第十章・記憶の断片
この物語には新選組等歴史的人物の子孫が登場いたしますが、フィクションですので実際の人物や団体等とは全く関係ありません。
また、未来がこのような形になっていたりするのはあくまでも“空想”ですので、ご了承ください。
梅雨が過ぎ、深緑が目に眩しい七月。
表向きは日本家屋そのものだが、設備は近代的な作りである屯所は、広間を閉め切ってもクーラーが効いていてとても快適だ。
そんな快適な空間で、幹部達が会議をしていた。
その席になぜか呼ばれた狐依は、居心地が悪そうに縮こまりながら、歳信の話を聞いていた。
「前に刀馬が話した、尊王派の狩宮辰則のことだが。」
その言葉に、一瞬にして空気が張り詰める。狐依はその人物を知らないが、幹部達の様子からみて、危険な人物だということは理解していた。
「いよいよ本格的に動き出したみてぇだ。見張っていた監察方から、屋敷を往来する六尾の妖狐の存在を確認した報告があった。そこで、何人かに潜入捜査を頼みたい。」
歳信はそう言うと、郁へ視線を向けた。
「まず、一人目だが。斎藤、頼めるか?」
そう尋ねられ、郁は頷きながら「御意。」と答えた。
「土方さーん、僕も行ってみたいでーす。」
「あ、俺もー。」
間延びした声で静司と柳助がそう言うと、歳信は眉間にシワを寄せた。
「てめぇらはふざけるからだめだ。」
「お堅いですねぇ、土方さんは。ふざけて得られる情報もありますよ?」
「俺達の正体がバレたら意味ねぇんだよ。最悪、妖狐の目撃情報だけでも家宅捜索くらいできるんだ。そこまで情報を求めようとは思っちゃいねぇ。」
歳信はきっぱりと言うと、つい、と狐依に視線を向けた。
「お前も行けるか、狐依。」
「え?私、ですか?」
狐依は突然名前を呼ばれて心底驚いたが、歳信は真剣そのもので頷いた。
「お前は和魂の妖怪が見えるし、狩宮に面が割れてねぇ。妖狐の他にも、屋敷に妖力の高い妖怪がいたら報告してくれ。―――無理にとは言わねぇから、自分で決めろ。」
そう言われ、狐依はしばらく考えていたが、不意に顔を上げ、
「足を引っ張ってしまうかもしれませんが―――、私がお役に立てるなら、やらせてください。」
そう言うと、歳信は満足そうに笑った。
「斎藤、狐依をフォローしてやってくれ。」
「分かりました。」
「今回は監察方も付ける。正体がバレそうになったら、何とか逃げて来い。いいな?」
郁と狐依が頷くと、歳信は広間の扉の方を見た。
「お前達、入ってこい。」
歳信がそう声をかけると、扉が開いて二人組が入ってきた。
「監察方の、山崎忍です。」
「同じく、山崎隠です。」
「「よろしくお願いします。」」
二人は主に狐依に向けて、息の合った挨拶をした。
顔立ちはよく似ており、鷹のような切れ長の瞳は鋭く、薄い唇がきゅっと引きしまっている。陰りのある美人、といったところであろうか。
片方は髪が短く、片方は長いのを下の方で一括りにしており、二人とも黒髪で、髪の長い方は胸があるために女性だと取れた。
この様子からすると、どうやら双子のようだ。
「二人とも、本物の忍者みてぇに優秀だから、手助けになるはずだ。よろしく頼むぞ。」
歳信にそう言われ、狐依は「よろしくお願いします。」と丁寧に頭を下げた。
その仕草に、堅苦しかった二人も少しだけ緊張を解いた。
「狐依は、接客担当の者として忍と隠と共に屋敷内へ入ってくれ。斎藤、お前は面が割れているだろうから、外から屋敷を見張れ。」
「分かりました。」
「「了解。」」
「御意。」
それぞれにそう返事をし、四人は早速準備に取り掛かった。
―――――翌日。狩宮邸前。
「では、最終確認を。」
狩宮邸前の宿屋の一室で、四人は並んで腰かけていた。
四階に位置する和式の部屋の窓からは、屋敷内がよく見られる。
「私と忍、それから狐依さんは、偽名を使って屋敷内に潜入します。“小間使い”という役職なので、さりげなく狩宮の動向を探ってください。何かあったら、すぐに報告を。バレそうになったら、しっかりとフォローに回ってください。―――そして、斎藤さんはこの宿屋で屋敷の監視をお願いします。」
「分かった。中のことは、よろしく頼むぞ。」
「お任せください。」
ちなみに、山崎双子の偽名は御坂信之と夕花、狐依は神代緋和だ。三人は幼馴染という設定でもあり、また、少し変装して赴く。
着替えや化粧を済ますと、郁に挨拶をしてから三人は狩宮邸へと入った。
「あぁ、あなた達が、臨時のお手伝いさんですか。」
屋敷に入って名前を告げると、小間使い達の長だという男にそう言われ、急いでいるのかすぐに制服に着替えさせられ、仕事を回された。
まずは玄関の掃除。
いつも屯所の玄関を掃除しているので、狐依は手慣れた手つきで玄関を綺麗にしていく。
その後、主だった仕事はほとんど掃除で、三人は仕事をこなしつつ、常時屋敷で小間使いをしている者たちへの聞き込みをしていた。
――――最も、それをするのは、だいたい山崎双子の役目だったのだが。
「今日臨時募集があったということは、もしかして、大事なお客様がお見えになるんでしょうか?」
あの鷹のような鋭い瞳を、メイクで上手い具合に隠した妹の隠は、噂好きそうな中年の小間使い達とそんな話をしていた。
狐依はどうしていいか分からずに、後ろで戸惑いながら話を聞いている。
「えぇ、どうもそうらしいわよ。最近よくあるのよ、お客様がお見えになること。なんでも古い友人らしいんだけど、ずっと前からここにいる人も知らないというし、ご主人とお二人で何やら怪しげな話し合いをされていて、使用人も近づけないほどよ。」
「ご主人といえば、最近変だと思わない?」
若い使用人の女が小さな声でそう言うと、周りは「確かに。」と言いあって頷いている。
「変とは、何が変なんですか?」
心中では今すぐその話を詳しく聞きたいと思っているのだろうが、隠はそれを表に出さず、あくまで自然な様子で尋ねた。
「何だか前より目つきが鋭くなったというか。」
「台所の油揚げが無くなってると思ったら、ご主人のお部屋の引きだしに入っていたりとか。」
「妙な独り言を呟くようにもなったわよね。なんか、姫がどうとか。」
「あ、そうそう!言うわよね、たまに。」
「姫?」
「何なんでしょうねぇ。」と心底不思議そうに言ったが、隠は脳内に今の会話をインプットしていた。
「あなた達、そこで集まって喋っていないで、早く準備をしてください。もうすぐ六時。お客様がお見えになる時間ですよ。」
その言葉に、使用人達はすぐに散っていった。
「―――――狐依さん、客が来たら、お茶を持っていくふりをして、盗み聞きをしてください。使用人は話し合いの席に近づかないようですし、私と忍でできるだけ食い止めます。お願いできますか?」
狐依は隠の小声のセリフに少し身を固くしたが、やがて静かに頷いた。
神選組の役に立てるなら、何でもしようと思っていた。
――――同日、午後六時半。
狐依は茶盆を手に廊下を歩きながら、話し合いをしている部屋へ向かっていた。
なるべく足音を忍ばせて、少し心に罪悪感を宿しながらも、神選組のためだと言い聞かせて進む。
しばらく行くと、灯りの漏れる部屋から微かに話し声が聞こえてきた。
狐依は部屋の少し前で座り込むと、障子に影が映らないように耳をそばだてた。
『―――まったく、皇帝陛下は一体何を考えているのやら。汚れた血の者に皇位を継がせるなど、誰も納得するわけがない。』
嘲るような言葉が、狐依の耳に届いた。
皇帝とは、天皇のことだろうか?けれど、彼は尊王派。支持している天皇を罵ることはないはずだ。
では一体、皇帝とはどこの皇帝なのだろうか?
狐依はそう思い、一層耳をそばだてた。
『しかしながら、あの方は姫依羅様と、人間の中でも強力な霊力を持つ者の血を引いていらっしゃる。本来交わることのない妖力と霊力を、その身に同時に持つあの方に皇位を継がせたいと思うのも、納得せざるを得ぬではありませぬか。』
少し古風な言い回しで、狩宮の古い友人という男がそう言った。
(―――――きよら……?)
狐依はその名前を聞いたことがあるような気がして、ふと小首を傾げた。
誰かが、自分のすぐ近くにいた人を、そう呼んでいたような――――。
『――――姫依羅様、皇帝陛下様がお呼びでございます。』
『えぇ、ありがとう。すぐに行くわ。』
そんな会話が、狐依の頭を過ぎる。
自分に良く似た白い髪と碧い瞳の、美しい女性。
『しかし、あの方は一体どちらにいらっしゃるのだ?狐里で抗争が起こってから、父親の方が人間世界に送ったという話を聞き、こうして窮屈な人間に憑いているというのに、一向に情報が集まらぬ。』
“狐里”という言葉を、狐依は前に聞いたことがあった。
確か、前に貴光が屯所に来て言っていた。『狐里は妖狐族の住み着く里』だと。そして、里は皇帝に治められていて、今は覇権争いの真っ最中だと。
更に、人間に“憑いている”という言葉。
これではまるで――――――
「貴様、そこで何をしている?」
不意に障子が開き、男が部屋から出た。狐依は慌てて立ち上がり、男の顔を見る。
男の身なりは普通の人間となんら変わりはないが、その目は人間のものではなく、細い瞳孔に金色の瞳。後ろから湧きあがるオーラは禍々しい紫色で、まるで六つの尾に見えた。
(この男、人間ではない。)
瞬時にそう判断し、狐依は青ざめた表情で後ずさった。
「―――――貴様の気配、どこかで………」
男が眉にシワを寄せてそう言うと、狐依は慌てて口を開いた。
「ひ、人違いではございませんか?私は、今日のみ臨時で雇われた者で―――、お茶をおもちしただけでございます。」
「この部屋には近づくなと言っていたはずだが?」
「そ、それは存じ上げませんでした!申し訳ございません!」
狐依は深々と頭を下げ、その場を去ろうとする。しかし、男に呼び止められた。
「待て、それより、貴様、先ほどの話を――――」
男に「聞いていたのか」と問われる前に、前方から
「緋和ー!ちょっと来て!手伝ってほしいの!」
隠[夕花バージョン]の呼び声がして、「失礼します!」と狐依は言うと、全速力で廊下を駆け抜けた。
玄関の方まで行くと、隠と忍が帰り支度をして手招きをしている。撤退するのだろう。
狐依はすぐに玄関へと駆け込み、二人と夜の道を走った。
少し遠回りをして宿屋まで戻り、見つからないように郁の泊まっている部屋へ赴いた。
「どうだ、何か情報は得られたか?」
郁にそう問われ、狐依は少し躊躇いがちに頷いた。
「では、明日屯所に戻り次第、報告してくれ。今日はこの部屋で休む。」
―――――翌日。
屯所に戻ってくると、幹部達が広間に集まって、狐依が促されるままに昨日聞いた話を報告した。
「―――――なるほど。狩宮辰則は狐憑きと考えた方がいいな。そして、客だという男も、二人でそう言う話をしているとなれば、狐憑きだろう。」
はぁ、と小さくため息をつきながら、歳信が難しそうな顔をする。
「話の内容からすると、その時はどうやら、二人とも狐に主導権を握られていたようですね。――――いえ、元から主導権は狐の方にあったのでしょうが。」
「どういうことですか?」
敬斗が神妙な面持ちで言ったセリフに狐依が聞き返すと、
「狐にも強弱のランクがあります。尾が多いほど強く、九本が最終形態とも、神に近づけば狐の姿を取る必要もなく、尾はないのが最高だとも言われています。そして、より強い妖狐は人間に利用されるのではなく、逆に人間を利用して悪事を働く。この場合、狩宮も客人の男も後者でしょうね。」
と説明された。
「ようするに、体を狐に乗っ取られるってことだよ。」
陽助が簡単に説明すると、狐依は納得して頷いた。
しかし、彼女の頭の中には別の問題が。
姫依羅という名前をどこかで聞いたことがある気がしてならない。
そして、それを言えば、自分は神選組にいられなくなるような気がして、まだ打ち明けていない。
幸い、忍と隠は離れたところから見守っていたために、姫依羅という名前は聞いていないだろう。
結局、狩宮辰則のことはもう少し詳しく調べてから動くとのことで、その日は会議が解散となった。
―――――同日、黄昏時。
黄昏時を、昔は「誰そ彼時」と呼んでいた。
暗くなり始める時間帯ゆえ、周りの者が誰か分からなくなるからだ。
そんな時間帯に、屯所の門を出て行く一つの影があった。
「――――どちらに向かわれる気ですか?」
ふと、その影に、後ろから声をかけた者がいた。こちらも、暗くて顔が分からない。
影が黙っていると、声をかけた者はまた口を開けた。
「なるほど、僕には関係がないと言いたいのですか。」
そう言うと、影に声をかけた者は、寄りかかっていた門柱からゆっくりと体を起こした。
「けれど、あなたはそれだけ不審な行動をしているということですよ。僕以外にも、疑う者はたくさんいます。」
そう言うと、影はニヤリと不気味に笑った。それを見て、声をかけた者は顔を歪ませる。
「あなたは依巫と言うよりも、妖怪そのものですね。人を恨んで堕ちてしまった、悪妖そのものだ。」
吐き捨てるようにそう言うと、声をかけた者はゆっくりと屯所の母屋へと戻っていった。
影はその後ろ姿を見送ると、暗くなり始めた帝都を歩き出す。
向かった先は―――――
―――――狩宮邸。
主の辰則―――否、辰則に取り憑いた妖狐は、苛立ちを隠せない様子で貧乏ゆすりをしていた。
昨日の小間使いが何者なのか、まったく足取りがつかめない。
偽名を使って忍び込んでいたというのか、だとするとかなり厄介だ。
そう思いながら、妖狐は何度も足をゆする。
不意に、障子の向こうで「お客様です。」という声が聞こえた。
「誰だ?」
低い声でそう呟くと、了承もしていないのに障子が開いた。
「取り引きをしませんか?」
障子を開けた相手はそう言って、不敵な笑みを浮かべた。
「あなたが知りたくて止まないことを教えます。その代わりとして――――」
相手は一度言葉を切ると、使用人を下がらせて後ろ手に障子を閉めた。
そして、再び口を開き、
「力を貸してほしいんですよ。」
低い声で、そう言った。