光の剣と焔の狗
「……デカいなぁ、おい」
ゼルの眼前に聳え立つのは山だった。
精霊山・ザガンノルド。
上級精霊すら超える最上級精霊であり、その巨大さは一国の半分を潰すほどである。
また、その大きさ故か身体の上半分は苔や木々で覆われており、山とだけでなく森や島とも言い換えられるだろう。
何にせよ、ザガンノルドからすればゼルは羽虫どころか砂の一粒ですらなく、埃の一片に等しいだろう。
事実、眼前に居るザガンノルドの視界にゼルは映っていない。
事実、眼前に居るゼルの視界はザガンノルドに覆い尽くされている。
事実、ザガンノルドがその巨大な、余りに巨大な脚を止める事はない。
「ちょっとぐらいこっち見ろよ、おい」
ゼルの数メートル隣に振り下ろされた巨脚。
それだけで砂地は陥没し、ゼルの爪先から脳天までを凄まじい衝撃が襲う。
彼の頬先を伝う汗すらも、その震動により砂地へと落ちていった。
「あー、ナガルクルドの方を選べば良かったかなぁ」
だが、今更それを言っても仕方ない。
どうせ今頃は何処ぞの四天災者サマが羽虫を払うが如く、砂を払うが如く、埃の一片を払うが如く。
全ての破壊獣・ナガルクルドを蹴散らしているだろうから。
いや、燃やし散らしているだろうから。
「……今更か」
気怠そうにため息をつきながら、彼は苦笑の笑みを浮かべる。
自分が今すべきことはこの山を止める事だ。
……いや、殺す事だ。
「鉄縛装・解除」
彼は鉄の義手を伸ばしきり、その肩部分にある拘束具を外す。
義手の肩部分を覆っていた拘束具はそのまま同部に収納され、納めていた物を露わにする。
彼は収納時の金属音を聞くなり、深緑の眼光を鋭く細めた。
その眼光に慈悲はなく、ただ殺意があるのみ。
「輝鉄の剣王」
ザガンノルドはそれを察知していた。
先程まではどうと言う事は無い、ただの埃の一片でしかなかった存在。
それが放つ異質なまでの殺気と存在感を。
{……ゥゥ}
そして、ザガンノルドの瞳には映っていた。
眼前の男が人から、人ではない存在へと成り果てるのを。
「……さァて、始めようか。御山の大将!」
「詰まらんな」
一方、ゼルよりも少しベルルーク国側に居る、イーグ。
彼の周囲には幾百幾千というナガルクルドが集結していた。
だが、その幾百幾千の破壊の獣が彼に攻撃を仕掛けることはない。
と言うのも、イーグの周囲に散らばった幾つもの死体が原因だからだ。
「……嗚呼、全くもって」
その言葉を彼が繰り返すのには訳がある。
イーグがこの破壊獣・ナガルクルドの軍勢に突っ込んだとき、破壊の獣は獲物が来たと言わんばかりに一斉に襲い掛かった。
そこには比重差故の余裕はなく、イーグに対する恐怖心からの、突発的な行動だったとも言えなくはないかも知れない。
だが、破壊の獣のその警戒心は正しく正解だった。
いや、正解だからこそ、間違いだったのだ。
「詰まらん」
彼の眼下で焼け死に、屍の灰燼と化させた一体のナガルクルド。
その破壊の獣は真っ先に彼へと殴りかかり、そして。
何の動作も行わなかったイーグを守る炎の障壁により、拳を燃やされた。
そこから一瞬で炎は全身へと伝達し、数十秒としないうちに、そこには死体が出来ていたのである。
その一連の出来事が指し示すのは圧倒的な実力差であり、ナガルクルドの認識は眼前の存在を敵としてではなく、天敵として認めさせる。
そうなれば当然、迂闊に動く訳にもいかないだろう。
ナガルクルドは決して知能は高くない。
だが、生物としての闘争本能は上級精霊と称されるだけ合って非常に高い。
だからこそ、この場は迂闊に動かず、隙を見て数で圧倒する。
そういう結論に至ったわけだ。
非常に真っ当で、非常に簡潔で、非常に確実。
質には数。嗚呼、数で押し潰すという道理は罷り通っている。
だが、それは結果的に。
彼等の死期を早めることとなった。
〔卍炎の元に灰燼と化す屍〕
突然、イーグが呟きだした言葉。
それは上級魔術、及び上級魔法使用の際に特定の言葉を唱える事で魔力消費を抑える、所謂、[詠唱]だった。
ファナの[真螺卍焼]にも適用された物であり、その詠唱の元に生まれる魔術及び魔法の威力は驚異的な物となる。
〔灰は黒、骨は白。屍を貪る狗の目に映るは紅蓮の鎖〕
坦々と述べられるその言葉。
その一文字一文字ごとに、イーグへと魔力が収束していく。
ナガルクルドはそれを直感的に感じ取り、同時に相手が行動を起こしたことを理解した。
それと同時に、この言葉の羅列を完成させてはいけない事も。
{{{ウ゛ォォォオオオオオオオオオオオオ!!!}}}
何十体ものナガルクルドが咆吼し、拳を振り上げ、進撃する。
眼前の羽虫ほどしかない、男へと向かって。
〔焔の首輪で飼い慣らされ、我が元に顕現せよ〕
だが、それよりも数秒早く。
イーグは詠唱を終え、魔力を収束し終わり、それを発動させた。
〔灼炎の猟犬〕
彼の両隣に出現したのは、二匹の狗だった。
だが、その姿は現世でのそれとは大きく異なる。
いや、形はほぼ同じだし大きさも変わらない。
ただ違う部分があるとするならば、それはその狗の身体を構成するのが全て焔だという事だろう。
{{{ヴォォオオオオオオオ!!}}}
だが、その焔の狗程度ではナガルクルドは止まらない。
その狗にどのような力があるか計り知れないが、それでも所詮は羽虫よりも小さな、砂粒でしかない。
潰せば良い。自らの質量を持って、悠然と。
全力で踏み潰せば如何なる効能だろうと関係はないのだから。
「獣にしては悪くない判断だ」
ナガルクルドは羽虫の羽音など聞かずに、豪快に巨脚を振り落とす。
だが、その場には既に焔の狗の姿はなく。
自分の視界は暗転し、感覚は全て途切れ失せる。
「だがな、良い事を教えてやる」
イーグへと幾十の拳が振り下ろされるも、それらは一つとて彼に届く事はない。
一つは彼の炎の障壁に阻まれ、一つは空中で切断され、一つは振り下ろす力を失って地面に崩れ落ちる。
その間、イーグは指先一つ動かさず、汗一滴すら流さず、嗤っていた。
「猟犬は、獣を狩るための狗だ」
彼の笑みを表すかのように、数々のナガルクルドは次々と地に落ちていく。
破壊の獣は自らの首筋を的確に破壊され、何があったかを理解する間もなく死していくのだ。
その破壊の獣の首筋を噛み千切り、いや、焼き千切る二つの紅蓮の影。
牙は皮膚を焼き裂き、肉を焦がし、血管を食い千切る。
ナガルクルドの肩から肩へと飛び渉るその姿は正しく猟犬。
獲物を喰らう、猟犬なり。
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