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大地に命を、農業に未来を

砂嵐の残滓がまだ空に舞っていた。午後の陽光は赤く染まり、彼方に広がる乾いた大地は、まるで永劫の時を経て眠り続ける巨人のように沈黙していた。ムアンマルは地図の広がるテーブルの前に立ち、静かに指先で一つの点をなぞった。リビア内陸部、フェザーン地方。その名は干ばつと飢餓の代名詞であった。


「ここから始める。飢えと貧困に沈むこの土地に、命の水を通すんだ」


ハリファ・ハフタルが腕を組んで頷いた。最近、彼は正式に参謀長に任命されたばかりである。若き士官ではあったが、その頭脳と実行力はムアンマルの目を引くには十分だった。血統や忠誠心だけではなく、有能であること――それが新政権の中核を担う資格だった。


「旧政権の役人をどう扱うおつもりですか?」とハフタルが問う。


「役人でも地主でも、使える者なら使う。だが、民衆の敵である者は……例外なく排除する。連中が牛耳っていた土地も、すべて国の管理下に置く。まずは農業生産を国家事業として再編する。余剰作物を市場に流し、干ばつに備える備蓄も整える」


彼らは大きな計画を抱えていた――それは単なる耕作地の再分配ではなく、砂漠を制し、命を宿す根を張らせる戦いであった。


■ 地中に潜む水脈と、灌漑の夢


ムアンマルは技術顧問たちを集めると、一枚の古地図を広げた。第二次世界大戦中、イタリア軍が調査した地下水脈の資料だ。彼の知識は前世の記憶に基づくものであったが、それをそのまま出すことは避け、あくまで「エジプトやソ連の技術協力の賜物」という名目でカバーした。


「このラインに沿って地下パイプを敷設する。まずはウバリからセブハ、ガタルーンへ。重機はエジプトから、パイプライン施工技術はソ連から借りる」


実際には両国からの援助は最小限であり、施工計画や資材管理はムアンマルとハフタルらの独自判断によるものであった。現地住民も徴用し、教育と同時に職を与える。それは改革と共に「自分たちの土地を自分たちで耕す」という意識を根づかせる戦いでもあった。


■ 新たな耕作地、そして配給制度の整備


水路が引かれると、土地は徐々に蘇り始めた。国営農場のモデル地には、若者たちが集まり始めた。ムアンマルは都市部から意欲ある青年を集め、農業の研修制度を創設した。


「我々は単なる農民を作るのではない。兵士のような農民を作るのだ」


かつて兵舎で教練を受けたように、彼らは朝に起床ラッパを聞き、黙々と畑を耕した。だが、そこにあったのは強制ではなく、祖国再建への希望であった。


収穫された作物はすべて国家が一括管理し、都市と地方に配給される。流通網も改革され、トリポリやベンガジの市場には数年ぶりに安定した野菜と穀物が並び始めた。


「市場に流せば転売や投機が起きる。まずは配給と備蓄。次に商業の再建だ」


ムアンマルは、戦術的に経済を管理していた。計画経済と自由経済の間を慎重に渡りながら、農業を国家の礎に据えようとしていた。


■ 旧体制の土地地主と対決


だが、全てが順調というわけではなかった。特に地方の有力者――旧王政時代の地主階級は、国家による土地接収に激しく抵抗した。


ある日、フェザーン地方の旧地主マフムード・アル=ハサンが首都に召喚された。彼は絹のターバンを巻き、かつてのように傲然とムアンマルの前に現れた。


「これは神の与えた土地だ。我が家系は何世代にも渡ってここを治めてきた」


「それは誤解だ。神は土地をすべての民に与えた。貴様が独占してきたのは暴力と恐怖によるものだ」


ムアンマルは、彼に土地の一部を手放し、国家の開発に協力するよう命じた。拒否すれば逮捕も辞さない構えであった。


結局、アル=ハサンは半ば強制的に土地を明け渡すことになった。だが、彼に代わって現地農民の中から農場管理責任者が選ばれたとき、周囲の空気は確実に変わった。


「今までと何が違う?」と誰かが問うた。


「これは俺たちの畑だ」と農民の一人が答えた。


■ 忠誠ではなく、才覚で人を選ぶ


参謀長となったハフタルは、軍の改革と並行して、農地改革にも軍事的な視点を持ち込んだ。秩序、分業、効率。だが彼が真に驚いたのは、ムアンマルがかつての政府官僚の中にも人材を見つけて登用したことだった。


「…彼らは王国の一員だったではないか」とハフタルが苦言を呈した夜。


ムアンマルは静かに笑った。


「王族に仕えていたことと、有能であることは別問題だ。腐敗に染まらず、人民のために尽くせる者なら、我々の仲間だ」


それは、革命という名の粛清とは真逆の手法だった。徹底した選別、そして統合。それが新政権の基盤を強固にしていた。


■ 根を張る者たち


やがて、フェザーンの空に灰色の雨雲がかかる日があった。村の男たちは空を仰ぎ、女たちは布を広げて水を集めた。だが、彼らの表情にあったのは喜びではなく、自信であった。


「俺たちには水がある。土地もある。あとは収穫するだけだ」


遠く、トラクターの音が響いた。かつては戦車の轟音しかなかった土地が、今や命を育む音に満ちていた。


その日、ムアンマルはフェザーンの新農場を視察し、一本のオリーブの苗を植えた。乾いた風が吹き、苗が少し揺れた。


「これが育てば、百年後も実を結ぶだろう」


ハフタルは黙ってその様子を見つめていた。やがて彼は言った。


「革命の種は撒かれました。これからが本当の戦いですね、閣下」


ムアンマルは頷いた。そう、土地に根を下ろすとは、単に生きるということではない。未来を築くということだ。

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