第二章・和魂の妖怪
この物語には新選組等歴史的人物の子孫が登場いたしますが、フィクションですので実際の人物や団体等とは全く関係ありません。
また、未来がこのような形になっていたりするのはあくまでも“空想”ですので、ご了承ください。
「―――――おう、貴光か?俺だ、歳信だ。」
狐依が神選組に身を寄せることが決まった夜。歳信は、自室で貴光と連絡を取っていた。
現帝である源條院貴光は彼らの主であり、天皇補佐役という重要人物ではあるのだが、日本人特有の艶やかな黒髪に黒目勝ちの美しい瞳という中性的な容姿の美青年でもあり、二四歳という若さで帝の位を受けたため、年の近い神選組幹部達は、ほとんど彼のことを呼び捨てにしている。主従関係ではあるものの、ちょっとした友人のような関係なのだ。
『やぁ、歳信。どうしたんだい、こんな遅くに?』
貴光が電話の向こうでそう言ったので、歳信は小さくため息を付いてから、狐依のことを掻い摘んで説明した。
『………ふぅん、なるほど。妖怪が見え、鬼切の刀を持った少女ね……。すぐにそっちに行きたいところだけど、しばらく予定がいっぱいなんだ。少しの間、その子のこと預かっていてくれるかい?』
「そのつもりだ。妖怪が見えるってことは霊力があるってことだからな。放っておいて、町に危害を出したら敵わねぇ。」
霊力とは、一般に人間が持つ霊的な能力のことであり、先祖憑き以上になるとかならず持ち合わせている力である。
これがあるということは、神霊や妖怪といった類のものが見えたり、霊的な力が使えるということだ。
霊力に相反するものは妖力で、これは妖怪、物怪、九十九神しか持ち合わせていない。
霊力と妖力、二つの力は互いに全く別のものであり、また互いに惹かれ合うもの。
『じゃあ、その子のことよろしくね、歳信。なるべく早くそっちに行けるように私も頑張るよ。』
「おう、じゃあまたな。」
歳信は通話を止めると、携帯電話を文机に置き、ふぅーっ、と長いため息をついた。
自分の「変な予感」が当たるとは全く思っていなかったのに、こうも早く厄介なことが飛び込んでくるとは。
歳信はそう思いながら、丸い障子窓の向こうに輝く月を見つめた。
月は何も答えない。
ただ黙って、神選組と狐依の行く末を、見守っているようであった。
――――翌日。
大広間での朝食の後、歳信がおもむろに口を開いた。
「斎藤。」
名前を呼ばれた郁は顔を上げ、「はい」と返事をして立ち上がろうとした。
「いや、そのままでいい。」
しかし、歳信にそう言われ、もう一度座りなおす。
「昨日、貴光にこいつの処遇について意見を求めた。」
そう言いながら、歳信は視線を狐依に向け、また皆の方へと戻す。
「だが、しばらく予定が開いていないらしいから、判断はもう少し先になる。それまでの間、斎藤、お前がこいつの面倒を見ろ。」
それを聞き、郁が面食らったように困惑顔をする。
「ですが、副長……」
「お前くらいしか、安心して任せられる奴がいねぇんだよ。他の奴らは何かしでかしそうだしな。」
そう言って、歳信が数人の幹部に視線を投げかける。
「やだなぁ、土方さん。それ、誰のことです?」
眉間にシワを寄せて、静司がそう尋ねる。
「そうっすよ、土方さん。なんでこっち見てるんですか?」
それに続き、柳助も口を尖らせる。
「お前らの素行が悪いから言ってんだ。自分に目が向けられていると思ってるなら、反省しやがれ。」
そう言われ、二人は不機嫌そうに黙りこむ。
「そういうことだ、斎藤。よろしく頼むぞ。」
郁はしばし考えこむと、目を伏せて
「了解しました。」
と短く答えた。
「よし、それじゃあ各自、自分の仕事に行ってくれ。」
話が終わったのを確認し、勇輝がそう言って立ちあがる。
他の皆も、それぞれ立ち上がって食事を片づけ始めた。
「狐神。」
狐依が立ち上がった時、郁が傍まできて名前を呼んだ。
「はい、なんですか?」
顔を上げて尋ねると、郁は頷いて、
「屯所内の案内をする。付いて来い。」
簡潔に言い放つと、広間を出て歩き出す。狐依は慌ててその後を追った。
「――――ここが道場だ。」
道場は、母屋から渡り廊下を挟んだ向こう側にあった。
つまり、隊士達が普段居住する場所と道場が、別の場所にあるということだ。
道場には既に数人の隊士がおり、木刀を構えて稽古に励んでいる。
熱気を感じながら、そのどこかに、狐依はふと違和感を覚えた。
道場の一画に、木刀を乗せておく金具が取り付けられた壁があるのだが、その前でかけられた木刀をじっと見たり、隊士達の稽古を楽しそうに見つめている子供が二人いるのだ。
二人はどうやら女子と男子で、揃いの赤と青の着物を纏い、年は五、六歳に見える。
「あの、斎藤さん。」
「どうした?」
「あの子達は?」
狐依が子供達を指差すと、郁はそちらを見て、眉を歪めた。
「あの子達、とは?」
「え?だから、あそこにいる子供二人です。」
もう一度そこを指差したが、郁は首を捻るのみ。
「見えないんですか?」
なんだか自分だけ見えているのが気味悪くなり、狐依は郁の服の袖口を無意識に掴んだ。
すると、
「―――――!」
郁が何やら気付いたらしく、右腰の刀の柄に手を当てる。
「斎藤さん?」
「―――――――見えた。あの二人組だな?」
郁が目線だけで尋ね、狐依がそれを確認して頷く。
「どうやら、妖怪のようだ。」
郁はそう言って、刀の鯉口を切ろうと構える。
「まさか、あの子達を……斬るんですか?」
狐依が少し怯えた声でそう言うと、郁は即座に頷いた。
「妖怪を浄魂して、妖怪世界に送り返すのが我らの仕事だ。」
「で、でも、彼らはまだ何も――――」
狐依が必死で止めようとしていると、何やら服の袖をくいくいと引っ張られた。
振り向くと、先ほどの二人組が狐依の袖を引っ張って、にこにこと笑っている。
「お姉ちゃん、遊ぼう?」
「遊ぼう、遊ぼう?」
二人はかわいらしくそう言って、庭の方を指差している。
「斎藤さん、あの、遊んであげてもいいですか?」
狐依がおずおずと尋ねると、郁は眉をひそめたが、子供達の方を向き、
「お前達、何の妖怪だ?」
と尋ねた。
「僕ら?」
「座敷童子だよ!」
二人が揃ってにこりと笑い、また狐依に「遊ぼう、遊ぼう」と頼み込む。
「狐神、少し待っていろ。」
郁がそう言い、踵を返して母屋の方へと歩を進める。
「斎藤さんっ?」
「副長に相談してくる。――――座敷童子となれば、話は別だ。」
郁は顔だけ狐依に向けると、またスタスタと歩きだした。
「―――それじゃあ、お姉ちゃんと遊ぼうか。」
狐依が二人にそう言うと、二人はパッと顔を輝かせて庭に飛び降りた。
狐依は玄関まで戻って靴を履くと、二人と共に遊び始めた。
しばらくすると、なぜか郁と共に幹部隊士の何人かがぞろぞろと歩いてきた。
「ちょっと、郁君。座敷童子なんていないじゃない?」
静司が面白くなさそうに言うと、郁も少し困惑しながら、
「俺も、初めは見えなかったのだが……、突然、見えるようになった。」
郁がそう言うと、歳信が顎に手を当てて、
「斎藤、座敷童子が見えるようになった時、何があった?」
「あ、あの……」
狐依がおずおずと声を出すと、全員が視線を投げかけた。
「私が最初に見た時は、斎藤さんに見えていなくて……、なんだか気味が悪くなって、無意識に斎藤さんの袖口を掴んだんです。」
「そしたら、見えるようになったのか?」
歳信が訝しげに聞き返すと、「おそらく」と郁が答えた。
「狐依。」
歳信に突然呼ばれ、狐依は上ずりながらも「はい」と答えた。
すっと差し出された手を理解した狐依は、傍にいって袖口をそっと掴んだ。
「――――!」
すると、歳信が目を見開いて座敷童子二人を見つめる。
「どうだ、トシ?見えたか?」
勇輝がそう尋ねると、歳信は困惑しながら頷いた。
「狐神君、試しに俺にもやってくれないか?」
勇輝が差し出した袖を狐依が掴むと、勇輝は「おぉ!」と歓声を上げた。
「彼らが座敷童子か!なるほど、確かに本で見たのと似ているような。」
「狐神さん、私にもお願いできますか?」
「あ、じゃあ僕も。」
「あっ、俺も俺も!」
「俺も頼むぜ!」
「それじゃあ、俺もやってもらうかな。」
敬斗、静司、陽助、新一、左槻にも頼まれ、狐依はそれぞれの袖口を握る。
皆それぞれ、視界に突然現れた座敷童子二人組を、目を丸くして見つめる。
座敷童子二人は注目されているのが嬉しいのか、にこにこと笑っている。
「で、どうするんだ、近藤さん?こいつら、このまま屯所に住まわせておくのか?」
歳信がそう尋ねると、勇輝は腕組みをして唸る。
「『座敷童子が憑いている家は繁栄する』と、昔から言い伝えられていますし、彼らも危害を加えるようには見えませんから、このまま住まわせてもいいと思いますが?」
敬斗がそう言うと、幹部達も頷いた。
「そうですね。どうせ他の隊士には見えないし。」
「遊んでいるだけで神選組が繁栄すんなら、別にいいんじゃねぇか?」
「別に悪さするようには見えねぇしな。」
「俺も山南さんに賛成!大丈夫だと思う。」
皆が口々にそう言ったので、勇輝も頷く。
「確かに、皆の言う通りだな。悪さをするつもりがないのなら、無理に浄魂することもなかろう。むしろ浄魂のために刀を抜けば、彼らは怖がって、逆に暴れてしまうかもしれないからな。」
「まぁな。妖怪は『和ぎれば幸を、荒ぶれば禍をもたらす』と言うし、そのままでもいいか。」
歳信もため息をつきながら賛成した。狐依は二人の傍へ行くと、
「悪さだけはしちゃだめよ?お姉ちゃんと約束。」
そう言って、にっこり笑ってみせた。座敷童子は互いに顔を見合わせると、笑顔で頷いた。
郁に付いてきた者達は、事が終わるとぞろぞろと母屋の方へ戻って行った。
「―――――狐神、少しいいか?」
郁に呼ばれ、狐依は座敷童子に別れを告げてから、郁の後を付いて行った。
郁は道場の裏へと回った。そこには、いつの時代の物か分からない井戸と、小さな池、そして樹齢数千年に及ぶほど立派な桜の木があった。
桜は薄桃色の花を満開に咲かせ、誇らしげに立っている。
その木の前に狼犬の武が座りこんで、じっと木を見上げていたが、狐依達がやってくるとピクンと耳を動かしてこちらへ駆けてきた。
「屯所に来た時から、武はずっと先ほどのように木を見上げている。」
郁はそう言いながら、武の頭を撫でた。
「だが、俺には何も見えん。そこで、座敷童子のように、お前なら見えるのではないかと思った。どうだ、何か見えるか?」
そう言われ、狐依がじっと木を見ていると――――小さな、人形のようなものと目があった。
「―――あっ!」
「何か見えたか?」
狐依は頷き、座敷童子の時のように郁の袖口を掴んだ。
「――――あれは何だ?」
郁も人形を見たのか、眉をひそめる。
二人がじっと人形を見ていると、ふいにその人形が動き、木の枝からジャンプしてきた。
慌てて狐依が手のひらで受け止めると、人形は驚いたように目を丸くした。
「なんだ、なんだ?お前ら、オイラが見えるのか?」
人形がはっきりと口を動かして喋ったので、今度は狐依と郁が目を丸くした。
「あ、あの、あなたは……?」
狐依がおずおずと尋ねると、人形は「エッヘン!」とふんぞり返り、
「オイラはこの桜に憑く木霊だ!」
と、自信満々に言った。
「木霊……ということは、この木の守り神か?」
郁がそう尋ねると、木霊は神と呼ばれたのが嬉しいのか、鼻を鳴らして喜んだ。
「そうさ。オイラがこの木に憑いているから、この木は何千年も生きているんだぞ。」
「そうなると、やはりお前も浄魂するわけにはいかないな……。」
郁はふぅ、とため息をついた。
この木は貴光のお気に入りの木でもあり、また神選組の幹部達も気に入っている。
屯所の守り神のような存在であり、毎年木の下で花見の宴会を開くのだ。
「お前、このワン公の飼い主だろ?花見の席にもいるし、ワン公といるのも見かけるからな。」
木霊がそう言って郁を眺める。
「木霊さん、いつからこの木に憑いているんですか?」
狐依がそう尋ねると、木霊は顎に手を当てて、
「うーん、もうずっと前だ。オイラも覚えてない。――――でも、オイラのことが見える人間に会うのはお前達で二度目だ。」
「二度目?一度目はいつだ?」
郁が尋ねると、木霊は遠くを見るような目で桜を眺めながら、口を開いた。
「何年前だったかな。オイラ、ずっとここにいたから、年なんてもう数えんの止めちまったから覚えてないけど、この家が造られた時だ。この木が倒されるかもしれないと思って、オイラが工事の邪魔をしていたら、ある日“陰陽師”という奴がオイラに話しかけてきたんだ。『この木を切るつもりはないから、もう工事の邪魔はしないで欲しい』ってな。オイラのことが見える人間はそいつが初めてだった。」
「陰陽師?」
郁が首を傾げる。神選組の協力筋に、そんな者がいたかどうか考えたが、思い当たらない。
「嬢ちゃん、なんだかどっかで見たことある気がするな?」
突然、木霊が狐依を見てそう言った。
「え?」
狐依は木霊のことなど全く知らない。木霊という妖怪がどういうものなのかすらも。
「んー、覚えてないな。人違いかもなぁ。」
木霊は頼りなさげに言うと、狐依の手からジャンプして木に飛び移った。
「オイラはいつもここにいるから、用があったら呼んでもいいぞ。あと、今年も宴会しろよ!あの宴会は、オイラも楽しいからな!」
そう言って、葉の間に消えてしまった。
「いなくなっちゃいましたね…。」
狐依が少し寂しげに言うと、郁は少し考え込み、
「木霊のことは、副長に言わずとも支障はないだろう。しかし―――、こうも妖怪がいるとは、神選組は案外妖怪に好かれているのかもしれないな。和魂の妖怪だから、まだ良い方だが。」
自嘲気味にそう言うと、郁は踵を返して母屋に足を向ける。
「他の場所へ行くぞ。」
「はい!」
狐依は返事をすると、武に手を振ってからその場を後にした。