04.招待状
お嬢様が「お茶会を開く」と言い出した。
勢いよく。たいへん勢いよく。羊皮紙に大きく書いて。ついでに私の仕事も増やして。
私は今、お嬢様の部屋のテーブルで、招待状の文面案を前にペンを止めている。
窓の外からは庭師が植木を整える音が聞こえる。穏やかな午後だ。穏やかなのは外だけで、私の頭の中はちっとも穏やかではないのだけれど。
背筋だけは伸ばしている。どんな状況でも姿勢を崩さないのは侍女としての矜持なので。でも気持ちとしては、両手で頭を抱えてテーブルに突っ伏したい。わりと本気で。
お嬢様は『お義姉様とお茶会をする』と決めた。
決めたのはいい。排除計画よりは一万倍いいし、方向としては正しい。そこは本当にいい。
だけど、お茶会というものは、気合いと焼き菓子だけでは開けない。馬に乗れるからといって馬車が造れるわけではないのと同じで、熱意と実務は別の話だ。
相手は聖女イリーシャ様。なんといっても、「結婚を前提に、仲間にしてくださいませ」を初手で叩き込んだ相手のお姉様である。お詫びと敬意と礼儀と距離感を、きれいに包んで差し出さないといけない。包装紙が1枚でも破れたら台無しになるような、そういう仕事だ。
つまり、段取りが必要となり、その仕事は結局いつも私のところに回ってくる。分かっていた。分かっていたけれど、分かっていることと受け入れることの間には、少しだけ溝があるのです。
「フィア、進んでる?」
後ろから、晴れた日の号令のような声が飛んできた。
さっきまで「お義姉様にはどれがいいのかな」と焼き菓子用の皿について悩んでいたのに、もう別のことを考えている声だった。お嬢様の頭の中は、馬車のようなものだ。行き先を決めたと思ったら、もう走り出している。私が手綱を握ってるつもりでいても、馬車は勝手に走っていく。
「進んでいます。私が進めています。私が」
「強調するのね」
「大事なことですので」
お嬢様が横から覗き込んできたので、紙を1枚そちらに向けて回した。
それには、お茶会の準備項目を書き出してある。
招待の名目、日程確認、場所、同席者、茶菓子、会話の順番。そして最後に1つ。
お嬢様は最後の行を見て、お菓子は決まった時間以外は駄目だと言われた子どものような顔をした。
「『禁止事項』ってなに?」
「必須項目です」
「わたしをなんだと思ってるの?」
「禁止事項を破る方です」
「失礼ね」
「では確認しますね。お嬢様、イリーシャ様にお会いして最初に何とおっしゃる予定ですか?」
「昨日は失礼いたしました、から入って――」
「いいですね」
「そのあと、お義姉様として」
「駄目です」
「早い!」
「禁止事項です」
お嬢様が腕を組んだ。納得のいかないポーズだ。ここからお嬢様を納得させないといけない。
「でも、お義姉様なのは事実でしょ?」
「まだそうなってはいませんよ」
「見込みとしてはあるじゃない?」
「見込みで呼び方に反映させないでください」
自分で言っていて、何の会話だろうとは思う。思うけれど、こういう細かいところを止めておかないと、あとで本当に大変になるのだ。身に染みて分かっている。
私は新しい紙を引き寄せて、上の方に大きく書いた。
『禁止事項(暫定)』
「『暫定』ってなに?」
「増える可能性がありますので」
可能性とは言ったけれど、ほんとうは確信がある。
お嬢様は、苦い薬を舌に乗せられた子どものような顔をして、向かいの椅子にすとんと座った。付き合う気はあるらしい。
「1つ。本人の前でいきなり『お義姉様』と呼ばないこと」
「保留ね」
「駄目です。1つ目から保留にしないでください」
「じゃあ『イリーシャお義姉様』は?」
「悪化してますよ」
「細かいのよね」
「細かいところで社交は決まりますので」
お嬢様は、そのまま椅子の背にもたれて、いかにも不満そうに鼻を鳴らして唇を尖らせた。
この『可憐な不満顔』に騙されて、自ら不利な契約書にサインをしてしまった哀れな貴族や商人を、私は両手では数えきれないほど知っている。黙って微笑んでいれば絶世の美女なのだ。かわいい顔してこういうことを平然とやるから、騙される人は騙されるんだろうなと思う。
「2つ。開口1番に結婚の話をしないこと」
「うん」
「3つ。開口2番でもしないこと」
「フィア?」
「4つ。パーティ加入の話をしないこと」
「それが目的なのに?」
「それで失敗したのが昨日ですよ」
「それは昨日の話でしょ?」
「昨日の今日です」
お嬢様がじっと私を見る。針のように鋭い目尻と、絹糸のような睫毛が、同じ顔の中で共存していた。
ここで目を逸らすと負けるので、私もじっと見返す。こうなるとは思っていた。どっちが先に折れるかの無言の勝負。ここで譲るとこの先の全部が崩れる。
…………。
……。
先にお嬢様が目を逸らした。よし、勝ちました。
「続けますね。5つ。『排除』という単語を使わないこと」
「それはもう撤回したでしょ?」
「ええ、撤回しました。ですが念のため、口癖みたいに出る可能性を潰します」
「わたしをなんだと思ってるの?」
「勢いで言葉を選ぶ方、ですね」
「まるでわたしが、いい加減な人間みたいじゃない」
「ですから、厳格にいきます」
お嬢様が小さく吹き出した。こういうやり取りで空気が軽くなるのはありがたいと思う。こちらはずっと胃の周りに重石が乗ってるような気分なので。
「6つ。勇者様を同席前提にしないこと」
「えっ?」
「えっ、じゃありません」
「でも、おね――イリーシャ様とお話しするなら、勇者様がいた方が早いでしょ?」
「早さの問題にしないでください。今回は順番の話です」
ここは、少し強めに言った。
お嬢様は、崖の手前で止まれない馬のようなところがある。走ること自体は間違っていないのに、止まるべき場所で止まらない。それを横で見ているのは、本人が思ってるよりずっと心臓に悪いのだ。
去年、お嬢様が早さを優先して悪徳商会を叩き潰した結果、その余波で王都の流通網が3日間完全に麻痺した。その尻拭いと各所への根回しで、どれだけ――。
私はペンを置いて、少しだけ声を落とした。
「まずはお詫びとご挨拶です。そこが通ってからですよ、次に進むのは」
「……そうね。分かってる」
小さく返ってきた声は、先ほどまでより少し真面目だった。
お嬢様は暴走するけれど、話を聞かない方ではない。タイミングと言い方さえ間違えなければ、ちゃんと受け取る方なのだ。走り出す前に渡せるかどうか、そこだけが問題なだけで。
「では、まずは名目ですが」
「うん」
ようやく本題に入れた。ここまでが長かったけれど、まだ入口なんですよね。
「候補は『夜会での非礼のお詫びを兼ねた茶席へのご招待』です」
「非礼……」
「非礼でしたよね?」
「……そうね」
「認めるんですね」
「うん、認める。少しおざなりだったのよね」
少し、で済ませるんだ。まあ、そこは突かないでおきます。先に進めたいので。
「場所はどうしますか?」
「庭園の東屋が綺麗だと思うけど、外はまだ少し寒いのよね」
「では南の客間にしましょう。日当たりがいいですし、出入りも管理しやすいです」
「管理ってなに?」
「余計な方を入れないための管理です」
「余計な方って誰?」
「お嬢様がその場で『勇者様も呼んで』と言い出したときに、本当に呼びに行ってしまう方です」
「そんなこと言わないのよ」
「言う可能性、ありませんか?」
「……少しだけね」
少しだけでも、あるんだ。ええ、分かってましたよ。
そこからは少しだけ進みが早くなった。
お菓子は甘すぎないものを中心に、見た目の華やかさより食べやすさを優先。お茶は香りが強すぎないものを2種。
席の配置でお嬢様が「正面だと尋問みたいになるから」と言って、斜めに向かい合う形を提案した。これには素直に感心した。お嬢様は、こういうところに鋭い。人の気持ちの動き方を、変なところで正確に読む。
「でも、もしイリーシャ様が難しければ、先にディノ様かクランベル様から――」
「まずはイリーシャ様です」
「まだ言い終わってないけど?」
「そこは最後まで聞かずに止めていいところですから」
「即断なのね」
「予想できますよ」
お嬢様は頬をふくらませた。子どもかと思う仕草をするのに、考えてることだけ妙に合理的なんだから油断ならない。
「クランベル様は、話が通じそうなんだけど」
「通じそうなのと、最初に通すべきなのは別ですよ」
「ディノ様は?」
「おそらく正面から止めてくるので、いまは後回しです」
「分析してるじゃない」
「仕事ですから」
私がそう言うと、お嬢様は、隠されてたおもちゃを見つけた子どものような顔で笑った。
「フィア。あなた、けっこうエトル様たちのこと見てたのね?」
「見ますよ。現場にいましたので」
「誰がいちばん厄介そう?」
「質問がよろしくないですね」
「誰がいちばん有能そう?」
「それも違います」
「じゃあ、攻略しにくい順はどう?」
「お嬢様」
「なに?」
「『攻略』も禁止事項に入れていいですか?」
お嬢様が肩を揺らして笑った。
表では「おーっほっほ」と芝居めいた高笑いをしてみせるくせに、素はこれだ。こういうふうに笑ってると、悪役令嬢には見えない。見えないから困る人も多いんだろうなとは思う。
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文面はまとまった。
夜会での失礼へのお詫び。救世に尽力した聖女への敬意。差し支えなければ、茶席にてお話しする機会をいただきたいこと。
余計な主語も、未来の親族関係も、勇者パーティ加入計画も、全部抜いた。羊皮紙の上に並んだ文字は、お嬢様の普段の勢いからは想像できないくらい静かで丁寧だ。まあ、書いたのは私なんですけど。
読み上げ始めると、お嬢様は何度か口を挟みたそうにしつつも、結局最後まで黙って聞いてくれた。最後まで口を挟まなかったのは、今日いちばんの成果かもしれない。
「いいじゃない」
「ありがとうございます」
「少し堅いけど」
「そこは私の担当なので。私の」
「強調するのね」
「大事なことですので」
お嬢様はしばらく黙って紙を見つめていた。満足したのかと思ったら、急に顔を上げた。
「ねえ、フィア」
「はい」
「練習しようと思うの」
「なにの練習ですか?」
「お茶会の最初の挨拶」
「……そうですね、しておきましょうか」
お嬢様は咳払いを1つして、すっと姿勢を正した。さすが貴族、形だけは一瞬で整う。中身が追いつくかどうかは別として。
「イリーシャ様、昨日は失礼いたしました。ですが、わたくし本気ですの。結婚を前提に――」
「駄目です」
「まだ最後まで言ってないけど?」
「禁止事項を踏みました」
「厳しいのね」
「大事なことですから」
お嬢様がテーブルに突っ伏した。分かっていても口が先に動くらしい。席の配置1つで相手の心理を読むくせに、挨拶の練習でいきなり地雷を踏む。
得意なところではほんとうに鋭いのに、苦手なところではとことん駄目になる。悪党を追い詰める時のお嬢様は、恐ろしいほど冷静に手順を組む。なのに好きな方が相手になると、その冷静さがどこかに飛んでいく。いちばん厄介なのは、本人がそれに気づいていないことだ。今回のお嬢様は、まだいちどもお嬢様らしい切れ味を見せていない。
「じゃあ、もう1回」
「どうぞ」
「イリーシャ様、昨日は失礼いたしました。エトル様のお仲間に――」
「駄目です」
「早い!」
「早いのはお嬢様です」
そこから3回やり直した。2回目は『お義姉様』が2言目で出た。3回目は結婚の話が3言目で出た。数字だけは順当に伸びてるのが、なんとも言えない。
4回目でようやく「昨日は失礼いたしました。本日はお時間をいただけましたら嬉しいです」まで辿り着いた。長い道のりだった。辿り着いただけで拍手したい気分だけど、これはまだ入口なのだ。先は長い。
私は清書に取りかかる。羊皮紙の上をペン先が走る音だけが、小さく部屋に響いた。
お嬢様は珍しく静かにしている。おそらく頭の中では本番の会話を組み立てているのだろう。お願いだから、その組み立ての最初に『結婚前提』を置かないでほしい。切実に。
勇者パーティへの連絡は本来、勇者庁を通すのが筋だ。だけど、今回はこちらの非礼に対するお詫びなので、間に人を挟むより直接お渡しする方がかえって誠実だろう。幸いにも夜会の主催はイルデイン家だったから、来賓の滞在先は屋敷の方で把握できている。
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夕方。返事が届いたので、さっそく部屋にいるお嬢様に伝えた。
聖女イリーシャ様は、明後日の午後、招待を受けてくださるらしい。
私はその文面を読んだ時、自分でも驚くほど肩の力が抜けた。まず、ここは通った。段取りが無駄にならなくてよかった。問題はここから先、本番の方なのだけれど。
「来るのね!」
お嬢様は、秘密の計画がうまくいきそうな子どものように顔を輝かせた。
「来てくださいます。ですので、お嬢様」
「なに?」
「最初の30秒だけは、台本どおりにお願いします」
「30秒?」
「欲を言えば5分です」
「強欲ね」
お嬢様は楽しそうに笑った。
その姿を見ていると、少しだけ楽しみにもなってくるから困る。
あとは当日、お嬢様が最初の30秒で余計なひと言を言わないことを祈るだけだ。
悪役令嬢の演技には台本がいらないのに、お詫びの挨拶には台本が必要なのって、どうなんでしょうね。




