09.改定案
規定というものは、2種類に分かれるのよね。
1つは、誰かの怠慢を隠すために置かれた、壊してもいい壁。
もう1つは、明確な理由があって、制度を守るために置かれた、壊してはいけない壁。
勇者庁の『食品差し入れ不可』は後者ね。
そこは認めるのよ。毒だの腐敗だの運搬の手間だの。言われてみれば全部その通りだし。理屈が通っている相手に「熱意で通しなさい」と喚くのは愚か者がやることよ。
でも、理屈が正しいことと、わたしに都合がいいことは、まったく別の話なのよね。
というわけで現在、自室のいつものテーブルでフィアと作戦会議中。
昨夜、フィアの報告を聞いてから書き直した見出しは、我ながら完璧な出来栄えね。
『勇者庁・物資管理規定改定案(イルデイン公爵家・私案)』
うん。いい。
こういう理路整然とした字面、見ているだけで血が騒ぐのよね。喧嘩ではなく提案。わがままではなく改定。言葉の選び方1つで、ただの石ころも宝石に変わる。言い方って大事よね。
「お嬢様」
向かいで紙束を整えながら、フィアが言った。
「その顔、あまり良くない方向に楽しんでるときの顔です」
「失礼ね。最高に良い方向よ」
「毎回そう言うんですよね」
「毎回、結果を出してるでしょ?」
「私の仕事が劇的に増える、という結果を、ですけど」
そうね。それは否定できないかもね。
「それで、ですが。改定案を考えるのはいいとして、どうやってこれを通すんですか?」
「世論を味方につけるのよ」
「世論、ですか」
「つまり、他の貴族令嬢たちの総意を、目に見える圧力に変えるのよ」
「令嬢たちの、ですか」
「イルデイン家の夜会を思い出しなさい。あの子たち、揃いも揃ってエトル様を狙って目を光らせてたでしょ?」
「それは……はい、そうですね」
「利害は一致してるってこと。勇者庁の規定で『善意の差し入れ』が一律で切り捨てられてるなら、不満を溜め込んでる令嬢はごまんといるはずよ」
フィアは少し黙った。こういう時、この子は必ず頭の中で情報を並べ替えてから喋るのよね。
鋭い指摘が来る予感。
「……それだと、他の令嬢にも、勇者パーティに近づく機会を与えることになりませんか?」
……それは、そうね。
部屋が一瞬だけ静かになる。窓の外で鳥が鳴いた。こういう時に限って妙にのどかなの、なんなのよ。
「お嬢様?」
フィアが小首をかしげる。
「そこは強気じゃないんですか?」
何よそのわざとらしいポーズと言い方。
言いたいことは分かるけどね。ここで「かまわない」と即答した方が、たしかに格好はつくのよ。悪役令嬢としての見栄えもいいし。
でも、見栄だけ張ってあとで自分が不利になるのは、わたしの美学に反するのよね。悪役令嬢なんて演技なんだから。
「強気よ。強気だけど、戦場を広げれば敵も増える。その程度の計算はできてるのよ」
「いまの切り返し、少しだけ格好いいですね」
「少しだけ?」
「半分くらいは」
フィアが口元だけで笑った。ほんと、遠慮がない。
でも、この適度な冷や水のおかげで頭がクリアになるから、ちょうどいいのよ。
わたしは椅子にもたれて、夜会の光景を思い出す。
扇の向こうで交錯する視線。探り合うような微笑み。エトル様が通るたびに、あからさまに変わる空気。あれはただの好奇心じゃない。『機会』を狙う目だった。
だったら、使える。最大限に活用してあげる。
「いい?」
わたしは人差し指を立てた。
「好機を与えるのは事実よ。でもね、『議題』と『主導権』まで渡す必要はないのよ」
「はい」
「お茶会を開くのはわたし。招待するのもわたし。話す順番も、論点も、最初の叩き台も、全部こっちで完璧に用意するのよ」
「それは世論を聞く、というより」
「世論を作るための場を、わたしが設計するのよ」
フィアが、少しだけ目を丸くした。
「お嬢様、そういうのほんとうに得意ですね」
「待ってるだけの世論なんて、遅すぎて使い物にならないでしょ」
「はいはい」
「何よその適当な返事」
「全力で褒めてます」
わたしは新しい紙を1枚引き寄せて、見出しを書く。
『令嬢意見交換会(建前)』
『勇者庁差し入れ規定に関する要望整理』
「建前、って書くんですね」
「書くでしょ。自分が何をしてるかを見失わないためよ」
「本音の方も書きます?」
「もちろんよ。他の令嬢たちの本気度を測って、味方になりそうな子を選んで。ついでに、誰がどれだけ底が浅いか確認するのよ」
「最後の、性格出てますね」
「悪役令嬢だし」
言ってから、少しだけ気分が良くなった。
そうよ。こういう時にこそ、それっぽく振る舞わなくてどうするの。
「ですが」
フィアが指先で紙をとんとん、と叩いた。
「勇者庁に突きつける提案にするなら、令嬢側の不満だけを集めても弱いですよね」
「うん、それは分かってる」
「勇者庁側の都合――現場の負担、安全性、運用の手間。その論点がないと、結局は『貴族のわがまま』で終わります」
「そうね。だから、あなたが必要なのよ」
フィアが一瞬だけ黙った。
正面からそう言われるとは思っていなかった顔ね。ふふん、たまには素直に言うのよ。
「フィア」
「はい」
「わたしは令嬢たちを集める。あなたは、勇者庁の情報を集めて。事務官でも補給担当でも受付でも、話を聞ける相手から徹底的に聞き出すの。何に困っているのか、どういう条件なら通せるのか、どこが増えると業務が回らないのか」
「はい」
「票だけあっても通らないし、理屈だけあっても人は動かないでしょ。両方揃えて初めて、ひっくり返せるのよ」
「その台詞、さっきよりずっと格好いいですね」
「当然でしょ。ずっとってどれぐらい?」
「ほとんどです」
「全部にしなさいよね」
フィアが笑う。わたしもつられて笑った。
こういう役割分担は好きなのよね。わたしは場を作る。フィアは実務の穴を埋める。どちらが欠けても完成しない。こういう仕事の仕方は、すごく気持ちがいい。
「招待する令嬢は絞りますか?」
「うん。勇者狙いの本命どころと、頭が回る子を何人か選ぶから」
「『悪役令嬢』と自称して噂もされているお嬢様のお茶会に、都合よく人が集まりますか?」
「他領の連中なら警戒するでしょうけどね。今回呼ぶのはイルデイン領の貴族令嬢たちよ」
「ああ、なるほど」
「領内の人間なら、わたしの悪名が計算ずくの誇張だって気づいている家も多いし。それに、いくら裏で陰口を叩こうと、領主であるイルデイン家からの招待状を断れる家なんてないでしょ」
「五大貴族の圧力ですね」
「そこに『勇者庁への支援について、情報交換の場を設ける』とでも添えておくの。エトル様にすり寄りたい子たちの強欲さは、ちょっとした警戒心なんてあっさりと上回るのよ」
お茶飲み仲間の集まる、生温い仲良しサロンを開く気なんてないのよね。集めるのは、利害で繋がった実務的な派閥よ。だからこそ使えるの。
「令嬢たちの欲望を、そのまま手札に使うのですね」
「こう見えて悪役令嬢やってるのよ、わたし。使える人間は、身内からでもきっちり絞り上げるのよ」
わたしは招待候補の名前を書き始めた。
夜会での視線の動き、話し方、家の立場、母親の性格まで思い出しながら。こういう情報、ちゃんと記憶してるのよ。興味がないように見えても、見てないわけじゃないんだから。
「お嬢様」
「なに?」
「一応の確認ですけど」
「うん」
「これって『エトル様を射止めるための恋の作戦会議』じゃなくて『規定改定のための意見交換会』なんですよね?」
「表向きはね」
「表向きじゃなくて、少なくとも半分はそれでいてください」
「半分でいいの?」
「では8割で」
「そこは全部じゃなくていいの?」
「前提は残してあげようかと思いまして」
「それはお気遣いありがとう」
わたしは立ち上がって、テーブルの上の羊皮紙を美しく並べ直す。
規定を破るつもりはないの。でも、規定が『全部駄目』で止まっているなら、そこに『安全に通せる新たな枠』を作る余地はあるはずよ。善意を切り捨てるだけの制度は、長く続けばどこかで軋むものだし。だったら、軋む前に形を変えてあげる。ついでに、わたしの道も作るのよ。
悪くない。むしろ、すごくいいじゃない。
「よし。3日後でいける?」
「早いですね」
「遅いと先に別の噂が走るでしょ。議題はこっちで出すの。先手を取るのよ」
「はい」
「あなたは明日から勇者庁をお願いね。令嬢たちを黙らせられる現場の理屈を持って帰ってきて」
「承知しました」
「あとね、クランベル様に会ったら、面白がられない程度にだけ話しなさい」
「難しい注文ですね」
「そこをなんとかお願い」
「出ましたね、便利な言葉」
「便利だから使うのよ」
「使う側には、でしょうね」
失礼ね。と思ったけど、言い返す前にフィアが少し笑ったので、まあ許してあげることにする。あの笑い方は、ただ呆れているだけじゃない時の、信頼が混じった笑い方だし。
わたしは新しい紙を引き寄せて、力を込めて書き込んだ。
『第1目標:令嬢側の総意を形にする』
『第2目標:勇者庁側の都合を把握する』
『第3目標:規定改定案(叩き台)を作る』
他の令嬢に機会を与える?
結構じゃない。
その代わり――議題も、順番も、最初の一手も、すべてわたしがいただくんだから。




