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05.茶席

 お茶会の日の朝。


 目が覚めた瞬間から、頭の中が回り始めてた。

 昨日の夜は正直、あまり眠れなかった。緊張とかじゃないのよ。ただ、考えることが多すぎて、頭が勝手に動いてただけ。


 朝食を済ませて、髪を整えて、ドレスを選んだ。今日は柔らかい青。主張しすぎない色。相手が聖女様なのだから、こちらが派手に飾るのは筋が違うし。敬意を見せるなら、引くべきところは引く。それが品というものよ。

 今日は、正面からぶつかる日じゃない。だから悪役令嬢の仮面はいらない。「おーっほっほ」も黒い扇も、今日はお留守番ね。


 南の客間は、昼の光がきれいに入る部屋。壁は白に近いクリーム色で、椅子は濃い緑色のベルベットに金の縁取り。控えめだけど、ちゃんと五大貴族の家だって分かる空間。こういう『見せつけすぎない見せ方』は、うちの屋敷のいいところだと思う。わたし、こういう引き算の美学が好きなのよね。


 テーブルの上には、茶器一式。香りの強すぎない茶葉を2種。焼き菓子は3皿。見た目だけ華やかで食べにくいものは外したのは、フィアの意見を採用ね。悔しいけど正しかったから仕方ないのよ。あの子、こういう実務の判断だけは本当に的確なんだから。


 席は斜め。正面だと尋問みたいになるから。こういうの、わたしは分かるの。人と人との距離感は、椅子の角度ひとつでコントロールできるのよ。


 フィアが静かに椅子を引いてくれた。ああ、もう座る時間なのね。頭の中はまだ回ってるけど、ここからは心の中で復唱するだけね。


 背筋を伸ばしてそこに座る。

 最初の30秒。挨拶。謝罪。お礼。以上。

 結婚前提は言わない。仲間にしてくださいも言わない。お義姉様も言わない。

 なんでこんなに禁止事項が多いのよ。


「お嬢様」


 後ろに控えたフィアが、小さな声で呼ぶ。


「なに?」

「気合いが入りすぎてますよ」

「だって大事な日だし」

「お茶会です」

「大事なお茶会よ」

「大事なのは分かりますけど、もう少し力を抜いてください」


 力を抜けって言われて、すぐにできるなら苦労しないのよ。わたしは力を入れる方が得意で、抜く方が苦手なの。自覚はあるのよ、自覚はね。


「分かってるから。最初の30秒は穏やかにね」

「可能であれば30秒以降もお願いします」

「善処するから」

「そこがいちばん不安なんですけど」


 フィアの声にはいつもの呆れと『ちゃんと準備はしてきたでしょうね』という確認が混ざってる。混ざってるけど、逃げてないのよね。この子はいつもそう。文句を言いながら、ちゃんとここにいてくれる。


 ……少しだけ肩の力が抜けたかも。


---


 扉の外で案内の声がした。


 ――来た。

 呼吸を1つ。よし、いける。


 扉が開いて、聖女イリーシャ様が入ってきた。

 今日は夜会の時ほど、かしこまってはいない。明るい色のドレスに、亜麻色の髪を横でまとめたサイドアップ。前と同じ髪型だけど、光の加減が違うと印象も変わる。昼の光の下だと、もっと柔らかく見えた。


 立ち姿に無駄がないのよね。綺麗な人って、飾りが増えるほど映える人と、少ないほど映える人がいるけど、この人は後者ね。わたしと同じ側。そこは気が合いそうかな。


 そして、目が優しい。でも、それだけじゃない。ちゃんとこっちを見てる目だった。観察されてる、と思ったのよ。嫌な感じはしないし。値踏みじゃなくて「あなたは何を考えてるのかしら」という目。


 わたしは立ち上がって、膝を折って優雅にお辞儀をした。


「イリーシャ様、本日はお時間をいただきまして、ありがとうございますわ」


 出だしは完璧よ。


「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。ラテリナ様」


 見た目だけじゃなく声も落ち着いてる。昨日、笑いをこらえていた人と同じ人なのに、こうして向かい合うと空気が違うし。場に合わせて温度を変えられる人なのね。


「昨日の夜会では、わたくし、少々……いえ、とても順番を誤りましたの」

「率直でいらっしゃるのだと思いました」


 イリーシャ様が、ほんの少し口元をゆるめた。


「驚きはしましたけれど」


 でしょうね。わたしでも、他人にあれをやられたら驚くでしょうね。


「ですので、まずはお詫びをさせてください。それから、魔王討伐と、その後の各地でのご尽力に、敬意をお伝えしたかったのですわ」


 台本どおり。ここまでも完璧よ。

 後ろでフィアが、ほんの少しだけ息をついた気配がした。聞こえなくても分かるのよ。あの子が安心した時の空気の動き方は、身体が覚えてるんだから。


 揃って着席すると、お茶が注がれた。


---


 最初の数分は穏やかだった。

 天気の話、王都の空気、夜会の話題。イリーシャ様は話しやすい人ね。こちらが投げた話をそのまま返すんじゃなくて、少し整えて返してくれて。会話の形がきれいに続くのよね。


 話しながら気づいたんだけど、エトル様のパーティの中では、この人が空気を作ってるんでしょうね。ディノ様は正面から守る人。クランベル様は横で面白がりながら見てる人。エトル様は必要な時に必要なことを言う人。それで、その間の『流れ』を整えてるのがイリーシャ様。

 ますます重要人物じゃない。誰か、排除なんて言ってた2日前のわたしを叱ってきて。


「実を申しますと……本日伺うにあたり、少々警戒しておりました」

「まあ。わたくしを、ですか?」

「ええ。王都では、ラテリナ様の噂をいくつも耳にしましたから。冷酷で、目的のためなら容赦がない『恐ろしいご令嬢』であると。……どのような方か、まずは私が見極めねばと思いまして」


 ラテリナ、この大バカ者! 完璧な防壁だと思ってた仮面が、ここに来て最悪の障害になっているじゃない! 誰か過去のわたしを蹴り飛ばしなさい! 悪役令嬢なんてやるんじゃなかった!


「お恥ずかしい限りですわ。いささか、誇張されて伝わっているようですけれど」


 優雅に受け流して焼き菓子をすすめると、イリーシャ様はひとつ手に取って、丁寧に口に運んだ。小さく噛んで、ふっと表情がやわらぐ。


「……おいしいです。甘さがちょうどいいですね」


 イリーシャ様がもうひとつ手を伸ばしたのを見て、少し嬉しくなった。


「そうでしょう、イリーシャ――」


 危ない。舌の先まで『お義姉様』が出かかった。後ろでフィアが小さく咳払いした。声には出なかったのに反応が速い。


「……イリーシャ様のお口に合ってよかったですわ。わが家の料理人が得意としている焼き菓子ですの」


 焼き菓子をきっかけに、会話は食事の話へ、そこから遠征のことへと自然に広がっていった。


「旅の間は、やはり食事がいちばん大変ですね。保存のきくものばかりになりますから」

「干し肉のようなものになりますの?」

「ええ。あとは硬いパンや、乾燥させた果物。美味しいかと聞かれると……」


 イリーシャ様が少し困ったように笑った。


「慣れはしますけれど」


 魔王を倒した英雄たちが、硬いパンを齧りながら旅をしてるなんて。想像していたのとだいぶ違うし。勇者パーティでも、食事は単調になるのね。


 ……そういえば。さっき食べてもらった焼き菓子、日持ちするのよね。持ち運びもしやすいように作ってあるし。遠征に持っていけたら、少しは気分が変わったりするのかも。


 ――言いかけて、やめた。

 思いついたことを全部その場で言うのは、2日前のわたしのやり方だし。今のわたしは、もう少し賢いの。思いついたなら温めて、形にしてから出すのよ。


 話題が遠征の困りごとに広がったところで、わたしは少しだけ踏み込んでみた。


「戦えなくても、旅の外側から役に立てることは、もっとあるはずですわ」


 イリーシャ様が、ほんの少しだけ目を見開いた。

 昨夜の夜会でも、先ほどの挨拶でも見せなかった表情だった。


「……戦えなくても?」

「ええ。そういうことを、きちんと知りたいのですわ。現場で何が足りなくて、何が助かるのか」


 これは本心よ。作戦でもあるけど、本心でもある。そこが大事なのよね。作戦だけだと、こういう人にはたぶん見抜かれる。でも本心が混ざっていれば、言葉に芯が通る。わたしはそういうことを信じてるから。


 まっすぐ見つめ返すと、イリーシャ様は、ふっと柔らかく笑ってカップを静かに置いた。

 雰囲気が変わったの。さっきまでの『お茶会の笑顔』とは違うし、聖女の顔でもない。これが、本物の旅をしてきた人の顔なのね。


「……王都の貴族の方から、そういったことを聞かれたのは初めてです。皆さま、どれだけ華々しく魔物を倒したか、ということばかりお聞きになりますから」

「わたくし、英雄譚よりも帳簿の数字の方が信用できますの」

「ふふ。頼もしいですね。では、もう少し詳しくお話ししましょうか」


 そこからの時間は、正直、わたしが想像していた『聖女様とのお茶会』とはまるで違った。

 王都と地方での物資の違い。季節で傷みやすいもの。遠征先で手に入るものと入らないもの。宿が取れない日の野営の話。荷物の重さと、それを誰がどう分担しているか。


 イリーシャ様、綺麗なだけじゃない。現場の話ができる人だった。そりゃエトル様たちの隣にいるはずね。見た目だけの聖女だったら、あのパーティにはいられない。この人は、自分の手と足で、あの場所にいるのよ。


「荷物は基本的に各自で持ちますけれど、ポーション類だけは私がまとめて管理しています」

「それ」


 それ、大変じゃない? と思った。口まで出かかった。でも、ぎりぎりで止めた。


「……おひとりで管理されていますの?」


 フィアが後ろで小さく息をついた。たぶん、いまわたしが何かやらかしかけたけど止まったことに気づいて、安心した息。


「大変ですけれど、任せてもらえるのは嬉しいことですよ」


 こういう返し方をする人なのよね。重さを重さのまま見せないの。


---


 用意していた紅茶が空になって、予定していた時間は美しく終わりを迎えた。

 もっと話していたい気もするけど、今日のところはここで綺麗に終わらせるのが正解ね。


 扉の前まで並んで歩いて、お見送りをしようとした、その帰り際。

 イリーシャ様は、悪戯っぽく目を細めて笑ったの。


「噂というものは、本当にあてになりませんよね」

「えっ?」

「実は、ラテリナ様が過去に退けられたという方々について、少しだけ調べさせていただきました。見事に、裏で不正を働いていた方ばかりでしたね」


 調べたって、この数日で? お父様の権力で巧妙に隠蔽したはずの後処理の事実を?


「貴女が『悪役』として泥を被ることで、どれだけの人が救われたか。英雄譚にはなりませんが、私はそういう戦い方をされる方を、心から尊敬いたします」


 ――心臓が、大きく跳ねた。

 さすがわたしね、大正解じゃない! 美学の勝利ね! 悪役令嬢、やっててよかった!


「……もったいないお言葉ですわ」

「今日は楽しかったです。ぜひまた、お話ししましょう」


 イリーシャ様は上品に一礼して、客間を後にした。


 扉が閉まって、客間に静けさが戻る。

 わたしはしばらく姿勢を保ったまま、ふう、と長い息を吐いた。


 ――『また』。向こうから、そう言ってくれた。


 どうだった? と自分に聞く。

 完璧、ではなかった。お義姉様が出かかったし、途中で素も出かけた。でも、入口はできた。2日前には『排除』とか言ってしまってた相手に、ここまで来たのよ。

 上出来でしょ?


 後ろから、フィアが近づいてくる足音がした。


「お疲れさまでした」

「ねえフィア」

「はい」

「イリーシャ様の返し方。やんわり線を引くけど、道は残す。上手ね」

「そうですね」

「少し悔しい」

「はい」

「でも、次の機会があるかも」

「それは大きいですね」


 わたしは椅子にもたれたまま、少し笑った。


「ねえフィア。気づいたことがあるの」

「はい」

「パーティの枠を空けるんじゃなくて、枠の外に自分の役割を作ればいいのよ」

「……いい気づきだと思います」

「でしょ?」


 他にも、さっき温めたアイデアが形になり始めてる。遠征の食事が単調だって聞いた。うちの焼き菓子は日持ちする。持ち運びもできる。


「あとね、差し入れを考えてみようと思うのよ。遠征に持っていけるような」

「いいかもしれませんね。ただ――」


 フィアが少し考えるような間を置いた。


「勇者パーティへの物資の提供は、原則として勇者庁を通す必要があります。差し入れについては確認した方がよさそうです」

「なるほどね。じゃあ、まずそこから調べましょう」

「ですが、お嬢様」

「なに?」

「それを勇者様に言うのは、順番を考えてくださいね」

「分かってるから」


 たぶん、分かってる。少なくとも2日前のわたしよりは、ずっとね。


 ……お菓子だけで全部解決するつもりだったことは、少しだけ認めるけど。

 少しだけね。


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