第四章・桜下の宴
この物語には新選組等歴史的人物の子孫が登場いたしますが、フィクションですので実際の人物や団体等とは全く関係ありません。
また、未来がこのような形になっていたりするのはあくまでも“空想”ですので、ご了承ください。
ある日の朝食後。歳信に呼び出され、狐依は副長室にいた。
「――――お前、何かできることはあるか?」
「私に、できること……ですか?」
唐突に尋ねられ、狐依は怪訝そうに聞き返した。
「あぁ。うちは当番制で色々とやっているから、料理でも、洗濯でも、掃除でも、何かできることがあれば俺に言え。仕事をしてもらう。」
「――――掃除くらいなら、できます。」
しばらく考えて狐依がそう言うと、歳信は頷いた。
「じゃあ、掃除する場所を案内するから、付いて来い。」
そして、二人が副長室を出て廊下を歩いていると、狐依の目の端に桃色の物が映った。
庭に咲いた大きな桜の木で、花弁が満開に咲き誇っている。
「綺麗ですね……。」
「ここは桜里だからな。俺達も、屯所で毎年花見をしてるんだ。―――そういやぁ、今年はまだだったな。」
歳信はそう言うと、ふっと微笑みを浮かべた。
普段、眉間に深くシワを寄せた気難しい顔とは全く正反対の、穏やかな笑顔。
狐依はその顔を見て、目を大きく見開いた。
「せっかくだ。散らないうちにやるか。」
桜を見て、とても穏やかな顔になる歳信。そのことを、狐依は記憶に焼き付けた。
今見た歳信の穏やかな笑顔が、獅郎の言う“良い人達”の部分だと思ったからだ。
「狐依、幹部全員に『花見の準備をしろ』と連絡してくれ。あぁ、あと、掃除は基本的に庭を頼む。」
歳信は早口にそう言うと、急ぎ足に去って行ってしまった。
仕方なく、狐依は幹部達を探しに道場の方へと歩いて行った。
道場の方へ行くと、稽古は休憩中なのか、幹部達は道場前の縁側に座ってのんびりとしていた。
「あの、皆さん。」
狐依がおそるおそる声をかけると、皆が狐依を見上げた。
「どうしたの、狐依ちゃん?」
小首を傾げて尋ねる静司に、狐依は頷いて、
「土方さんが『花見の準備をしろ』と仰っていましたので、報告しにきました。」
「お、やっと花見の時期か。」
それを聞いて、左槻が嬉しそうに言う。
「左槻さんは宴会好きだからなぁ。」
陽助が少し呆れたように笑いながら言う。
「今年は“花”がいるからな。今までより宴席が華やかになるんじゃねぇか?」
新一が弾んだ声でそう言うと、皆の視線が狐依に集中した。
「?どうされたんですか?」
狐依がキョトンとした顔でそう尋ねると、柳助が肩をすくめた。
「残念ながら、当のご本人は何の事だかさっぱりだって。」
「そないなこと言うても、新一はどうせ酔っ払って避けられるのが落ちやで。」
獅郎までもがそう言い、その場がどっと笑いに包まれる。
「おい、獅郎っ!それ言ったらお終いだろうが!」
新一が焦った顔でそう言うと、また笑いの渦が起こる。
その楽しげな光景に、思わず狐依も笑ってしまった。
そして、ふと、一人いない者がいるのに気付く。
「そういえば、斎藤さんは?」
そう尋ねると、
「斎藤君なら、裏庭の方ではないでしょうか?」
忠士がそう言って、裏庭の方に視線を向ける。
「裏庭の場所は分かるかい?」
源久がそう尋ねると、狐依は頷いた。
木霊が宿る木がある場所は、ちゃんと覚えている。
「皆さん、そろそろ稽古に戻りましょう。」
真面目な壱樹がそう言うと、皆は立ち上がって道場に戻った。
狐依はそれを見送りながら、道場の裏手へと回った。
桜の巨木の前で、郁と武が戯れている。
狐依が傍に寄ると、郁は顔を上げた。
「狐神、どうした?」
「土方さんが、『花見の準備をしろ』と仰っていたので、報告に来ました。」
「そうか。」
郁は短く答えると、武の頭を撫でた。武は目を細めて郁にすり寄る。
「仲が良いんですね。」
狐依がそう言うと、郁は、
「仲が良いわけではない。武は、俺の相方だ。なくてはならぬ存在でもある。」
ときっぱり言い放った。
その言葉に、狐依は少し目を丸くしたが、「そうですか」と柔らかく笑った。
狐依はしゃがみこむと、武の目と自分の目を同じくらいの高さにして、にこりと微笑む。
武はじっとその瞳を見つめ、ペロリと狐依の頬を舐めた。
「――――あんたは、すごいな。」
郁はそう言って、狐依を見た。武は番犬として飼われているために、そう易々と誰かに懐くわけではない。けれども、狐依には数日で懐いてしまったのだ。
しかし、狐依は武を撫でながら、首を横に振る。
「私はすごくなどありません。斎藤さんや武、神選組の皆さんに比べたら、とても弱い。」
狐依がそう言うと、郁は静かに瞼を閉じて、呟いた。
「――――俺は、強くなどない。」
「どうしてですか?」
狐依がキョトンとした顔で尋ねると、郁は瞼を上げて、真っ直ぐに狐依を見つめる。
「師匠に言われたことがある。俺はまだ『本当の強さを知らない』と。」
「本当の強さ……?」
郁は頷いて、再び口を開く。
「だから俺は、こうして神選組で、本当の強さは何なのかを探している。」
郁が、右腰の刀に手を伸ばす。その柄をそっと撫でて、郁は小さく笑う。
「ここならば、本当の強さというものが、分かる気がする。」
「―――斎藤さんなら、きっと見つけられると思います。」
狐依がそう言うと、郁は「だと良いのだが」と小さく口に出す。
本当の強さが何なのか、狐依には全く分からない。そんなものが、在るのかさえも。
けれども、武の頭を優しげに撫でることのできる郁になら、見つけられるんじゃないかと思った。
数日後、狐依が神選組に来て一週間、満月が天に昇った日。
神選組の道場の裏庭で、屯所で一番大きな桜の下、大きな花見会が開かれていた。
無礼講とばかりに隊士達が酒を煽る中、狐依は周りの騒々しさに少し気圧されながらも、幹部達と同じ席で食事を楽しんでいた。
「だぁー、新一さんっ!それ俺のっ!俺のおかずーーーっ!!!!!」
「ふはははは、お前のおかずは俺のおかずだ!!!」
「陽助、新一、大人気ないから止めろ。」
右隣では大声で喧嘩(?)をしている陽助と新一の二人が、左槻にいさめられている。
「ったく、少しは黙って花見ができねぇのか、そこの二人は…。」
「陽助と新一さんが黙って花なんか見てたら、びっくりするじゃないですか。」
「静司、その言葉は少し余計だと思うのだが。」
左隣には、そんな二人の喧嘩を見てため息をつく歳信と、皮肉った静司にすかさず指摘をいれる郁。
狐依はそんな陽気な宴会を見回して、頬を緩ませた。
管狐に襲われた時は、自分の状況も何も分からず、ただ不安と恐怖だけがその身を支配していたが、今は違う。
理由はあるものの、見ず知らずの自分を預かってくれた上に、こうして宴の席にも呼んでくれた。
最初は刀を扱う荒くれ者揃いだと思っていたが、触れ合ってみると温かいことに気付いたのだ。
「狐依ちゃん、遠慮せぇへんと、どんどん食べて、食べて。」
「あ、ありがとうございます、獅郎さん。」
「お酒は飲めないの?やっぱり、宴会と言えばお酒でしょ。」
柳助がそう言って酒瓶を勧めたが、それは壱樹によって制された。
「武田さん、未成年にお酒を飲ませるのは法律違反ですよ。」
「分かってるって。冗談だよ、壱樹。」
「あなたの場合、冗談に聞こえないのですよ、武田君。」
小さくため息を付きながら、敬斗が柳助をいさめる。
「まぁまぁ、今日は無礼講なんだから、喧嘩をするのはやめなさい。狐神君、無理しなくていいからね。苦手な物は断っていいよ。」
源久がそう言い、狐依はそれに「ありがとうございます」と笑顔を返す。
「おぉ、そうだ、トシ!一句読んでくれんか?せっかくの宴の席だからな!」
ふと、勇輝がそんなことを言って歳信を見る。
「おいおい、近藤さん……」
「賛成!上手かったら、また週刊誌に投稿しときますよ。」
怪訝そうにする歳信だが、静司が楽しげに勇輝の提案を押し切る。
周りからも「ぜひ!」という声が上がり、歳信はため息を付きながらも辺りを見回して、ふと桜の巨木に目を向けた。
そして、しばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開き、
「薄桜 月に照らされ 舞ひ散るを 儚きことと 望むだけ」
一言一言を空気に乗せるように呟いた。
その句を聞き、周りが水を打ったように静かになる。
「いやぁ、とても良かった!感動したぞ、トシ!」
その静寂は、勇輝の朗らかな声によって終わる。酔っているらしく、ほんのり頬を染めた勇輝が、大声を出すのを憚らずに声を上げたので、周りも口々に褒め称えた。
しかし、歳信はその褒め言葉を聞いても、苦笑いをしている。
(良い句だったけれど、何が物足りないんだろう?)
狐依がそう思っていると、幹部達の何人かも顔に愁いを帯びた表情を浮かべていた。
「あの歳信っていう男、即席にしちゃあ良い句を読むんだな。」
ふとそんな声が横から聞こえた。見ると、狐依の肩に木霊が乗っていた。
「木霊さん、さっきの句の意味、分かるんですか?」
狐依が小さな声で尋ねると、木霊は頷き、
「多分、『月に照らされて舞い散る薄桜を、私は「儚いことだ」と思って眺めることしかできない。』だと思うぞ。本当の意味は、本人に聞いときな。」
木霊はそう言うと、テーブルに並べられた料理を少しだけ摘まみ食いした。
木霊に説明された句の意味を聞いて、狐依は少しだけ寂しさを覚えた。
とても綺麗で上手な句だけど、少し哀しみの込められたもの。
それはまるで、自分達のことを暗示しているかのような。なぜだかは分からないけれど、狐依はそう思った。
(でも、それじゃあまるで、神選組がすぐに終わってしまうみたいじゃない。)
そう思い至り狐依は小さく首を横に振る。
そんなわけない、と、強い思いを抱きながら。
そして、そんな狐依と木霊のことを、酷薄な笑みを浮かべて眺めている者がいることを、狐依は気付いていなかった。