第三章・狐依、巡察に同行する
この物語には新選組等歴史的人物の子孫が登場いたしますが、フィクションですので実際の人物や団体等とは全く関係ありません。
また、未来がこのような形になっていたりするのはあくまでも“空想”ですので、ご了承ください。
「巡察に、ですか?」
狐依が少し驚いた声音でそう言うと、歳信は頷いた。
「あぁ。お前は俺達に見えない妖怪も見えるようだからな。巡察に行って、帝都内にどのくらいの妖怪が住み憑いていやがんのか、それと、どのくらいが和魂の奴なのかを調べれば、今後の活動にも役に立つだろうしな。」
歳信はそう言って、一息ついた。
「あの、その“和魂”とは、どんなものなんですか?」
「妖怪は『和ぎれば幸を、荒ぶれば禍をもたらす』と言われていて、そのうちの和ぎった魂を持つ妖怪のことを、和魂と呼ぶ。まぁ、悪さをしない、善妖ってことだな。」
つまりは、先日の座敷童子や木霊のような者達のことなのだろうと、狐依は理解した。
「逆に人間に害なす妖怪は荒魂と呼ぶ。俺達は、この荒魂の妖怪を浄魂し、妖怪の世界へ送り返すのが仕事だ。」
「なるほど。ということは、私は隊士の皆さんの巡察に同行して、妖怪の調査をするんですね?」
狐依が尋ねると、歳信は「あぁ」と頷く。
「最近は鬼や管狐の事件情報が多い。鬼の容姿は分かるか?」
尋ねられ、狐依は頭を捻る。ふいに、頭に一つのイメージが浮かび上がった。
「角……」
その言葉に歳信が眉をひそめる。
「お前、鬼を見たことがあるのか?」
「……よく、分かりません。でも、なぜか、その言葉が浮かんで…」
もしかしたら、見たことがあるのかもしれない、と狐依は思った。
その時のイメージが、少しだけ残っているのかもしれない。
「―――まぁ、いい。管狐はこの前襲われたから分かるな?普通の狐と変わらないように見えるが、奴らは狐を少し小さくしたような姿に、尾が太いのが特徴だ。」
「分かりました。皆さんのお役にたてるよう、がんばります。」
狐依がそう言うと、歳信は困ったように笑った。
「あんまりがんばり過ぎても、妖怪に付け入れられるだけだ。妖怪は人間の負の隙間に付けこむからな。」
そう言われ、「はい」と狐依は返事をする。
「今日は少し大人数になるが、お前と共に巡察に出るのは、静司の一番と斎藤の三番、それと陽助の八番に原田の十番だな。」
「いつもはそんなに大人数ではないんですか?」
「まぁな。あんまり多くても、浪士共が逃げちまうだけだからな。」
神選組ができたばかりの頃は、浪士達も威勢よく向かってきたのだが、神選組の活躍が目覚ましいものとなってからは、隠れることが多くなってきた。
「まぁとにかく、よろしく頼むぞ。」
「分かりました。」
狐依はそう言うと、頭を下げて部屋から出た。
玄関へ向かうと、浅葱色の制服を纏い、黒地にだんだら模様の施された“神選組”と明朝体で書かれている腕章をした隊士達が、巡察へ赴く準備をしていた。
「狐神、副長の話は終わったのか?」
その中にいた郁が、狐依の姿を目に留めてそう声をかけた。
「はい。今日は皆さんの巡察にご一緒させていただくことになりました。」
「副長から話は聞いている。お前はまだ帝都内をよく知らないだろうから、勝手にどこかへ行くことはするな。」
郁に注意を受け、狐依は深く頷いて、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「よし、それじゃあ行くとするか。」
そんな声が聞こえ、奥から組長達が玄関までやってきた。
「狐神、お前も外へ出ろ。」
「はい。」
狐依は靴を履くと、数十人の団体と共に江戸町へと繰り出した。
江戸町の活気付いた通りに、一陣の風が吹いた。その風に吹かれ、桜の花びらが狂ったように舞い踊る。人々はしばしその桜の狂演に目を見張り―――はっと顔を上げた。
視線の端に、薄桃色に彩られた中に、青を見たからだ。
人々の視線は桜の花びらから、その青いものへと映った。
堂々と、車の往来のない道を歩く浅葱色の制服。腕に光る黒地に白のだんだら模様が施された腕章には、明朝体で“神選組”と刺繍されている。
「神選組だ!」
その姿を見て、人々は尊敬と畏れを滲ませ、別に何をされるでもないのに道の端へと引っ込んだ。観光客と思しき人々も、その威圧感に地元の人間と同じように動く。
数十人の団体の先頭には、特に人の目を引く組長達がいる。
その整った顔立ちに、女性達は顔を綻ばせて黄色い声を上げる。
一行が通り過ぎた後、観光客が店の主人に問いかけた。
「あの人達は?」
「神選組といいまして、帝から帝都の守護警備を任せられている、いわば自警団のようなものです。」
「あぁ、あの人達が、あの有名な。」
近隣の地区や県にもその名は轟いているようで、観光客は感嘆のため息を漏らした。
ところ変わって、神選組の先頭集団。
「今日も平和だなー…。」
辺りを見回して物足りなそうに呟いたのは、陽助だ。
「平和に越したことねぇよ、陽助。俺達は平和維持のためにここにいるんだ。平和だってことは、俺達の活動が実っているってことだろ?」
そう言って釘を刺したのは、肩に槍を担いでいる左槻。
「左槻の言うとおりだ、陽助。不謹慎だぞ。」
静かにたしなめたのは、一番先頭で目を光らせていた郁だ。
「そのうち伊藤さんあたりが何かやらかしそうだよね。陽助、そしたら思いっきり暴れられるよ。」
若干他人事のように言ったのは静司。
「だといいんだけどなー。」
「あの…、伊藤さんとは、どなたですか?」
ふと、狐依が静司を見上げて尋ねた。
「伊藤さん?昔でいうところの尊王派集団のボスで、伊藤甲子太郎の先祖憑きなんだけど……、あれ、下の名前なんだっけ?」
「そういや、知らねぇな。」
「俺も。」
「同じく。」
皆口々にそう言う。どれだけ影の薄い人なんだろう、と狐依は少しだけ哀れに思った。
ちなみに、伊藤一派は天皇を支持していても、帝や首相は信用していないという、なんとも身勝手な勢力で、その思考は帝の位が貴光に渡ったときに膨れ上がり、ついに集団となったわけだ。
貴光が帝の位を受け、天皇に信頼が置かれ始めたので、世の勢力は三つ巴の状態に陥ったのだ。主に帝を支持する一派、天皇を支持する一派、内閣を支持する一派だ。
三つの勢力が互いに対立して入り乱れるこの状況は、一対一よりもなかなか状況が進まずに、ほぼ睨み合いだけで大きな事件が起きない。
その状況が、住民達を一層不安にさせている。
ふと、周囲がざわめき始めた。
「お、どうやら噂の人が来たようだな。」
つい、と皆が視線を向けると、道の反対から派手な衣装に身を包んだ集団が歩いてくるのが見えた。
「…………………」
全員が「は?」という顔で固まる。
それもそのはず。まさかこんな古風な街のド真ん中を、金やら銀やら赤やらの派手な衣装で出歩く者がいるとは思ってもいなかったからだ。
「あ~ら、誰かと思えば神選組の小童さんたちじゃな~い?」
女みたいな高い声に、女口調。「男のくせに、なんだよこいつオカマかよ」なんて観光客は思ったが口には出さない。
こんな冗談みたいな輩でも、一応は伊藤一派という一勢力のボスであるからだ。
「お、見ろよ、静司。桜ソフトクリームだって。」
「京都のもおいしかったけど、ここのもおいしいよね。」
そんなオカマなぞ見てないぞ、という風に、静司と陽助の二人は通りの商店に立てられた看板を見てそんな会話を始めた。
「俺は桜団子が食べたいな。」
その会話に左槻も乗っかって、桜料理の話になる。
「三人とも、今は巡回中だぞ。口を慎め。」
郁が冷たくたしなめた。どうやら生真面目な彼は、こんなオカマでも、出会ってしまった敵勢力であることに変わりはないから、相手をするようだ。
「こんなところで油を売っている暇はない。まだ見回らなきゃならん場所はたくさんある。」
――――生真面目な彼も、伊藤とは付き合いたくないようだ。
「ちょぉっと、何よ!何無視してくれちゃってるの!」
「いや、普通無視するだろ」と思いながら、見物している観光客はうんざりしたように目をそむけた。
そして、狐依は理解する。彼が名前を覚えてもらえないのは影が薄いからではなく、影の濃さ故に避けられているからだ、と。
「郁君硬いー。少しくらいならいいでしょ?郁君だって桜のお菓子好きなくせに。」
「時と場所を考えろ。さぁ、行くぞ。」
組長達は見事に伊藤を無視し、スタスタと進み始めた。隊士達もなるべく伊藤を見ないように組長達についていく。
「むきー、許さない!こうなったら真剣勝負よ!」
ヒステリックに叫ぶ伊藤を背後に、組長四人はちょっとした相談を始めた。
「ねぇ、どうする?あの人ウザったいし、この場で殺っちゃう?」
なんとも物騒なことを赤い目を光らせて言うが、これは観光客も同意してくれるんじゃないかと神選組は思っている。
「いや、なんだか面倒なことになりそうだ。ボスがボスなら、部下が部下だからな。」
左槻がそう言って、「おう、いいぜ」と言う言葉を飲み込んだ。
確かに、伊藤という奴に付いて行くくらいだから、部下も部下なんだろう。
「あの人、先祖憑きのくせに間抜けだよな。」
「陽助、本当のことを言うのはよせ。」
「な、なんですって!?」
陽助が口を滑らせた言葉は、どうやら伊藤の耳に入ったらしい。
そして、郁のたしなめ方もまずかった。
「ああいう人って、こういう時だけ地獄耳だよね。」
「おい、静司。煽るな。やり過ごせなくなるだろ。」
そう言いつつ、自分も十分煽っている左槻。伊藤の屈辱はかなり上がっている。
「ふん!なんて無作法な集団なのかしら!………あら?」
その時、伊藤の視界に狐依が留まった。すぐに伊藤の顔が、悪巧みをしている時の不敵なものに変わる。
「あらあら、どうして神選組の中に、女性がいるのかしら?」
してやったり、という顔で、伊藤が笑う。
「ねぇ、どう説明する?」
静司が小声で耳打ちをすると、郁が口を開いた。
「彼女は依巫の能力を持つ者で、帝から預かっている。和魂の妖怪が見えるために、こうして巡察に同行させている。」
少しだけ偽りもあるが、伊藤に下手なことを言えば神選組に害があると考えた郁は、やむなくそう言った。
「だいいち、女性は入っちゃだめなんて規定、作った覚えはないんですけど。伊藤さんは、彼女のどこに僕らといるのはおかしいと感じたんですか?」
今度は静司が不敵な笑みを浮かべてそう言う。その言葉に、伊藤は憎々しげに顔を歪めた。
言葉に詰まった伊藤を置いて、神選組は颯爽と去っていく。
組長達は狐依を内側に入れ、なるべく周囲の圧力を感じないようにしていた。
「狐依、今後町であの人に会っても、上手く無視しろよ。」
小さな声で、左槻がそう言った。
「どうしてですか?」
狐依がそう尋ねると、彼は頷いて、
「あの人は、俺達と貴光が気にくわねぇんだ。だから、俺達を堕とすためならなんだってする。お前も狙われる可能性があるから、気をつけろよ。」
その言葉に、狐依はしっかりと頷いた。
彼女には、まだこの帝都の勢力図はよく分からないが、彼らが自分に対して言う言葉に、嘘偽りはないんだと、心のどこかでそう思ったからだ。