08.窓口
翌朝。私は馬車で勇者庁に向かっていた。
お嬢様の発想自体はいいと思う。差し入れで印象を残すというのは、いかにもお嬢様らしい。
だけど、その差し入れが『食べ物』であることに、私は引っかかっていた。
貴族街を抜けると、街並みが変わる。石畳の幅が広くなり、建物の装飾が減って、代わりに看板と荷馬車が増えた。パン屋の煙突から白い煙が上がって、荷馬車の車輪が石畳を叩いている。
勇者庁に着いた。
正面の入口は人の出入りが多く、勇者、役人、使者、兵士、商人と、それぞれが急いだ足取りで行き来している。昨日の夕方に来た時と人の種類は同じでも、空気と流れが違っていた。こういう場所にお嬢様がいたら、用件より先に視線が集まって仕事にならないだろう。今日欲しいのは注目ではなく、情報と確実なルートなのです。
窓口でイルデイン家の名代だと名乗り、勇者パーティへの差し入れについて相談したいと伝えた。
先客が3人ほどいたので、壁に貼られた案内書きを眺めながら順番を待った。
対応してくれたのは、年配の事務官だった。白髪交じりの髪をきっちり撫でつけた男性で、声は穏やかだけれど、目は忙しそうに動いている。態度は柔らかくても、情では絶対に規則を曲げない。そういう雰囲気が伝わってくる方だった。
「差し入れ……贈り物、でございますね」
「はい。遠征のお邪魔にならない形でと思いまして、まずは規定を伺いに参りました」
「ご配慮、痛み入ります」
丁寧だけれど、同じ説明を何度も繰り返してきて慣れている、そういう受け答えだった。
「まず前提として」
事務官は手元の書類を1枚引き抜いた。
「勇者パーティ宛ての贈り物やお手紙は、すべて当庁の窓口で一括して受け取り、管理しております」
「はい」
「ただし、食品につきましては、原則としてお受けしておりません」
食べ物は受け付けない。嫌な予感はあった。予感というか、確信めいたものだったのだけれど。お嬢様の差し入れ計画が、頭の中で静かに灰になった。
「毒物混入などの懸念でしょうか」
「それもございますが、悪意がなくとも移動中に傷む可能性がございます。何より不特定多数からお持ち込みいただきますので、安全の確認、保管、運搬のすべてにおいて、現場の負担が大きすぎるのです」
建前だけでない説明は安心できる。
「未開封の市販品や、日持ちのする焼き菓子なども難しいですか?」
「規定上、お断りしております。例外を設けますと『なぜあちらは良くてこちらは駄目なのか』という線引きのご説明に追われ、窓口の業務が完全に滞りますので」
お嬢様が聞いたら「合理的ね」と唸ったあとに唇を尖らせそうな言い回しだった。実際、反論の余地がないほど合理的だと思う。
「差し入れをお送りしたいという方は、やはり多いのですね」
「ええ、たいへん多くいらっしゃいます」
事務官は少しだけ苦笑した。
「純粋にご恩を感じておられる方、応援されたい方、そして――お名前を売りたい方など、様々です」
「はっきりおっしゃるんですね」
「はい。はっきり申し上げないと、この窓口は回りませんので」
「受け取られた物品の記録はどうされていますか?」
「差出人のお名前、品目、受け取り日時は厳密に記録いたします。ですが、お渡しする際は他の方のものとまとめてお届けすることになります」
「ありがとうございます。たいへんよく分かりました」
深く礼をして窓口を離れた。
昨日お嬢様と話した懸念のとおりで、規定に乗せれば、公爵家だろうと平民だろうと公平に扱われる。公平に、完璧に埋もれてしまうということだった。
頭の中でお嬢様の顔が浮かぶ。
おそらく最初は「理由は?」で、次に「合理的ね」。その後、明後日の方向へ跳んで新しい問題……私の仕事が生まれそうですね。
胃を押さえたい気持ちで出口に向かっていると、正面からちょうど入ってきた方がいた。
「おや、フィアマリナさん」
クランベル様だった。
長い金髪に、ゆったりしたローブ。勇者庁に何か用事があって来たらしい。
「クランベル様」
「また勇者庁に来てるんだ。熱心だね」
「侍女の仕事ですので」
「便利な言葉だ」
「実際、とても便利ですよ」
出入口の前で立ち話をするわけにもいかないので、私たちは壁際に寄った。
クランベル様はそのまま壁にもたれかかった。自分の居場所を作るのが上手な方だ。
「で、どうだったの?」
「差し入れについて伺ったのですが。食べ物は原則として受け付けていませんでした」
「ああ、それはそうだ。通したら、窓口の人が上に怒られるだろうね」
「ですよね。お嬢様には、そのまま規定をお伝えします」
「そのまま伝えるんだ?」
「下手に柔らかくすると、お嬢様は裏を読み始めますので」
「よく分かってるね」
クランベル様は肩を揺らした。
この方は会話を楽しんでいる。日当たりのいいテラスから賑やかな通りを眺めるような目で、こちらの反応を見ている。ただ、悪意はない。少なくとも今のところは。
「でも、あのラテリナ嬢なら絶対に次の手を考えるでしょ。食べ物が駄目なら別の形で、とか」
「そうですね。規定そのものに喧嘩を売りかねないのが、お嬢様です」
「ふふ、それはそれで見てみたいな」
「見ている分には楽しいでしょうね」
「フィアマリナさん。人って、厄介な人間ほど記憶に残るものなんだよ」
笑いを収めたクランベル様は、真面目な目になった。
『厄介な人間』と聞くと、ついお嬢様の顔が浮かんでしまう。浮かんだけれど、おそらくそういう意味ではない。
「でもね、逆もあるんだ。『この人がいると仕事が楽になる』って相手も、同じくらい覚えてるものだよ」
からかい半分の方だと思っていたけれど、たまにはこういう本筋の、欲しかった答えをさらっと置いてくれるんですね。
「ありがとうございます。その言い方なら、きっとお嬢様に一直線で届きます」
「届くといいね。あと、僕の名前は出さなくていいよ」
「出すとお嬢様が不必要に燃えますので、出しません」
「大正解」
ひらひらと手を振って、奥へ歩いていくクランベル様を見送った。
言いたいことを言って満足したらしい。
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馬車で屋敷に戻る道すがら、報告の組み立てを考えていた。
お嬢様に伝えるべきことは3つ。食品は無理であること。規定に乗せると埋もれること。そして『仕事が楽になる相手は覚えられる』ということ。
順番が大事なのだ。最初に感情を刺激すると、今のお嬢様は感情のまま走り出す。事実の中でも刺激しないものを先に置いて、最後にヒントを添える。そうすれば、お嬢様の頭は勝手に最適な答えを組み上げてくれる。おそらく。きっと。お願いします。
考えているうちに屋敷に着いた。門の前で馬車を降りると、控えていた使用人に「お嬢様はお部屋です」とだけ言われた。
屋敷の階段を上がり、廊下を歩く。窓から差し込む光が傾いていて、屋敷の中は朝より静かだった。
お嬢様の部屋の前で深呼吸を1つ。ノックを2回する。
「入って」
部屋に入ると、テーブルの上は予想通り紙だらけだった。出かける前より確実に枚数が増えている。目を離すと紙が増える仕組みなのだ。
「おかえりなさい、フィア」
お嬢様がテーブルの紙を片側に寄せた。「座って」と促されたので、私も向かいに腰を下ろす。いつもの作戦会議の配置。
お嬢様は両手を組んで、こちらを見た。
「どうだった?」
「結論から言います。食べ物の差し入れは、勇者庁で原則受け取り不可です」
「理由は?」
「安全確認、保管、運搬において、現場の負担が大きすぎるからです。不特定多数から持ち込まれますし、悪意がなくても傷む可能性があるとのことです」
「……合理的ね」
「はい」
「合理的すぎて、面白くないのよ」
お嬢様は少し唇を尖らせたけれど、すぐに切り替えた。
「それで、その他の贈り物は?」
「差出人は記録されますが、他の方のものとまとめて扱われます」
「規定に乗せれば公平に扱われる。そして、わたしの差し入れはその他大勢に埋もれる」
沈黙が落ちた。
お嬢様はテーブルの上の紙を見つめると、何も書かれていない紙を引き寄せた。
「それと、お嬢様に1つお伝えしたい言葉があります」
「なに?」
「人は『厄介な相手』ほどよく覚えるそうです」
「それはそうよ。わたしも悪役令嬢として実践してるし」
「ですが、逆もあるそうで。『仕事が楽になる相手』のことも、同じくらい覚えていると」
「……仕事が楽になる相手」
「はい。そういう方のことは、書類ではなく人の記憶に残ると」
「誰が言ったの、それ」
「勇者庁の壁が言っていました」
「フィア?」
お嬢様が、おもちゃを取られた子どものような目でこちらを見た。でも追及はしなかった。情報の出どころより、情報の中身に興味がいったのだろう。
「はい」
「つまり、こういうことよね。食べ物で印象を残す道は塞がれた。でも、印象を残す道そのものが塞がれたわけじゃない」
「はい」
「相手は勇者個人じゃない。まずは勇者庁という巨大な『現場』の運用よ」
猛烈に嫌な予感がしてきた。
お嬢様が何かを思いついた時、それは私の仕事が何倍にもなるということなのだ。
案の定、とっておきの悪戯を思いついた子どものように、目をきらきらさせている。
「わたし、分かったのよ」
「お嬢様?」
「差し入れを強引に通すんじゃないの」
「はい?」
「通せる形を、わたしが作ってあげるのよ」
私は思わず額に手を当てた。最近、この仕草が確実に増えている。
「……勇者庁の規定に、ですか?」
「喧嘩を売る気はないのよ」
「本当の本当の本当にですか?」
「提案するのよ。現場が困らない形で、今より運用を良くする案を持っていくってこと。筋は通ってるでしょ?」
「筋は……通ってますね」
そう、筋が通っているから厄介なのだ。
ただの我儘なら止められる。だけど、お嬢様が『全体の利益』のために動き出すと、もう誰にも止められなくなる。帳簿の数字を整えるのと同じ手つきで、制度の穴を見つけて、塞ぎながら自分の道を通してしまう。
お嬢様は紙の中央に、迷いなく大きな字で書き込んだ。
『勇者庁・物資管理規定改定案(イルデイン公爵家・私案)』
始まった。始まってしまった。
「フィア」
「はい」
「まずは情報を集めて。貴族令嬢たちが何を贈りたがっているか、勇者庁側が何に困っているか。両方よ」
「……両方、ですか?」
「片方の意見だけじゃ、ただの我儘か愚痴で終わるでしょ。両方の不満を解決してこそ、提案なのよ」
「その台詞、少し格好いいですね」
「少しだけ?」
「半分ちょっとぐらいです」
私は小さくため息をついて、テーブルの上の紙束を整え直した。
どうせ止めても動く馬車なのだから、せめて転ばないように手綱を握る。それが私の仕事だ。
壁に一直線だった方が、扉の存在を思い出し始めている。これについては、悪くない兆しですね。




