5話 再誕の刻 ― 女神の欠片 ―
世界は、一度滅び、そして再び息を吹き返そうとしていた。
女神アルメリアを討った代償は、あまりに大きい。
魔素の流れは止まり、生命は沈黙し、
空さえも、息をひそめて彼らを見つめている。
けれど、滅びの中でなお生きようとする者たちがいた。
リィナ、悠真、セリア、ノワ、フィリア――
彼らの中には、まだ“誓い”の光が残っている。
だが、光の裏には影がある。
女神が消えたその場所に、ひとひらの“欠片”が残った。
それは、かつて世界を統べた意志の断片――
再び形を持とうとする、“再誕”の刻が近づいていた。
世界は静かに、息を吹き返していた。
崩れ落ちたはずの天空城は光の粒となり、
その残滓が草原や湖へと還っていく。
風が柔らかく頬を撫でた。
目を開けると、そこにはリィナの顔があった。
その瞳には涙の跡と、微かな笑み。
「……目、覚めたんだね」
俺――悠真は、しばらく声を出せなかった。
胸に残る痛みが、まだ生々しく脈打っている。
リィナが俺を刺したあの瞬間の感触。
それが夢ではなかったと、身体が覚えていた。
「もう……全部、終わったんだよね?」
「……ああ。女神は消えた。
でも――」
「でも?」
「……世界が“静かすぎる”」
風の音しか聞こえない。
鳥も、獣も、魔物の気配すらもない。
まるで、世界全体が息を潜めているかのようだった。
セリアが魔法陣を描きながら、遠くの空を見つめる。
「魔素の流れが……止まってる。
大地が、まだ眠ってるの」
「眠ってる……?」
「ええ。アルメリアを倒したことで、
世界の循環そのものが一時的に止まってるのよ」
ノワが影の中から姿を現した。
「それだけじゃない。見て」
地平の向こう――
黒い霧のようなものが渦を巻き、形を作っていた。
それはまるで、女神の髪の欠片が風に散り、
空間に根を張ろうとしているようだった。
「……残滓。」
リィナが呟いた。
「彼女の欠片……まだ、消えていないんだ」
セリアが低く呟く。
「もし女神が本当に“神”なら、死んでも魂は解体されない。
残滓として、次の宿主を探すはず」
「宿主……?」
「そう。人間の中に潜り、再び世界に影響を与える。
再誕の兆しよ」
嫌な予感が背筋を走った。
そして、その予感はすぐに現実となる。
――リィナの背後に、黒い影が滲み出した。
「リィナ、動くな!」
「え……?」
俺は咄嗟に剣を構えた。
影の中から、透明な腕のようなものが伸び、
リィナの背を掴もうとしていた。
瞬間、セリアが詠唱を放つ。
「《断罪の光環》!」
白い光が走り、影を焼き払った。
だがその一部が、確かにリィナの髪に触れた。
リィナが膝をつく。
「リィナ!」
「……大丈夫、ちょっと……眩暈が……」
リィナの瞳の色が、わずかに変わっていた。
琥珀色の中に、淡い銀の光が混じる。
セリアが顔をしかめる。
「やっぱり……女神の欠片が、入り込んだ」
「つまり……リィナが次の器に?」
「完全じゃない。まだ“半分”だけ。
だけど、放っておけばいずれ……彼女が、アルメリアになる」
リィナは唇を震わせた。
「……そんな……わたし、また……誰かを傷つけるの?」
「違う!」俺は思わず叫んだ。
「お前はもう誰も殺さない。
女神の欠片なんて、全部俺が引き受ける!」
「無理だよ、悠真。
そんなことしたら、あなたが……!」
「構わない。俺は前にも死んだ。
でも今度は、生きるために戦う」
フィリアが静かに弓を構えた。
「だったら――止められるうちに決着をつけるしかない。
女神が完全に目覚める前に、欠片を封印するのよ」
セリアがうなずいた。
「封印には“魂の対価”が必要。
誰かがその欠片と一体化して、永遠に閉じ込められなければならない」
ノワが低く呟く。
「つまり……犠牲が、またひとり」
沈黙が流れた。
風が止み、空が灰色に染まる。
リィナが立ち上がった。
その瞳には、覚悟が宿っていた。
「――なら、私が行く。
これは私の中にあるもの。私が責任を取る」
「だめだ!」俺は彼女の腕を掴んだ。
「もうそんな犠牲はいらない!
俺たちはみんなで戦ってきたじゃないか!」
リィナの指が、そっと俺の頬をなぞる。
「……ありがとう。
でもね、悠真。
あなたが生きてくれるだけで、私は救われるの」
涙が頬を伝う。
彼女は微笑んだ。
まるで、あの時の女神のように。
セリアが静かに詠唱を始めた。
大地が光り、封印の紋が描かれる。
リィナがその中心に歩み出た。
「リィナ!」
「大丈夫。ねえ、覚えてる?
“次に生まれ変わっても、またあなたを見つける”って約束」
「……ああ」
「今度は、あなたが私を見つけてね」
光がリィナの身体を包み込む。
欠片が苦鳴のような声を上げ、彼女の中で燃え上がる。
「アルメリア……あなたの痛みも、私が引き受ける……!」
空が裂けた。
光の柱が天に伸び、世界の色が戻っていく。
花が咲き、風が吹き、鳥が再び鳴き始めた。
リィナの声が微かに響く。
「……これで……また、朝が来るね……」
光が消えたあと、そこには誰もいなかった。
静かに立つ俺の手の中に、ひとひらの羽根だけが残されていた。
白銀に輝くそれは、女神の欠片の象徴。
けれど今はもう、禍々しい力は感じられない。
セリアが呟く。
「リィナの魂が、世界の均衡を繋ぎとめている。
彼女は今も、この空のどこかにいるわ」
ノワが影に溶けるように姿を消した。
フィリアが空を見上げ、弓を握りしめる。
「……泣かないんですか?」
俺は首を振った。
「泣かない。彼女は、まだ終わってない。
俺たちが生きる限り、リィナも生きてる」
風が吹き抜け、羽根が空へ舞い上がる。
それはまるで、
女神の微笑みが再び世界に祝福を送っているかのようだった。
――だがその夜、湖の底で微かに光が瞬いた。
封印されたはずの女神の欠片。
その中心で、リィナの声が響いていた。
「ねえ……悠真……今度は、私があなたを見つけに行くからね――」
そして光は闇に沈み、再び世界は夢を見る。
“永遠の輪”はまだ、静かに廻り続けていた。
滅びの果てに訪れた“再生”は、
決して穏やかなものではなかった。
リィナはその身に女神の欠片を宿し、
悠真は再び“失う痛み”を知った。
けれどその痛みこそが、世界を繋ぎとめる礎となったのだ。
彼女の消失は終わりではない。
むしろ、それはもう一つの始まりだった。
世界は新たに息づき、
封印の底で、女神と少女の魂がひとつになる。
そこには滅びでも救いでもない、
ただ“約束”だけが残された。




