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13.舞踏会

 舞踏会って、音楽と灯りと綺麗な衣装でごまかされがちだけど、要するに人間を並べて見せる場なのよね。


 誰が誰と話したか。誰が誰に先に頭を下げたか。誰がどの位置に立っていたか。

 そして――誰が誰と踊ったか。


 最後の1つが特別なのよね。1曲踊るだけで『あの方とは話せる間柄』『あの場で並べる人』なんていうような印象が残るから。印象っていうか、半分は既成事実ね。社交界において踊りの1曲は、口約束の10回分くらいの重さがあるの。

 だから、今日の目標は明確だったのよね。


 エトル様と1曲踊ること。

 結婚の約束でもなければ、仲間入りの承認でもない。そんな大きなものを舞踏会の真ん中で取ろうとは思ってない。

 思ってないだけで、取れるなら取るけど。


 普段、勇者様たちに正式な用件を通すなら、勇者庁を経由するのが筋だけど、夜会や舞踏会みたいな社交の場は別なのよね。踊りを申し込むのに窓口は要らないの。この機会を逃す手はないでしょ。


 そういうわけで、今日は最初から最後まで、わたしの勝負の日なのよ。


---


「お嬢様、息をしてください」


 鏡の前で最後の髪飾りの角度を見ていたら、後ろからフィアにそう言われた。


「してるし。生きてるでしょ」

「浅いです。肩が上がってます」

「細かいのね」

「今日は失敗できないって顔をされてますから」


 そんなわけないじゃない、と思ったけど、否定はしにくいかも。鏡の中のわたしは、確かにいつもより目が据わってるのよね。


 衣装は昨日のうちに決めてあるの。淡い金糸を織り込んだ薄紅のドレス。光の下で見ると、紅と金が交互に瞬いて、動くたびに色が変わるの。派手に見えるかもしれないけど、実際に着ると肌に馴染んで、意外と主張が穏やかになるのよね。仕立て屋と3日がかりで詰めた甲斐があるってものよ。


 エトル様の隣に立つなら、相手を食うようでは駄目。でも、埋もれるのはもっと駄目。派手なだけの子はたくさんいるけど、その中に混ざる気はないのよ。わたしが欲しいのは「あの色は誰?」と思わせる一瞬だけ。あとは中身で勝負するんだから。


 髪はいつもの長さを活かして、背中に流す形にした。耳元に小さな真珠の飾りをひとつ。飾りは少ないほど、髪の色が映えるし。ピンクブロンドは下手に盛ると品がなくなるの。引き算の美学ね。お茶会の客間と同じ考え方よ。

 ――頭のてっぺんの癖毛だけは、直らないけど。まあいいでしょ。ほんと、なんで直らないのよ、この癖毛。


 扇は、今日は黒じゃなくて淡い銀にしたの。ドレスの金糸と喧嘩しないようにね。黒い扇は悪役令嬢の小道具としては完璧だけど、今夜の目的は威嚇じゃないし。エトル様の隣で浮かない色がいいのよね。


「フィア、確認よ」


 わたしは鏡から目を離さずに言った。


「到着後、王宮側の挨拶が一巡するまで待つ。その間に、勇者庁側の動きと有力貴族の並びを見て、空く気配を読む」

「はい」

「エトル様の最初の自由時間を狙う。最初が取れないなら、曲と曲の間。2回目も駄目なら、終盤の挨拶が崩れる時間帯」

「はい」

「そのとき、話しかける言葉は短く。長く喋ると横から挟まれる」

「はい」

「目的は1曲。告白でも直談判でもない」

「はい……」

「なによ」

「ちゃんと分かってらっしゃるんだなと思いまして」

「当然でしょ」


 フィアは小首を傾げた。なんなのよ、その「今日は比較的まともですね」とでも言いたげなポーズは。


「それと、ですが」


 声色が少しだけ変わった。


「踊りの申し込みまで進めてられても、順番待ちになる場合があります」

「いいのよ。顔と名前を覚えてもらうから」

「はい」

「『ラテリナ・イルデイン』を残せれば、それはそれで成果でしょ」

「ほんとうに今日は現実的ですね」

「褒め言葉として受け取ってあげる」


 扉の外から「そろそろお時間です」と使用人の声がかかった。

 よし。行きましょう。


 舞踏会は、遅れて目立つより、早く入って流れを読む方が有利なのよ。


---


 王宮に着いて、馬車を降りたら空気が違った。

 石畳の上に赤い布が敷いてあって、入口まで一直線。両側に松明が等間隔で並んでて、炎の揺れが石壁を橙に染めてる。夜風が布の端をかすかに揺らしてた。いい演出ね。


 正面の門は見上げるほど高くて、王都で見慣れた建築とは格が違ってて。柱は太くて、装飾は控えめだけど、石そのものに威圧感があるの。こういう建物は、飾らなくても格を語るのよね。


 案内どおりに長い回廊を進むと、奥から音楽と人の気配が押し寄せてきた。弦楽器の低い音。笑い声。絹と宝石がぶつかる微かな音。それに、花と蝋燭と香水が混ざった甘い空気。うちの夜会とは濃さが違うし。王宮は何もかもが一段重いのよ。


 大広間の扉が開くと、光が溢れた。


 天井はうちの大広間よりもさらに高かった。吹き抜けの頂上近くに、鉄と青銅で組まれた巨大な燭台が何基も吊るされて、蝋燭の炎が天井画を下から照らしてる。古さが格になる場所だから、王宮の照明は貴族の屋敷より古い様式になってるのよね。

 床は白い大理石。壁際には金の縁取りの鏡が並んでて、光が反射して反射して、どこを見ても明るかった。

 人の数も、うちの夜会の比じゃないのよね。ドレス、官服、兵士の装束。正装の人間が広間を埋めてて、光の中で色が混ざり合ってる。


 わたしは扇を開いて、口元を隠した。銀の扇越しに見る会場は、黒い扇の時より少しだけ明るく見えた。

 まずは配置を頭に入れるのよ。王族筋は奥の高い位置。勇者庁の官吏は右手の柱の近く。各家の当主とその子女は中央から左。給仕は壁際の扉から出入りしてて、一定の間隔で流れてる。扉の開閉に癖があるのね。開く時は静かだけど、閉まる時に少しだけ音がするのよ。あれは人の動きの目印になるかな。


 こういうの、見てるだけで楽しいのよね。人の集まりって、結局は流れだし。流れが読めれば、割って入る場所も作れるから。


「お嬢様。いらっしゃいました」


 フィアが小声で言った。

 視線の先を追った途端に、胸のどこかが跳ねた。


 エトル様は、王宮側の列の中ほどにいた。暗い茶色の髪。黒い目。白と紺を基調にした正装に、細い銀の飾り緒がひとつだけ。夜会の時と同じ正装かと思ったけど、よく見ると仕立てが違うじゃない。王宮用の格式に合わせたものね。


 飾りが少ないぶん、余計に姿勢の良さが際立ってる。背筋がまっすぐで、肩の線に力みがない。並んで挨拶を受けてるのに、受け答えのたびに相手の目をちゃんと見てる。1人ずつ、同じ丁寧さで。流れ作業にならないのがこの人なのよね。


 それだけなのに、目が離せなくなる。

 困るのよ、こういうの。夜会の時もそうだったし。普通に見えるはずなのに、見れば見るほど目が引き寄せられて、気づいたら細かいところばかり追ってしまってる。今日は正装のせいか、首元の線がやけにきれいに見えるし、横顔の輪郭も光の加減でいつもより――。


 ……駄目よ。こういうことを考え始めると、段取りが飛ぶの。わたしは今日、段取りで来てるのよ。段取りで。


「お嬢様」


 フィアの声で我に返った。


「見すぎです」

「見てないし」

「見てました。10秒以上」

「作戦の一環よ」

「はいはい」


 はいはいって何よ。


---


 最初の機会は、思っていたより早く来た。来たように見えた、が正確ね。


 王宮側の挨拶列がいったん切れて、エトル様が半歩だけ下がった瞬間。今だと思って動いたら、勇者庁の官吏が横から入ってきた。


 早かった。抜け目ないのね。仕事のできる人間の動きは嫌いじゃないけど、今は邪魔なのよね。

 エトル様は官吏に向き直って、こちらに気づいたような視線を一瞬だけ寄越した。ほんの一瞬。でも、気づいてくれたのは確か。こっちの衣装が目に入ったのか、動きが目に入ったのか。どっちでもいいの。気づいてくれたなら、それでいいの。


 わたしはすぐに微笑みを作って、軽くお辞儀した。ここであからさまに不機嫌な顔をしたら、ただの感じの悪い令嬢になる。感じの悪い令嬢は普段の持ち芸だけど、今夜は使い方を間違えてはいけないのよ。


 官吏との話が終われば次だと思ったんだけど、その次は王宮侍従。その次は有力貴族の当主。その次はまた別の挨拶。

 なによこれ、隙がないじゃない。列が切れるたびに新しい人が差し込まれていくんだけど。


「勇者様って、4人くらいに身体を分けられないのでしょうか」


 後ろからフィアの小声が聞こえた。


「しないから困ってるのよ」

「ですよね。あの方なら魔法でできそうですけど」

「そのときは本体を所望するから」


 わたしは扇を閉じて、居場所を変えた。正面からは無理。それなら人の流れの先を読む。次の曲に入る前に、中央から壁際へ流れるタイミングがあるはずよ。そこなら、話しかけるだけなら――。


「ラテリナ様」


 背後から声がかかった。振り向くと、濃桃色(ピンク)のドレスの令嬢が笑顔で立っていた。あのお茶会の子ね。身を乗り出して真っ先に食いつくタイプの。


「先日は素敵なお茶会でしたわ。ありがとうございました」


 笑顔で綺麗。礼儀も正しい。ここで無視したら、あとで面倒になる。


「こちらこそ。お役に立てたなら幸いですわ」


 対外用の笑顔で返す。向こうも社交の挨拶なのは分かってる。でも、ひとこと返せばまたひとこと返ってくるのが令嬢の会話なのよ。


「わたくしも今日はエトル様にお声をかけてみようかと思いまして」


 それをわたしに言うのね。度胸はあるじゃない。嫌いじゃないけど、今は困るのよね。


「まあ、そうですの。ご武運を祈っておりますわ」


 にっこり笑って会話を締めた。笑顔のまま、昨日の茶会で積み上げた『貸し』が早くも回収されかけているのを感じる。社交界って本当に面白いのよね。自分の武器が自分の足を引っ張るのよ。


 その一往復の間に、エトル様は人の波の向こうに消えてた。

 ああ、行けてた。あの瞬間なら、絶対行けてたのよ。


 見えてた背中が、もう見えなくなった。


---


 それでも、2度目の機会で、今度こそ手は届いた。


 曲と曲の間。楽団が次の譜面を整えている短い静寂。会場の端で、エトル様がディノ様と短く言葉を交わしたあと、1人で半歩動いたところで、わたしは扇を閉じて前に出た。


「エトル様」


 対外の声で、短く呼びかける。長い前置きはいらない。この人には、まっすぐ入った方がいい。


「少しお時間をいただけますかしら」


 エトル様がこちらを向いた。


 目が合った。

 近い。思っていたより近い。2歩ぶんくらいの距離しかない。正面から見ると、正装の銀の飾り緒が蝋燭の光で細く光ってて、その奥の黒い目がまっすぐこちらを見てる。


 この人の目は、いつもこうなのよね。曖昧に流さない。ちゃんと見てる。ちゃんと見られると、こっちの呼吸が勝手に止まっちゃうのよ。


「ラテリナ様」


 エトル様が名前を呼んでくれた。声が低くて、落ち着いていて、でも冷たくはない。こういう声で名前を呼ばれると、自分の名前がいつもと違うものに聞こえる。


「姉が、お茶会でのお気遣いに感謝しておりました」


 先にお礼を言われた。しかもよ、イリーシャ様からの伝言を、きちんと自分の言葉に直してからよ。困っちゃうじゃない。人って嬉しすぎると逆に困るものなのね。


「お気になさらないでくださいませ。こちらこそ、貴重なお話を伺えましたわ」


 笑った。笑えた。ちゃんと笑えてるのよ。大丈夫。うん、大丈夫。


「本日は、その……1曲、お願いできればと思いまして」


 言えた。言えたのよ。余計なものは足さなかった。完璧よ。あとは返事を待つだけ――。


「エトル様」


 横から声がした。

 侍従が1人、申し訳なさそうな顔で立ってた。


「失礼いたします。次のご挨拶の順番が前倒しになりまして……」

「そうですか、すみません」


 エトル様がこちらへ向き直った。ほんの一瞬、眉の間にわずかな影が落ちた。困ったような、申し訳ないような。こういう顔もするのね、この人。見たことのない表情がまた1つ増えた。もっと色んな表情が見たい。


「ラテリナ様、申し訳ありません。少し席を外さなければなりません」


 丁寧に頭を下げられた。『少し』ではないことは、侍従の表情を見れば分かるのよ。でも、ここで「先にわたくしと踊ってから行ってくださいませ」と言うのは、さすがに筋が悪すぎるし。相手がエトル様で、ここが王宮ならなおさらよね。


「ええ、もちろんですわ。お務めが先ですもの」

「ありがとうございます」

「後ほど、もしお時間が合いましたら」

「はい。ぜひとも」


 言えた。ちゃんと『後ほど』って言えた。扉を閉めずに開けておく。それだけで、次に声をかける口実ができるのよ。


 エトル様は侍従とともに行ってしまった。

 行ってしまった。背中が人の波に紛れて見えなくなるまで、視線を外せなかった。これじゃ駄目ね。段取りで来てるのに、段取り以外のことを考えてしまうじゃない。あの横顔が消える瞬間まで見ていたいなんて、わたしらしくない。わたしらしくないけど、見ていたかったのは事実なのよ。だって見たいでしょ。


「お嬢様」


 フィアがすぐ近くまで来てた。


「今のは、仕方ないですよ」

「うん、そうね」

「怒ってますか?」

「怒ってないのよ」

「悔しいんですね」

「うん、悔しいのよ」


 だって今の、ほとんどいけてたじゃない。『ほとんど』なんて社交界では何の価値もないけど、それでもあと1歩だったのよ。


---


 3度目は、ぜんぜん駄目だった。


 舞踏会も終盤に入って、会場全体の秩序が少しゆるむ時間帯。曲も軽いものに変わって、壁際では杯を片手に話し込む人が増えてる。こういう時間帯は、逆に足の速い人間が動きやすいの。わたしはそれを狙って位置を取った。


 エトル様が壁際に来た。今度こそ、と思った瞬間、有力貴族の当主に呼び止められた。白髪の年配の男が、にこやかに話しかけてる。あの手の人間は話が長い。お茶を一杯飲み終わるまで離さない。


 その次は勇者庁。その次は王宮側の別の侍従。エトル様の周りに人が途切れない。1人終わると次の人が来て、まるで窓口みたいじゃない。


 冗談でしょ。真の勇者って踊らないの? 踊る前に挨拶で夜が終わるの?


 会場を見回すと、他の令嬢たちも似たような顔をしてた。薄青色(ブルー)のドレスの子が、困ったように扇を動かしてる。翡翠色(グリーン)のドレスの子は涼しい顔を保ってるけど、扇が止まってる。

 なるほどね。今日のこれは、わたしだけの失敗じゃない。令嬢たち全員がまとめて、同じ壁にぶつかってる。真の勇者は、思ったより捕まらない。

 それは少しだけ面白かったけど、わたしの目的が果たせてない事実は変わらない。


 音楽が最後の曲に入った。

 扇を閉じたまま黙って過ごしてると、フィアが横に並んできた。


「お嬢様。どうしますか?」

「どうするもなにも」


 わたしは会場の中央を見た。まだ人は多い。まだ灯りは消えてない。でも、今夜の機会はもう残ってない。


「今日はもう無理ね」


 言ってしまうと、悔しさが喉の奥に集まってくる。完璧に準備した。衣装も、段取りも、言葉も、タイミングも。なのに、相手の都合に――それも正当な都合に、全部綺麗に持ってかれた。


 これだから本物の仕事をしてる人は厄介なのよね。こっちの演出だけでは動かないし。悪徳商会やエセ神父なら、帳簿と権力で道を作れた。でも、エトル様は『正しくて忙しい』だけなの。正しさには、割り込めない。割り込めないことが、こんなに悔しいなんて知らなかった。


「ですが、お嬢様。お声がけはできました」

「うん」

「エトル様、お嬢様のことを覚えていらっしゃいましたよ。イリーシャ様とのお茶会のことも、きちんと」

「うん」

「次の機会はどうしますか?」

「作るのよ」


 そうよ。『機会がなかった』で終わるから、いつまでも取り逃がすのよ。舞踏会で会えないなら、会える形を用意すればいい。会場に流れている機会を拾えないなら、機会そのものを並べるの。わたしは拾う側じゃなくて、並べる側でいたいのよ。

 悔しさって、本当に便利。頭がよく回るんだから。


「フィア」

「はい」

「今日分かったことがあるのよ」

「なんでしょう?」

「エトル様は、舞踏会に来ても自由にはならない。王宮でも勇者庁でも貴族でも、みんながあの人の時間を取りに来るのよ」

「はい」

「つまりね、この場にいる限り、わたしは順番待ちの1人でしかないのよ」

「はい」

「だったら、話は簡単じゃない」

「はい?」


 フィアが眉間にしわを寄せた。


「お嬢様、まさか」

「そのまさかよ」


 わたしは大広間の天井を見上げた。鉄と青銅の燭台が、まだ明るく燃えてる。


「踊れないなら、踊れる場所を作ればいいじゃない」


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