第七章・消えない傷跡
この物語には新選組等歴史的人物の子孫が登場いたしますが、フィクションですので実際の人物や団体等とは全く関係ありません。
また、未来がこのような形になっていたりするのはあくまでも“空想”ですので、ご了承ください。
狐依がいつものように掃除をしていると、
「おーいっ、狐依ーっ!」
元気な声がして、母屋の方から陽助が駆けてきた。
「えぇっと、陽助……さん?」
自己紹介をした時に、呼び捨てでいいと言われたことを思い出し、狐依は躊躇いがちにそう言った。
「あー…“さん”付けなんてしなくていいって。」
陽助が照れくさそうに言うと、
「じゃあ、陽助くん…?」
狐依は少し妥協してそう尋ねた。
「うーん、ま、それでいっか。―――あ、そうそう。土方さんが呼んでるぜ。広間に来いってよ。」
狐依はそれに頷くと、箒を仕舞って陽助と共に広間へと赴いた。
「来たな。お前に紹介したい人がいる。入って座れ。」
歳信がそう言ったので、狐依が障子戸を閉めて頷くと、自分のいつも座る場所に座った。
すると、向かい側に一人の女性が座っていた。薄い茶色の髪に、薄紅色の瞳。
どこか静司に似ている。
「この人は、静司の姉の、静花さんだ。うちは男所帯だから、こういう人がいた方が君も気が楽かと思ってね。ここに通ってもらうことになった。」
勇輝がそう説明すると、静花という女性はにこりと微笑み、
「よろしくね、狐依ちゃん。」
と言った。同性の登場に少し安心したのか、狐依はほっとした表情で「はい。」と言った。
その日の昼食は静花と狐依が作ることになり、二人は厨房に立ってもくもくと作業をしていた。
「沖田さんには、お姉さんがいたんですね。」
狐依がそう言うと、静花は少し寂しそうに笑いながら、
「うん。――――本当は、もう一人いたんだけどね。」
と呟いた。
「もう一人……いた?」
過去形なのが気になって問いかけると、静花は鍋をかき回しながら口を開いた。
「長女の静音姉さんは、すごく優しくて、私も静司も姉さんが大好きだった。――でも、静司が十五歳の時に、魂喫鬼に殺されちゃったんだ。」
「魂喫鬼?」
狐依は妖怪をよく知らないので小首を傾げた。
「魂喫鬼は、魂を喰らう鬼。そして、静司はその魂喫鬼を浄魂し、依巫になった。―――狐依ちゃん、この神選組に……依巫に関わっていくのなら、大切なことを教えてあげる。」
そう言って、静花は狐依の肩に手を置いて、真剣な面持ちで言葉を紡ぐ。
「依巫になるには―――巫化傷を負う必要があるの。」
「巫化傷…?」
「一般的には、依巫になる時に負う傷のことよ。依巫になるには、まず、先祖憑きが荒魂の妖怪に傷つけられなければならない。傷つけられた先祖憑きは、その傷口より妖力が体内を伝い―――妖力に惹かれて、霊力が爆発的に湧き出る。霊力が生まれ、先祖憑きは依巫へと成り変るの。しかし、傷つけられるということは、大きなリスクを伴う。その傷は、体だけではなく精神すらも傷つけることがあるの。………静司は、大好きだった姉さんを殺されたことで、精神にも傷を負った。多分、神選組に属する依巫の人達は、ほとんどが精神的にも傷を負っている。」
強い力を得るためには、代価が必要となる。
巫化傷とは、強い力を得られるが、同時に強い哀しみや憎しみを伴うもの。
「そんな………」
狐依が悲痛な表情を浮かべると、静花は微笑んだ。
「だから、狐依ちゃん。彼らが、巫化傷によって負った哀しみや憎しみのせいで、道を間違えそうになったら―――その時は、あなたが支えてあげて。」
狐依は、そう言われて俯いた。
「でも、私なんか……」
「大丈夫。狐依ちゃんは、神選組にいて、分かったでしょ?彼らが、とっても良い人達だってこと。」
それには、狐依は迷わず頷いた。
まだ、たった一カ月程しか経っていないが、狐依は彼らの良心にしっかりと触れていた。
ただ、妖怪を斬るだけじゃない。強さと優しさを兼ね揃えた、頼もしい人達。
「無理はしなくていいの。あなたなりに、頑張ってみて?」
狐依は、少し自信無さげだったが、ゆっくりと頷いた。
彼らの力になりたいと、そう思っていたからだ。
――――それから数日後。
狐依が、一番組と巡察に出た時のこと。
「静花姉さんはどう?」
静司にそう訊かれ、狐依は笑顔を浮かべた。
「とってもいい人です。すごく頼もしくて、尊敬します。」
「そっか。それなら良いんだけど。」
静司がそう言って、辺りを見回した時。
「――――――― !」
何かを見つけたらしく、静司が立ち止まる。
そして、赤い相貌に陰りを浮かべて、
「………ちょっと、先に行っててくれる?」
前を歩く隊士に、そう呟いた。
「え?あ、はい。分かりました。」
隊士は静司の表情に気付いていないのか、そう言って先を歩きだす。
「あの、沖田さん……?」
狐依が不安そうな声で尋ねると、静司は顔に影を落としながら
「君もだよ。先に行ってて。すぐに戻るから。」
有無を言わせぬ口調でそう言って、家と家の間の路地へと駆けだした。
「あ、沖田さん!」
そう言いながら狐依が路地の方を見ると、何やら赤黒い影が見えた。
(もしかして、妖怪……?)
狐依はそう思うと、少し躊躇いながらも路地の方へと駆けだした。
狭い路地を少し進むと―――
ザクッ
「ギイィィィ!」
肉の斬れる音と、奇妙な叫び声が聞こえてきた。
「沖田さん…!」
音のする方へ駆け寄ると、静司が冷たい表情で赤黒い鬼を見下しながら、刀を振るっていた。
普通ならば、急所を斬ってすぐに浄魂するのが手順だが―――
ザクッ
「ギュエエエェェッ!」
静司がなんど鬼を斬ろうとも、鬼は叫び声を上げてのた打ち回るだけ。
一体どうして、と狐依が思った時、傍の壁に、魂が抜けたように横たわって動かない人間がいた。
「だ、大丈夫ですか…!?」
狐依が急いで駆け寄ったが、その人はもう息をしていなかった。
どうやら鬼に襲われたらしい。
狐依がもう一度鬼に視線を向けると―――鬼の口元に、青白く光る欠片のようなものがついていた。そして、傍には半分ほどかじった跡のようなものがある、青白い球体が転がっている。
「――――まさか、あの鬼は……!」
魂を喰らう鬼、魂喫鬼。
狐依の脳内に、そんな言葉が駆け巡る。きっと、青白い球体は倒れている人の魂だろう。
そして、静司がわざと急所を外して、鬼に惨たらしい仕打ちをしているのは、
(もしかして、お姉さんを殺した鬼と同類だから……?)
それならば納得がいく。
おそらく、姉を失った哀しみと、鬼に対する憎しみ故に、こんなに惨たらしい仕打ちをしているのだろう。
けれど、冷酷な表情で鬼を見下し、機械のように刀を振るうその姿を見ていると、狐依は心が痛んだ。
静司が姉を失った時の憎しみや哀しみがどれくらいなのか、狐依には当然分からない。
けれども、もう戻ってこない姉の復讐のように、こうやって鬼に憎しみの矛先を向けるのは、何だか違う気がする。
この鬼は魂喫鬼だが、静司の姉を殺したわけではない。
なぜなら、その時の鬼は、もう静司によって浄魂されているのだから。
憎しみや哀しみからは、何も生まれない。
狐依はいてもたってもいられなくなって、声を張り上げた。
「沖田さん、止めてください……っ!」
泣きそうな声で狐依が訴えると、静司は一瞬動きを止め、今度は魂喫鬼の心臓めがけて刀を突き刺した。
「グギャアアアァァァッッ!」
叫び声を上げながら、鬼が砂のように消え失せる。
静司はそれを見送ると、ゆっくりと狐依を振り返った。
赤い返り血を頬などに数滴浮かべて、静司は静かな怒りを込めた瞳をして狐依を見る。
「――――どうして止めたの?僕は鬼を浄魂しようとしてただけじゃない。」
「浄魂じゃありません!沖田さんのしていることは、無意味な殺戮と同じです……!」
狐依がそう言うと、静司は眉を歪めて吐き捨てるように言った。
「無意味な殺戮?何を根拠にそんなこと言ってるの?君は何も知らないくせに。」
そう言われ、狐依は思わず身を引いた。
確かに、狐依はまだ静司を含めて隊士達のことは何も知らない。
過去に何があって、どんなものを抱えているのか。
しかし、狐依には一つだけはっきりと言えることがあった。
「でも、沖田さんがしていたことは、決してお姉さんの仇なんかじゃありません!」
そう言うと、静司は小さく目を見開いた。
「―――なんで、静音姉さんのこと」
「ごめんなさい。静花さんが話してくれました。」
狐依がそう言うと、静司は自嘲を込めた表情で悲しそうに笑った。
「そっか。あの人、ほんとおせっかいなんだから。」
静司はそう言って顔を伏せると、またいつものような、隙がない笑顔に戻った。
「――――戻ろっか、狐依ちゃん。」
静司は刀を鞘に収めると、返り血を吹いてから歩き出す。
狐依は少し安堵して、静司の後を付いて行った。
隊に戻る途中、もうほとんど葉桜になってしまった木を見て、静司がポツリと呟いた。
「―――桜を見ると思い出すな。紅い桜のこと。」
「紅い桜?」
そんな物があるのかと、疑問を浮かべて狐依が尋ね返すと、静司は先ほど浮かべたのと似たような自嘲気味な笑顔を浮かべた。
「そう。返り血を浴びた血塗れた桜。僕もそう。憎しみでしか生きられない、血塗れた心。」
その言葉を聞き、狐依はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「血に塗れたなら洗い流せばいいんです。心についた傷は消えなくても、憎しみや哀しみを、誠を貫くために振るう力に変えることはできます。」
「そんなものは気休めにすぎないよ。」
静司がそう否定すると、狐依は声音を強くして言葉を切り出す。
「それでも、縋るものがあって、守りたいものがあれば人は生きていけます。力を正しく使えます。憎しみからは何も生まれない、とよく言いますが、それは憎しみを憎しみのまま持っているから。憎しみを力に変えられたなら、そこから新たな強さが生まれる。私はそう思います。気休めだと分かっていても、それでも、守りたいものがあるから。沖田さんも、それを探したくて神選組に入ったんじゃないんですか………?」
狐依のその言葉に、静司は大きく目を見開いて狐依を見つめていたが―――やがて、ネジが取れた人形のように笑いだした。
「お、沖田さん…!?」
何か変なことを言っただろうか、と狐依が不安そうに静司を呼ぶと、静司は息切れしながら掠れた声で呟いた。
「ほんと、君って面白いね。和魂の妖怪が見えたり、僕があんな風に暴走しても止めちゃったり、さっきみたいな言葉を言ったりさ。本当に記憶喪失なの?」
腹を抱えながらそう言うと、静司は穏やかな笑みを浮かべた。
「でも、君の言うこと、あながち間違ってもないかもね。―――僕は僕なりに、頑張らせてもらうことにするよ。」
静司が自信たっぷりにそう言ったので、狐依は笑顔で頷いた。
ひらひら、ひらひらと。
残り少ない花びらが、二人の頭上から舞い落ちる。
汚れ無き心のような、美しい桃色の花びらが。