったという事だった。
その少女は紅蓮の剣を持って数々のアルカーを薙ぎ倒したという。
だが、ゼルが軍基地で見たのはアルカーを追い払った勇ましい女性の姿ではなく、病床に伏すか弱い少女の姿だった。
呼びかけても返事はなく、青い顔色で苦しそうに魘されているだけ。
その様子は余りにいたたまれない物だった。
まるで寝台に鎖で縛り付けられたかのようなーーー……。
「本人の了承の上と聞いているが? 獣人を救うためだ、と」
「……餌にしたのか? 獣人を」
「人聞きの悪い。……まぁ、精々、囮かな?」
屈託のない笑顔で応えるバボックに向けられる、鉄の拳。
だが、その拳がバボックに当たる事は無い。
彼は寸前で拳を止めていたのだ。
だが、その表情は途轍もなく険悪で、額と首筋には血管が浮かんでいる程だった。
この拳を振り抜ければ如何に楽だろう、と。
だが、そうすれば国際問題程度の話では済まない。
スズカゼの木刀を止めた意味も無くなってしまう。
「懸命な判断だ」
「……今すぐにでもブチ殺してやりてぇんだがな」
「それをすればただでは済まないと理解しているんだろう? ならば虚勢を張るのは止めた方が良いのではないかな?」
「……あ?」
「顔。殺気が隠し切れてないぞ」
ゼル自身もそれには気付いていた。
自らの顔が醜く歪んでいるのを。
眼前の男を殺してやろうと、その顔面を抉り抜いてやろうと。
己の中の殺意が醜く叫び狂っているのを、彼自身も気付いているのだ。
「良い顔だな。昔の君そっくりだよ。我が陣営に単独で乗り込んできた君にね」
「…………」
「あの時は良かった。戦場は骸で埋め尽くされ雨は紅色となり悲鳴は我々を満たす音色だった」
「……この狂人が」
「狂人? おや、可笑しな事を言う」
バボックは屈託のない、無邪気な笑顔を浮かべる。
椅子から腰を上げて片手を机に突き、彼は小首を傾げて見せた。
純真無垢な子供が大人へと命の意義を問いかけるように、悪意無くも複雑な問いを行うように。
その男の目には迷いなど一糸とて無い。
「私には力がない。イーグや君のような戦闘力もない。……だからこうして、指揮官として裏方に徹している訳だがね」
「それがどうした」
「戦場で部下に死んでこいと命ずる指揮官よりも、血肉を浴びて正気を保っている君達の方が狂人ではないのかね?」
「……ッ」
「ゼル・デビット。君は随分と日和ってしまったようだが……、嘗て君が殺した我が軍の兵士は墓の下ですらない。あの戦場で土の上で無残に白骨と貸してしまった。だと言うのに君は随分と平穏な日々を過ごしているね? 彼等の骸は未だ荒れ地の上に転がっているかも知れないのに」
「……戦場ってのは、そういうモンだろ」
「そう、その通り。だから私には解らない」
「……何がだ」
「同族を殺す事に抵抗はないのかね?」
「ーーー……は?」
この男は、何を言っているのか。
獣人を獣の餌とし、兵士を見捨て、優々と椅子に座すこの男は。
何を思い、何故にこの言葉を吐いたのか。
「君が殺した者には友も恋人も家族も居ただろう。戦場から帰れたならばと交わした約束も愛もあっただろう。それを君が奪った。殺した。壊した。……それに対する罪悪感はないのかね?」
「……お前は、それを、アルカー共に喰わせた獣人に向かって、答えられるのか?」
「あぁ、当然答えるとも。ご苦労、君のお陰で仲間は守られたよ、とね」
「テメェは……、人間じゃねぇ。悪魔でも、化け物でも、鬼でも、何でもねぇ。形容しがたい、屑野郎だ……!!」
「解っているとも。だから私はこの位置に居る。この位置で座して戦場を見下ろしている。安全地帯から貴様等は死ねと言う事が出来る」
バボックは再び大総統の椅子に座し、両手を組み合わせる。
彼の表情に先程までの無垢さはない。
ただ濁った目をして、腐ったように表情を歪ませて。
純然な笑みを浮かべて、嗤っていた。
「……だが、それはあくまで言葉だ。私は部下が死ぬ瞬間など数えるほどしか見て居ない。そしてその度に恐怖に戦慄したものさ。それを味わって狂わない君に対し、狂人ではないかと問うのは当然の摂理ではないか?」
「……俺が狂人という事は敢えて否定しねぇ。だがな」
喰い殺すかのような眼光を呻らせ、ゼルは牙を剥く。
それを受けてもバボックは相変わらず純然な笑みを浮かべたままだった。
「……帰る」
この男と話し合っても無駄だと再認識したゼルは踵を返し、扉へと向かって行く。
バボックは何処か残念そうにもう帰るのか、と問うが、ゼルから答えが返ってくる事は無い。
だが、ただ一つ。言い残した言葉があった。
「……お前はいつか死ぬぞ。無残に、惨たらしく、因果応報にな」
顔すら向けられず、吐き捨てられた言葉。
それを最後に執務室は静寂に包まれ、大総統の椅子に腰を沈める男はにこや
かな笑みを浮かべた。
「……あぁ、望む所だよ」
何かに期待するように、何かを希求するように。
ただ、純然に狂い濁った瞳の奥に、それを見つめて。
その狂人は、嗤っていた。
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