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夢人

作者: 西原あんず

学校に行きたくないな。明日も休もう。だって窮屈で息苦しいもん。沙映子は大きな溜め息をつきながら、部屋の窓の縁に頬杖をついて遠くの星を眺めていた。


「暇なら少し、付き合ってくれないか?久しぶりに話し相手が欲しいんだ」


唐突に現れた知らない男…その上、どうやら相手は空を飛んでいるようなのに、沙映子は全く驚かなかった。黒髪に眼鏡をかけた細身の青年で、茶色のショルダーバックを大事そうに肩から提げている。上着のセーターは、冴映子の通う高校の制服と良く似ているけれど、チェック柄のズボンはこの辺りの高校にはないデザインだ。冴映子は恐怖に怯えるどころか、男に質問を投げかけていた。


「あなたは誰?」

「旅人」


旅人と名乗った男の唇が、緩やかに弧を描いた。眼鏡をしているので表情は読めなかったけれど、この人は信じても大丈夫、と冴映子は直感的に、そう感じ取っていた。


「旅人さんは、私の退屈を紛らわしてくれるの?」

「勿論。行こうか」


女の勘とでも言えるだろうか。根拠のない自分の第六感に従い、素直に旅人に右手を預けると、そのままぐっと引き上げられ、いつの間にか冴映子も宙に浮いていた。急なことに驚いた冴映子が、思わず旅人のセーターに掴まると、旅人は悪戯っ子のような視線を冴映子に向けて言った。


「心配しなくても、全て世界が上手くはからってくれる。この世界を楽しみたければ、深く考えず、成り行きに身を任せて」


耳元でゆっくりと囁かれる言葉が胸にしっとりと落ちていった。旅人の声は冴映子を安心させた。


「じゃあ行くよ」

「うん!」


旅人に連れられた世界は、不思議な世界だった。冴映子の知っている夜の世界とは、似ているようで随分違うように見えた。


「空に電車が走ってる!」

「夜行電車さ。疲れた人はあれに乗って心を癒やしに行くんだ」

「心を癒やしに?」

「そう。あれに乗って星の側まで行くんだ。でも僕は、わざわざあれに乗らなくても、あの乗客と同じ気分を君に味わわせてあげることができるよ」

「今から、どこに行くの?」

「東京タワー。この辺では一番高い建物だから、きっと星を綺麗に見せられると思うんだ」

「楽しみだな」

「結構歩くよ。慣れるまで、このまま僕に掴まってるといい」


冴映子は真夜中の冒険に心を躍らせていた。空を走る車に危うく轢かれそうになって慌てて飛び退いたり、地上から延びている街頭の高さにびっくりしたり、旅人のエスコートのままに飛んだり跳ねたりしているうちに、あっという間に時間は過ぎていき、目的地が見える位置まで来てしまった。暫く歩いて疲れた冴映子を見て、旅人は手近な外灯のてっぺんに腰をかけた。


「少し休憩しようか。君はそこに座るといいよ」


旅人の指さす先には、何故か三日月が浮いていた。冴映子は恐る恐る、それに近付いた。冴映子の家のリビングにある肘掛椅子と同じような大きさで、つるっとして堅そうな見かけに反して柔らかく弾力がありそうで、座り心地もなかなか良さそうに見えた。冴映子は思い切って月に腰かけ、想像と違わない感触に満足し、足を休めた。旅人の方を見ると、冴映子の家に顔を出した時から大事そうに抱えていたショルダーバックを開いて、中から粉を掬い取り、それを口元に運び、息を吹きかけていた。水を掬うような仕草だけど、飲んでいる訳ではないらしい。


「旅人さんは、何をしているの?」

「見ての通りさ。星を浮かべてる」


好奇心に耐えきれずに尋ねた冴映子に、旅人は言葉よりも明快な答えをくれた。旅人が息を吹きかけた粉は星へと姿を変え、沙映子を元気づけるように冴映子の周辺をキラキラと囲った。様々な大きさの星々に囲まれた冴映子は、眩しくて目を細めた。


「東京タワー、もう行かなくていいや」

「どうして?」

「ここからでも見えるし…それに充分、星が綺麗だから」

「君が言うなら、それで」


旅人は小さく笑うと、いつまでも星を夜空に浮かべ続けていた。

帰りは空を走るタクシーに乗せて送って貰った。


「ありがとう。久しぶりに楽しかった」

「それなら良かった。僕も楽しかったよ」

「ねぇ、また会える?」

「それは…沙映子の夢の道が、僕の進路と合えばね」


気づいたら朝だった。旅人と話していた時から、何となく夢とわかっていたけど、儚い。空を見上げたら、まるで線路の跡のような飛行機雲を見つけて、沙映子はほんの少しだけ元気になった。



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