迫る丘と山
「……ふむ」
イーグは白手袋を纏った手で微かな顎髭をなぞるようにして、何かを観察するように唸りを上げた。
眼前ではウォータの海を撃ち裂き、ヨーラとオートバーンが破壊獣・ナガルクルドを壊滅させている。
既にナガルクルドとウォータの半数は壊滅しており、このまま放置していても何ら問題はないだろう。
その背後から迫る一軍の存在さえなければ。
「お次は破壊獣・ナガルクルドの軍団と[精霊山・ザガンノルド]か」
海の次は丘となり、破壊獣・ナガルクルドは砂漠を覆い尽くしていた。
それだけでも充分に驚異過ぎると言うのに、その背後には余りに巨大な存在があった。
破壊獣・ナガルクルドを丘と例えるならば、精霊山・ザガンノルドは山とも言えるだろう。
四肢を地に着かせ、背中には大量の苔や、果てには木々まで生えている。
ザガンノルドの四肢は言うまでもなく巨大で、その一足はナガルクルドすら踏み潰すだろう。
故に、一足一足が大地を揺るがし、砂場を陥没地とするほどだ。
「……最上級精霊、精霊山・ザガンノルドか?」
「残念ながらな。全く、これは本当に戦争でも起こすつもりらしい」
上級精霊ならば巷の召喚士でも使役することはある。
だが、最上級精霊となれば話は別だろう。
最上級精霊とはその名の通り精霊の中でも最上級に位置する存在だ。
それを使霊として使役出来るレベルの召喚士は決して多くなく、世界にも数えるほどしか居ないとゼルは記憶している。
だからこそ、この状況は酷く異質、異端、異常。
最上級精霊が出張ってきた時点で、これはもう[事件]程度の言葉では片付けられないだろう。
「……ネイク達はこっちのウォータ共を任せるとするか。我々はあの山を処分するか?」
「待て、何で俺にそれを言う」
「ザガンノルドをどうにか出来るのは精々、貴様と俺ぐらいだからだ」
「テメェが本気を出せば一瞬だろうが」
「敵の前で本気を出す阿呆が何処に居る?」
「な……」
本国の危機だというのに、この男は何を抜かしているのか。
精霊山・ザガンノルドは歩くだけで国を潰すような存在だ。
このまま放っておけばベルルーク国は半分以上を更地に変える事となる。
ウォータの海より破壊獣・ナガルクルドの軍勢よりも、遙かに驚異だというのに。
……いや、だからこそだ。
この男は[その程度の驚異]だからこそ、慌てることはないのである。
「ところでゼルよ、コインを持っているか?」
「……一枚ならな」
「そうか。では、その使い方も解るだろう?」
非常に複雑な表情のまま、ゼルは懐からコインを取り出した。
機械の義手でそれを持った彼は親指と丸めた人差し指の間にそれを挟み込み、空中へと弾き上げる。
「表だ」
「では、俺は裏でいこう」
彼等はそれぞれ表と裏を指定し、コインが舞い落ちてくるのを待つ。
ほんの数瞬後にゼルの手の甲へとコインが落下し、彼はそれがそこから落ちないようにもう片方の手で押さえ込む。
「……」
少しの、微かな静寂。
彼等はそれを味わってから吐き出すようにして視線を合わせる。
ゆっくりと掌を退けたゼルと、それを待ち構えるイーグの瞳に映ったのは、裏を向いたコインだった。
「裏だな」
「……チッ」
「俺がナガルクルドを殺る。ゼル、貴様は」
「ザガンノルドか……」
必死にウォータの海と数十体のナガルクルドを相手取るベルルーク国軍及びサウズ王国騎士団も、後方より迫るその存在に感付いたらしい。
各々に絶望の表情を浮かべながら、無念の呻きを零し始める。
現状の敵戦力ですら拮抗に等しい微少な優勢状態だと言うのに、追加戦力など来られては、傾き駆けた天秤が再び敗北へと落ち込んでしまうのは明らかだからだ。
「リミッターを解除する。巻き込まれるなよ」
「抜かせ。俺を誰だと思っている?」
「……四天災者、[灼炎]サマだよ」
イーグは白の手袋を脱ぎ、火傷の刻まれた皮膚を外気に晒し。
ゼルは白銀の刀剣を投げ捨て、鉄の義手を太陽へと照らし出し。
優々と、海を踏み締め、巨大な屍の隣を通り過ぎて。
彼等は進撃する丘と蹂躙する山へ向かって、歩き出す。
「……っ!」
デイジーの一撃が数匹のウォータを弾き飛ばし、その命を絶つ。
だが、その腕には微かながらも疲労の色があった。
彼女の武器、ハルバートはその一撃一撃が高威力であり、自身の防具も軽甲と非常に速攻に適した装備である。
単体相手ならば特攻戦法が上手く噛み合うだろうが、これは集団戦だ。
デイジーの戦法は言うまでもなく体力を消費する。
故にこの様な戦場では真っ先に力を失うタイプだ。
疲労すればするほど戦場では死亡率が上がる。
つまり、デイジーは既に戦場に立つべき状態ではない。
「うわぁああああああああああ!!」
だが、こうして眼前で人が妖精に襲われているというのに、見捨てる事が出来ようか。
いや、出来るはずがない。
その襲われている人物が例えベルルーク国の人間であろうとも、見捨てる事は自らの精神に反する事だ。
「つッ!!」
彼女の放った一撃はベルルーク国軍兵士へ飛び掛かるウォータを引き裂いた。
だが、それと同時に彼女の膝はがくりと崩れ落ちる。
遂に疲労が最高潮まで達し、彼女の全身から力が抜け落ちたのだ。
デイジーは膝を突き、武器を落とし、息を切らす。
指先が動かない。全身の酸素が搾り取られ、吐き出してしまったかのように。
{きゅぴっ}
眼下でそれは小さな声をあげた。
可愛らしい、純情無垢な声。
だが、それはデイジーに向けた声ではない。
その背後の、全ての仲間へと向けた声。
目の前の女性へと飛び掛かる仲間へとかけた、声。
「しまっ……」
数は質を制す。
ウォータの何十倍とある大きさのデイジーですらも、数十体のウォータによれば全身を引き裂かれる事となるだろう。
体力がなく反抗する事が出来ない彼女を待つのは、無残に散らばる己の肉塊という未来のみ。
「油断大敵ですわぁ」
弾け飛ぶ数発の発砲音。
それは数十体のウォータを等しく貫き、屍を生み出す。
「……この狙撃」
ハルバートを杖代わりに立ち上がった彼女の視界に映った物。
それは城壁の上で漆黒の光を放つ、見覚えのある銃口だった。
「サラか……!」
にこりと笑んだ彼女は再びスコープに瞳を付け、照準を定める。
サラによる高所からの狙撃は、一発で数体ものウォータを撃ち殺す。
そして、それは彼女だけの弾丸ではない。
「うぃー、狙撃部隊前へGOー」
気抜けた少女の声と共に、城壁の上部には幾百もの銃口が現れる。
それらの中心に立った少女は小さな腕を振り上げており、そして間もなくそれを振り下ろした。
「撃てぇー」
戦場へ容赦なく、幾千と降り注ぐ鉛の雨。
だが、その雨に打たれるのは、いや、撃たれるのは幾億の妖精のみ。
彼等の眼下に位置する海は最早、湖程度の物となっていた。
「反撃開始ですわぁ」
「ウチの軍隊舐めるなよー」
読んでいただきありがとうございました
そして、今話で何と百部達成でございます!
ここまで続けられてきているのも偏に読者の皆様のお陰です
これからも頑張って連載を続けていきますので、どうかご愛読よろしくお願いします!!




