16.実情
朝の勇者庁は、前に来た時よりさらに人が多かった。
窓口の前には列ができていて、伝言を預かってきたらしい使いの者が受付で待たされている。奥の廊下では、面会の約束があるのか、従者を連れた貴族が案内を待っていた。朝からこれなら、午後はもっとひどくなるだろう。
受付で名前とイリーシャ様の名で通してある旨を伝えると、職員は奥の小部屋へ案内してくれた。先日イリーシャ様にお会いした時と同じ部屋だった。テーブルが1つ、椅子が向かい合わせに2脚。窓が1つ開いていて、外から風が入ってくる。
昨日、お嬢様が総括を終えて、勇者パーティ側の都合を調べてくるよう指示した時点で、ディノ様と会う方法を考えた。
正規の手順としては、勇者庁に申請を出して時間をいただくことだけれど、早くても数日かかってしまうし、王都に滞在されている間に会えるかもわからなかった。
次に、イルデイン家の名前を使って直接連絡すること。お嬢様がやりたい内容とは反しているし、せっかく積んできた『話が通じる侍女』という信用をなくしてしまう可能性があった。
私だけで動くと、すぐにディノ様と直接会うことは難しい。勇者庁で偶然出会う可能性もなくはないけれど、非効率的すぎる。結局は勇者関係の誰かに話を聞くしかないというのが結論になり、それをお嬢様と相談し始めた頃に、屋敷に使者が来た。
イリーシャ様からだった。
『明日、ディノに時間を取らせました。勇者庁の小部屋を使ってください。時間は──』という簡潔な内容だったけれど、それだけで充分すぎた。こちらが動く前に、道を敷いてくれている。イリーシャ様は、お嬢様が次に何をするか見えているのだろう。見えた上で、こちらが受け取りやすい形にして渡してくれたのだ。
そんなことを思い出しながら待っていると、扉が開いた。
ディノ様だった。
銀髪の逆立った髪に、今日も機嫌がいいのか悪いのか読みにくい顔。読みにくいけれど、前にお会いした時よりは少しだけ肩の力が抜けて見えた。
「フィアマリナ。イリーシャから話は聞いている。座ってくれ」
ディノ様は奥の椅子に座り、私も腰を下ろした。
「はい。お時間をいただいてありがとうございます」
「ああ、それはいい。それで、具体的に何を聞きたいんだ?」
「率直にお聞きします。今現在、エトル様たちの王都滞在で、実務的に何がいちばん詰まっていますか?」
ディノ様は一瞬、真顔のまま止まった。
それから、とても短く答えた。
「全部だな」
でしょうね。
でも『全部』は答えではなくて悲鳴ですよね、ディノ様。
「……と言いたいところだが」
ディノ様は額を押さえた。それから椅子に深く座り直して、腕を組んだ。話し始める前にいちど息を整える方のようだった。
「順に言おうか。まずは面会希望だな」
本当に困っている方って、聞かれたら出るんですよね。水瓶にひびが入っている状態で、指を当てた場所から漏れてくる。止めたいんじゃなくて、誰かに「ここから漏れてます」と言いたかったんだと思う。
「数が多いだけじゃない。来る経路が多いんだ」
ディノ様は片手の指を折りながら数え始めた。
「勇者庁経由、王宮経由、家同士の紹介、個人の使い。この4つが主だが、同じ人間がどれか2つ、ひどいときは3つの経路から同時に申し込んでくる」
「同じ方が3経路ですか」
「ああ。本人はそれぞれ別の伝手だと思っているんだろうが、受ける側では名前が重なるんだ。だが、経路が違うから同じ人物だと気づくのに手間がかかる」
「重複を照合する仕組みがないんですね」
「ないな。そもそも、来る形がばらばらなんだ。勇者庁の窓口を通して来るものもあれば、王宮の侍従が直接持ってくるものもある。家同士の紹介状が手紙で届くこともあるし、個人の使いが訪ねてくることもある。全部の形が違うものを、誰がどうやってひとつにまとめる? 揃える前に次が来るんだ」
なるほど。詰まっているというより、四方向から同時に荷物を放り込まれている棚ですね。揃える暇がない。
「しかもだな、順番で揉めるんだ」
ディノ様が続ける。
「面会が決まった後の話だが。先約がある家と、家格が上の家と、王宮経由で来た家が、全部『自分が先だ』と思っているわけだ。先に申し込んだ方が先だと言う家もあれば、格が上なのだから当然うちが先だと言う家もある。王宮経由は『陛下の名代である』という建前で割り込もうとする」
「三者三様の『正しさ』ですね」
「ああ。まあ、全員が間違っていないから厄介なんだ。間違っているなら断れるからな。正しい人間同士がぶつかると、どちらを先にしても、後に回された方が不満を持つだろ?」
社交界の人々が『はっきり』ものを言う時って、言葉は丁寧なまま刃を仕込んでくるから厄介なんですよね。『お忙しいのは承知しておりますが』の後に来るものが、いちばん忙しくさせる原因であったりする。
「次に、贈り物だ」
ディノ様が話題を切り替えた。
「贈り物そのものは、制度としては勇者庁を通すことになっている。安全確認をして、控えをつけて、問題なければ渡す。ここまでは回っている」
「はい」
「問題は、通さない人間がいることだ」
「……いますよね」
「ああ。それもな、多いんだ。『手紙だけだから』とか『今ここで渡すだけだから』とか『食べ物じゃないから大丈夫だろう』とかな。そう言って、勇者庁を通さずに直接渡そうとする。宿舎の前で待っていたり、移動中の廊下で呼び止めてきたり。ひどいときは正式な用件で来た使いが、ついでに手土産を手渡そうとしたりな」
ものすごく想像できる。『少しだけ』は社交界でいちばん信用できない言葉ですよね。
「その場で受け取りを断って勇者庁を通すように案内する。それ自体は難しくないんだが」
「はい」
「だが、相手が貴族だと話が変わってくる。断り方1つで『家を軽んじた』ってことになるからな。使いの者だと『主人の顔を潰すのか』って話になって長い。長いだけならまだいいが、後日別の場で蒸し返されることもある」
いちどで済まないのが社交界の厄介なところですよね。
「それと、もうひとつ厄介なのがあってだな」
ディノ様が少し顔をしかめた。
「勇者庁で止まっている品の問い合わせが、こっちに来るんだ」
「こっち、というと」
「俺たちだ」
「『届いているか』『返事はまだか』の確認ですか」
「ああ、そうだ。あとは『受け取り拒否の理由は何か』とか『いつなら渡せるか』とかな。勇者庁に聞いてくれと言いたいが、向こうにも聞いた上で、俺たちにも聞いてくるんだ。窓口が2つあると思われると、両方に同じ質問が飛ぶってことだ。結果、同じ件で2回対応することになる」
水路を2本引いたら水が倍になるわけではなくて、同じ水が2箇所に流れて両方が浅くなるだけになる。時間は増えないのに、対応だけが増える。
ディノ様は腕を組み直した。話し終えた、という感じではなく、「ここまでが前提だ」と言いたそうな顔だった。
「つまりだ。面会は経路が多すぎて重複する。贈り物は制度の外から押し込まれる。問い合わせは勇者庁と俺たちの両方に飛ぶ。全部がばらばらに見えて、全部つながっているってことだ」
「挨拶回りにも響きますか?」
「ああ、響く。問い合わせの返答1つで、次の面会の時間がずれる。ずれたら別の家の予定とぶつかる。ぶつかったら、どっちを先にするかでまた角が立つんだ」
「悪い意味で綺麗につながっていますね」
「そうなんだ。1箇所が詰まると、3箇所に飛び火する」
「では、もしも、仮にですが。面会希望の重複を減らす、贈り物や問い合わせの道筋をそろえる、直接の持ち込みを減らす。そういう動きが、勇者庁の外側で始まったら――」
「始まったら?」
「『助かります』か?」
ディノ様はすぐには答えなかった。腕を組んだまま、少し考えている。こういうところも、しっかりとされている。勢いで頷いて後で困るタイプではない。返事を出す前に、返事の裏側まで確認する方だ。
「やり方次第だな」
「はい」
「勝手に勇者庁の名前を使うとか、順番を私物化するとかされたら困るな」
「はい」
「だが、事前に整理された情報が来るだけでも『助かる』な。持ち込みが減るなら、なお『助かる』」
その言葉を、私はそのまま受け取った。
お嬢様の新しい作戦は、見栄えのいいお世話焼きではない。現場の処理速度に効くものだ。お嬢様の直感が当たっている時って、こういう感じなんですよね。理屈より先に嗅覚が正解を掴んでいる。
「他に、何かございますか?」
「いや、こちらからは以上だな」
私は椅子から立って、頭を下げた。
「ありがとうございました。お時間をいただきまして」
「いや、別にいい。気にするな。俺の方も、いい整理になった」
ディノ様はそう言って、さらにもう少しだけ肩の力を抜いたように見えた。話し終えたことで、自分の中でも形がついたのかもしれない。
私が扉に手をかけた時、背中に声が飛んできた。
「フィアマリナ。1つ、言い忘れてた」
振り返ると、ディノ様は椅子に座ったまま、低い声で言った。
「俺たちが王都を出るまで、あまり日がない」
「どれくらいでしょうか?」
「正式にはまだ言えない話だが……5日後に決まった。伸びる可能性はあるが、まずないだろう」
あと5日。ほんとうに短い。
「令嬢にも伝えてくれ。言い方は任せる」
「はい」
「イリーシャがあんたを通したんだ。期待はしておく」
「はい」
ディノ様は一瞬だけ私の顔を見て、それ以上は何も言わなかった。
イリーシャ様の名前が出た時、ディノ様の声が少しだけ柔らかくなった気がする。信用しているのはラテリナ・イルデインではなく、イリーシャ様の判断の方なのだろう。でも、それで充分だった。入口は何でもいい。結果を出せば、信用は後からついてくる。
「ありがとうございました。失礼します」
私はもういちどお礼を言って部屋を出た。
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廊下を歩きながら、頭の中を整理した。
面会の重複。贈り物の手渡し。問い合わせの迂回。全部つながっている、とディノ様は言った。そして、残りは5日。
角を曲がったところで、声をかけられた。
「フィアマリナさん」
クランベル様だった。
金の長い髪をいつものように流して、廊下の壁にもたれている。いかにも通りがかりです、という顔をしているけれど、この方の『通りがかり』は半分くらいは意図的に感じる。近すぎず遠すぎず、必要な時にだけ手が届く位置にいる。風見鶏みたいに見えて、実は風向きをいちばん正確に知っている人だと思います。
「こんにちは」
私が頭を下げると、クランベル様は軽く手を挙げた。
「こんにちは。ディノと話してたんだよね」
「はい」
「どんな話だった?」
「面会希望の重複、贈り物の手渡し、問い合わせの迂回。全部つながっていて、1箇所詰まると3箇所に飛び火する、と」
「そうだね。ディノはそういう整理の仕方をする。でもね、詰まり方の方が大事だよ」
「詰まり方、ですか」
「うん。僕からは、それだけ」
クランベル様は壁から背を離した。
「また何か、動くんだろうね」
「ええ、まあ。そうですね」
「ふふっ、楽しみにしてるよ」
いつものように手を振って、廊下の奥へ歩いていった。
……詰まり方。
ディノ様が教えてくれたのは、何がどれだけ来ているか、だった。でも現場が本当に苦しいことは、量だけではないはずだ。
確認待ち。返答待ち。規定どおりの経路で出し直してくださいという差し戻し。受け取るか受け取らないかの2択ではなく、そのあいだにも処理がある。それが混む日に重なることもあるだろう。舞踏会のあとや、会合の前など。
つまり、件数をゼロにできなくても、詰まり方を変えるだけで流れはよくなる。
お嬢様が昨日言っていたことは、まさにそこに当たる。入り口の流れを整えて、どこに持っていくべきか、どこに聞くべきかを先に揃える。それだけでも、エトル様たちの時間が増える。あの方の方針と、現場の需要が噛み合っている。これは伝えがいがある。
クランベル様がヒントをくれるのは、善意とも少し違う気がする。イリーシャ様が信用した相手だからという土台もあるのだろうけれど、夜会の頃からお嬢様のことを『面白い』と思っている方の目だ。
だけど、面白がってくれるぶんにはありがたい。味方ではないかもしれないけれど、敵でもないのだから。
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屋敷へ戻る馬車の中で、私は報告の順番を組み立てていた。
お嬢様が予測していた内容は、そのまま当たっていた。そこは「やっぱりね」で済む。
大事なのは、お嬢様がまだ知らない情報の方だ。
まず、ディノ様の「やり方次第だが『助かる』」と「期待はしておく」という話。拒否はされていない。条件付きだけれど、扉は開いていること。
次に、クランベル様の『件数より詰まり方』という話。お嬢様の方針が現場の需要と噛み合っていること。
最後に、出立まで残り5日であること。
この順番で伝えるのが、いちばんきれいに刺さるはずだ。
お嬢様は、扉が開いていると知ったら迷いが消える。
何をすればいいかわかったら、加速する。
終わりを知ったら、もう休まない。
本来なら止めるべきなのかもしれない。
だけど、今回は違う。走ってもらわないと間に合わない。
人の恋心に期限をつけるのは野暮だけれど、実務には期限がある。
今まではお嬢様が壁に向かって走るから、横から「扉を使ってください」と声をかけるのが私の仕事だった。
今回は、走って、止まって、整理して、また走っている。
だったら私は、止まった時に渡せるものを持っていればいいんです。




