鉄と血と信頼の軍
リビアの空は、真昼であるにも関わらずどこか鈍く、乾いた空気が熱と共に肌にまとわりついた。かつてのカダフィならば、この空を見ては「アラブの誇りだ」とでも言い放っただろう。だが、今この肉体に宿っているのは別の意識だった。
いや、もう「別の」などと言う必要もないのかもしれない。目覚めた日からすでに数週間、私はムアンマル・カダフィとしての生活に完全に適応していた。だが適応しているからこそ、この国の脆弱さと歪みに耐えがたい焦燥を覚えていた。
軍、農地、教育、経済、どこを切り取ってもほころびだらけ。なかでも軍の問題は深刻だった。腐敗、旧弊、無能。そして最も致命的だったのは、それが「当然」として受け入れられている空気だった。
私がまず手を付けたのは、軍の改革だった。国家の根幹を支えるのは軍であり、その軍が信頼できないならば、国家そのものも崩壊するしかない。歴史がそう証明してきた。
「バクル。今すぐ主要司令官を全員集めてくれ」
私がそう命じたのは、ある静かな早朝だった。
バクルは戸惑いながらも頷いた。
「かしこまりました、大佐……ですが、これほど急だと反発も予想されます」
「構わん。むしろ、今のうちに本音を吐き出してもらった方が都合が良い」
そして三日後、私はベンガジの軍中央司令部で、国中から集めた十数名の司令官たちを前に立った。
「皆、よく集まってくれた。だが本題に入る前に、まず一つだけ確認させてほしい」
私はゆっくりと視線を一人ひとりに向けながら続ける。
「この国を本気で守る意思があるか。あるなら、これからの言葉に耳を傾けろ。ないなら、今すぐここを立ち去っても構わない」
室内に重たい沈黙が落ちた。一人、二人と視線を交わしあいながらも、誰一人として席を立たなかった。
「いいだろう。ならば聞いてくれ。我々の軍は機能していない。士気は低く、補給は遅れ、訓練は旧時代的で、戦術は前大戦のままだ。これは軍として致命的な欠陥だ」
「それは……ご指摘の通りですが、大佐、これは時間をかけて――」
「時間をかけて、いつ完成する? 次の中東戦争が始まるまでに間に合うのか? 否、間に合わん」
私は語気を強める。
「だから私は、今すぐに改革を断行する」
静かなざわめきが起きた。誰もが言葉を探していた。
「私は忠誠心よりも有能さを重視する。部族や派閥、出自や年齢は問わない。ただ一点――“戦えるか”どうか、それだけだ」
それを聞いたとき、室内の空気が変わったのを私ははっきりと感じた。彼らの多くは不満を隠しきれない様子だった。だがその中で、一人だけ静かに目を伏せ、考えていた男がいた。
ハリファ・ハフタル――彼の名は私の記憶にも残っていた。後に東部を掌握し、国を二分する戦乱の中心人物。だが今はまだ若く、将軍というにはやや早い年齢だ。しかしその眼差しには、鋭い計算と現実を見抜く理性が宿っていた。
私は彼の名を指した。
「ハフタル。お前を新たな参謀長に任命する」
会議室がどよめいた。バクルすらも驚きを隠せなかった。
「大佐、それはあまりに……彼は若すぎます。経験も……」
「ならば問おう。ここにいる者の中で、彼以上に情報を集め、戦況を正確に予測できる者がいるか? 彼以上に兵士たちの士気と配置を理解している者が?」
答える者はいなかった。
「ハフタルには知性がある。情に流されず、数字と現実を見る目を持っている。そして何より、恐れを知らぬ胆力を持っている。軍とは恐怖と理性の均衡だ。それを成し得るのは、彼しかいない」
ハフタルは沈黙の中で一歩前に出た。
「……お引き受けいたします、大佐」
私は静かに頷いた。
「では、始めよう。我々の軍を、リビアの誇りとなるよう鍛え直すのだ」
その日から、軍の改革は一気に動き出した。
まず彼は参謀本部を一新し、年功序列を廃した。指揮系統は簡素化され、情報共有は日単位で行われるようになった。地域部隊は統合再編され、遊軍や臨時部隊は解体され、現場の混乱は減っていった。
兵士への教育も刷新された。古く形骸化したマニュアルは廃棄され、現代的な戦術教練が導入された。ナセル政権からの影響を受けていた一部の軍幹部はこれに猛反発したが、私は一人ずつ呼び出して説得、あるいは更迭を進めた。
重要なのは、国民にも軍の変化を感じさせることだった。私はハフタルに命じ、公共訓練の様子を撮影させ、国営放送で繰り返し流させた。兵士たちが真剣な眼差しで訓練する姿は、飢えと混乱に悩む国民に「何かが変わった」と思わせるには十分だった。
結果――軍の士気は劇的に上がった。
兵士たちは無駄な命令や派閥の軋轢から解放され、自分たちが「国のために戦っている」と実感するようになった。
「大佐、軍部隊の再編成が完了しました。次は農村支援部隊の整備に移ります」
ある夜、ハフタルは報告の最後にそう付け加えた。
「良い。軍は戦うだけが仕事ではない。飢える人民を守るのも軍の役目だ。農村支援部隊の導入を進めよう」
「了解しました」
彼は一礼し、立ち去った。私はその背中を見つめながら確信した。
――この国は変われる。変えられる。
なぜなら、すでに動き始めているのだから。