12.落としもの
お茶会の翌日。
朝の王都は人がまばらで、石畳に昨日の雨の名残が薄く光っていた。
礼状はもう出されている頃だろうし、昨日のお茶会は綺麗に終わったことになっている。
だけど、誰が何を言ったか、誰がどの一言で黙ったか、そういう話は礼状には書けない。書けないまま、王都のあちこちをまだ静かに流通している。
出がけに、お嬢様に依頼されていた。
「今日のお使いのついでにお願いね」
「ついで、ですか」
「ええ。ついでよ。評判なんて、取りに行くものじゃないの。落ちてるものを拾うのよ」
「お嬢様、落ちている場所を指定してますよね」
「拾い方が上手いって言って?」
「言いません」
そんなやり取りを思い出しながら歩いていた。お嬢様の言う『落ちているもの』を拾い集めるのが今日の仕事になる。
結果だけ言えば――落ちていた。それも、かなり大きいものが。
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最初に行ったのは、菓子店の裏口だった。
貴族街の外れに構えた老舗で、磨いた木の看板と花鉢が表の目印になっている。表は上品な客の出入りがある分、長話には向かない。裏口は荷下ろし用の石段に空の木箱が積まれていて、表とは別の店のような佇まいだけれど、情報の流れはこちらの方が早い。
昨日使った菓子皿の確認と、追加の注文の相談。それが表向きの用件で、実際それも嘘ではない。
「フィアマリナさん」
声をかけてきたのは、侯爵家の令嬢――翡翠色のドレスの令嬢についていた侍女だった。昨日の席で何度か目が合っている。背丈は私より少し低いけれど、声の柔らかさとは裏腹に、目の動かし方が鋭い。主人に似るのだなと思う。観察が会話より先に来る方だ。
「昨日はありがとうございました」
「こちらこそ、ご足労いただきありがとうございました」
「お嬢様、帰ってからずっと機嫌がよろしかったんです」
「それは、どういう方向の機嫌でしょうか?」
「そこなんです。悔しそうではあったんですが、楽しそうでもあって。『次はもう少し早く手札を切るべきだったわね』とおっしゃっていて」
「手札、ですか」
「ええ。帰ってからずっと、あの席でのやり取りを1つずつ振り返っておられました。どこで誰が何を言って、どこでご自分が出遅れたかを」
選ばれただけあって、令嬢の方々は昨日のお茶会をただの交流会として持ち帰ってはいないようだ。あの場で何が起きたかを、1手1手検証している。
お嬢様の狙いは半分当たっていた。
残りの半分はこれからだけれど、半分当たっているなら土台はできたということだ。
「ラテリナ様って」
侯爵家の侍女は、少し声を落とした。
「もっと強引に場を潰す方かと思っていました」
「それは、はい」
否定しにくい先入観ではある。お嬢様が本気で潰しにかかった場を私は何度か見ているので、あながち間違いとも言い切れない。
「違いましたか?」
「強引ではありますね。ですが、潰すと次がなくなるということは、よくご存じです」
「ですよね」
思い当たる節があるらしく、何度か頷いている。
「こちらとしても少し身構えていたんですけど、お話がちゃんと前に進んだので。怖いのは怖いのですが、あの方がいらっしゃると、なんというか……議題が宙に浮いたまま終わらないんですよね」
褒め言葉かどうかはさておき、正確だ。うちのお嬢様をひとことで要約しろと言われたら、これ以上のものはなかなか出てきませんね。
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次に行ったのは、仕立て屋の控え室だった。
貴族御用達の仕立て屋というのは、布と糸の匂いがする静かな空間を想像されるかもしれないが、実際は違う。針箱の蓋を開け閉めする音、採寸のための小さな台がいくつも並んだ作業場。職人が動いていない時でも、布の切れ端や糸巻きが棚に詰まっていて、静けさより密度の方が先に来る。だけど、奥の控え室だけは少し落ち着いていて、侍女同士が待ち時間に顔を合わせるのに都合がいい。
そこにいたのが、伯爵家の次女――濃桃色のドレスの令嬢についていた侍女だった。
「聞いてくださいよー」
主人に似るのか、反応が早く、顔を見るなり口を開いた。
「うちのお嬢様、昨日の帰り馬車の中でずーっと悔しがってたんですー」
「そうなんですね」
「『先に言わせてしまったのが悪い』だの『あそこは切り返すべきだった』だのー」
「勉強熱心ですね」
「ええ、ほんとにですよー。誰のせいなんですかー」
わたしに言われても、としか返しようがない。もっとも、お嬢様があの場の空気を作った以上、その空気に当てられて熱くなった方がいるのは自然な結果ではある。うちの主人が風を起こして、その風に煽られた火が燃えている。責任の所在を辿れば、風元はこちら側だ。
「でもー」
伯爵家の侍女は、少しだけ口元を緩めた。
「嫌だった、とは言ってませんでしたー」
「そうですか」
「むしろ『腹は立つけど、次も行く』ってー」
お嬢様が聞いたら喜ぶだろう。でも顔には出さずに「結構ね」とひとことで済ませる。
「ラテリナ様、感じが悪いって噂は前からありましたけどー」
「はい」
「昨日のでー、ちょっと印象が変わった気がしますー」
「どのように変わりましたか?」
「『嫌なお方』から『危険なお方』ですねー。言い方を間違えると返されるしー、でも上手く乗れば得もできるしー。ああいうの、目を離すと先に次の手を打たれるじゃないですかー」
それは核心だった。ただの悪口ではなく、放っておけないという意味の『危険』だ。
もちろん、お嬢様にとっては計算通りだろう。嫌われることで面倒な人間を遠ざけ、残った相手とだけ話を進めるための『悪役令嬢』の仮面だ。社交界において『不快』は無視されるけれど、『危険』は注目の対象になり、相手の計算に組み込まれる。その時点で、すでにこちらの領域に引きずり込めている。
お嬢様が聞いたら「余計いいじゃない」と言うだろう。そして実際、悪くない。仮面を被っているからこそ言える台詞だ。
「あと、あれですねー」
「なんでしょう?」
「うちのお嬢様ー、『今度は私から先に情報を持っていく』って言ってましたー」
「前向きな方なんですね」
「負けず嫌いなんですー」
そうでしょうね。見れば分かる。あの濃桃色のドレスを着ていた令嬢は、火を点けられると消すより先に燃やし返そうとする目をしていた。お嬢様とは燃える場所が違うだけで、火種の質は近いんですよね。
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午後、王都の大通りから、1本中に入ったところにある花屋の横で会ったのは、子爵家の長女――薄青色のドレスを着ていた令嬢の侍女と、乳白色のドレスを着ていた令嬢の侍女だった。
花屋は間口が広く、道に面した台に季節の花が並んでいる。その横の日陰に、石壁が少し引っ込んだ場所がある。人通りはあるけれど、声は届きにくい。侍女同士がこういう場所を知っているのは偶然ではない。主人の社交を裏で支えるには、表には出ない段取りの場が必要で、この手の半端な隙間がそれを引き受けている。
この2人は、主人同士の席ではそれほど前に出ていなかったのに、侍女同士だと話が早い。おそらく日頃からこうした場所で調整をしているのだろう。
「昨日は、助かりました」
先に口を開いたのは、薄青色ドレスの令嬢の侍女だった。
「うちのお嬢様、最初は様子見で終わるつもりだったんですけど、ラテリナ様が場を整えてくださったので、発言しやすかったみたいで」
「それはよかったです」
お嬢様に伝えたら「当然でしょ」と言うだろう。でも、その『当然』の裏で口元が少しだけ上がるのも、私は知っている。
乳白色ドレスの令嬢の侍女が話し始めた。
「ラテリナ様のこと、お噂は以前から聞いていたんですけれど」
「はい」
「昨日お会いしてみて、うちでは『怖いけど公平なお方』って話になりました」
「公平、ですか」
「完全に平等、ではないですよ? 主催ですし」
「ええ」
「でも、喋らせる順番とか、切る場所とか、あまり露骨ではなかったので。なかなか、できそうでできないことだと思います」
そこまで聞いて、少し驚いた。
お嬢様は派手な発言の方が目立つ。だけど、ああいう『露骨に見せない調整』は本当に上手い。料理で言えば味付けではなく火加減の技術で、本人は味付けの方で自慢したがるのだから、そちらに気づく人間はほとんどいない。派手な仮面の下にある丁寧さは近くにいる人間でないと見えにくいもので、それを今回のお茶会で見抜いたのなら、この方たちの目は信用できる。
「次も、ああいう場があるなら」
乳白色ドレスの令嬢の侍女が言った。
「呼ばれる側でいたいですね」
「それ、本人に言うと喜びますよ」
「言えません」
「でしょうね」
3人で少し笑った。
味方というのは言いすぎかもしれないけれど、『ただの他人』ではなくなっている。あのお茶会の前と後では、侍女同士の距離がひとつ縮まった。
それだけでも、昨日のお茶代の元は取れている気がした。もっとも、あのお菓子は高価だったから、帳簿上はまだ赤字かもしれない。お嬢様の社交費の欄だけが妙に太いのは今に始まったことではないけれど、これ以上太くなると家令の眉間に皺が定住しますね。
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帰り際、勇者庁の近くを通った。この辺りは石造りの建物が低く連なっていて、夕方になると壁が鈍い橙色に染まる。足早に帰路につく人々の間を縫うように、女性が近づいてきた。
「フィアマリナさん。昨日のお礼です。うちのお嬢様、ああいう場は嫌いではないので」
紺色のドレスを着ていた令嬢の侍女だった。その方は昨日、他の侍女たちが主人の後ろで控えめに目配せし合っている中でも、1人だけ視線の動かし方が違っていた。主人ではなく、場全体を見ていた。
「王宮の舞踏会、日程が繰り上がるそうです。エトル様たちがいらっしゃる間に開催するとか」
「いつ頃になりそうですか?」
「5日後です。慰労と報告を兼ねたものになるのだとか。エトル様たちも出席の方向で調整中だと聞いております」
表情を動かさないようにした。こういう場面で食いつきの速さを見せると、情報の価値を自分で上げてしまう。それはこちらの手札を晒すのと同じだ。
「どのあたりの筋からのお話なのか、差し支えなければ教えてください」
「王宮の侍従筋です。まだ正式な通達は出ていませんが、もう日程の調整は済んでいるそうです」
「ありがとうございます。すごく助かります」
「こちらこそ。昨日のような場を作ってくださったお礼ですので」
軽く礼をして、それだけで去っていった。
静かな人間がこういう置き土産をしていく。渡す情報の重さに対して、渡す所作があまりにも軽い。おそらく、あの令嬢の主人も同じ種類の人間だろう。沈黙を武器にできる方は、言葉を武器にする方より始末が悪いんですよね。
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屋敷に戻ると、日はもう傾いていた。
お嬢様の私室の前でノックをする。2回、いつもの間隔で。
「入って」
扉を開けると、お嬢様はテーブルの上に紙を広げていた。
昨日の茶会の記録を、すでに分類し直しているらしい。紙の束がいくつもできていて、人物ごと、話題ごと、反応ごとに仕分けられている。中身は人間関係の絡まりだけれど、絡まりを解いて並べ直せるのは1つの才能だと思う。
テーブルの端にはカップが空のまま残っていて、菓子皿も片づいている。つまり、私が出ている間ずっとこの作業をしていたということだ。お嬢様は集中すると食事の声かけすら耳に入らなくなるので、使用人たちが交代で様子を見に来ているらしい。公爵家の令嬢でありながら、放っておくと自ら兵糧攻めの状態に陥る方なのだ。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました。拾ってきましたよ」
「大きいのあった?」
「はい、いくつか」
「座って。順番に話して」
切り替えが早い。さっきまで紙とにらめっこしていた目ではない。おもちゃ箱を開ける前の子どものような顔で、期待と集中が同居している。こういう顔をしている時、お嬢様は止まらない。
「まず、昨日のお茶会の評判です」
私は今日聞いた話を、形を崩さないように並べた。伝聞は伝える途中で角が取れたり尖ったりする。だから言葉の輪郭はそのままに、順番だけ整理して渡す。
「『嫌な令嬢』という噂は残ってます。それはもともとお嬢様がそう見られるように振る舞ってきた結果ですから、仮面が機能しているということですね」
「そうね、なにも問題ないのよ」
「ですが、そこに新しい評価が足され始めています。『話が進む』『場を潰さない』『怖いけど公平』といったものです」
「ふぅーん」
お嬢様の口元が少しだけ上がった。
「悪くないじゃない」
「あとは、『危険』もついてます」
「もっといいじゃない」
「喜ぶところですか?」
「見放されるよりはずっといいでしょ」
その通り。お嬢様はどうでもいい方には見放されてもいいように振舞っている。
「昨日来られた方のうち、何名かは次も来られる意思を示しています。悔しがってはいますが、降りる気はありません」
「うん、結構じゃない」
「それと、侍女同士でも会話が通りやすくなっています。他人という空気ではなくなりました」
「あら、味方が増えたの?」
「少なくとも、こちらに話を持ってきても損はしないと思われ始めています」
「充分ね」
お嬢様はそこで椅子にもたれた。
少し満足そうだけれど、椅子にもたれた姿勢のまま、もう指先が次の紙に伸びている。
この方は達成感を味わう時間が極端に短い。インク壺を傾けても一滴しか出ないような控えめさで、満足の表面だけ撫でたら、すぐに次の白紙を引き寄せる。頼もしいとも思うし、見ていて疲れるとも思うんですけど。
「それで、いちばん大きいのは?」
「王宮の舞踏会の予定が前倒しになるそうです」
「舞踏会? そういえば、通達が来てたっけ。興味ないから放ってたけど」
「エトル様たちが王都にいらっしゃる間に開催できるよう繰り上げたようです。5日後ですね」
「エトル様も出席されるの?」
お嬢様の目が、きらりと光った。宝の地図を手に入れた子どもが、最初の一歩を踏み出す直前に見せる顔だ。もたれていた椅子から身を起こし、引き寄せた白紙にペンが走り始めている。
次の計画が、もう始まってしまっていた。




