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8話 やっぱり夏にやるのが一番な

 花火大会は、例年どおり大盛況だった。


 俺自身も裏方として間近で見られたし、浦上さんに言われた、花火師のピンチヒッターはやらずに済んだ。そもそも、火薬の取り扱いに関する資格をもっていないと携われないそうだ。ただの冗談だったらしい……はぁ。ビビった。


 ちなみに、タコのロンさんがやっていた屋台もかなりの客入りだったそうだ。花火の観覧のために設けられた客席でクレープを食べている人は結構見かけたし、中には、「あのタコさんすごかったねー」と話題に上げている人もちらほらいた。たこ焼きの屋台の若い男性と一触即発の状態になった、とも聞いたけれど、真偽は不明だ。


 そして、そんな楽しいお祭りが終わった次の日。早めに出勤した俺は、自分の席についてパソコンを起動した。


 時刻は、始業時間の四十分前。昨日の分の報告書を早く片付けたかったので、五本も早い電車に乗ってきたのだ。



「なー……あかりさん、浴衣で来てたってホントかぁ?」



 一番乗りで出勤していた前田が、応接スペースのソファを占領し、背もたれに盛大によりかかる体勢で聞いてきた。


 顔色が悪いのは、昨晩遊び歩いたツケが回ってきているせいに違いない。見かねて渡しておいた薬を飲んで少しは改善した様子だが、本調子に戻るにはまだ時間がかかりそうだ。


 前田の、だるそうな雰囲気をまとった間延びした声を聞きながら、俺はほくそ笑んだ。



「ホントだけど?」


「マジかぁ……くっそ、見たかった……なんで教えてくんなかったんだよぉ。写真くらい撮っとけよぉ」


「お前と違って、こっちは仕事だったんだよ。深夜まで遊び歩いてた奴がなに言ってんだ」


「深夜じゃない、早朝」



 カラオケめっちゃ盛り上がった、などと若干かすれた声で言った前田には、自業自得の四文字がふさわしい。


 オールでカラオケなんてよくやるよな、と思う。しかも、見てのとおり今日は出勤日である。


 奴の様子から察するに、一旦帰って少し寝て――一睡もしていない可能性もある――出勤してきたのだろう。若干髪がしっとりしているので、出勤前にシャワーでも浴びたのか。



「いいけど……お前、今日ペットの世話の仕事入ってるだろ。山田さんちのでっかい犬……なんだっけ。サモエド?」


「うん。俺、たぶん今日が命日な気がする」


「なんで今日も有給とらなかったんだよ」


「二日もとったら悪いだろ。このくそ忙しい時期に」


「変なとこ律儀だな、お前は」


「あー……無理。あかりさん、ヘルプ入ってくんねーかなぁ。動物の世話、めっちゃ上手いじゃん?」


「事務員だから無理だな」



 だったら、オールでカラオケなんて行くなよ、とは思うが、盛り上がってそういう雰囲気になったのだろう。否、むしろ前田のほうから考えなしに提案した可能性もある。だとすれば、やはり自業自得だ。


 未だに、「あーあかりさんの浴衣ぁ」とぼやいている前田を無視して、さっさと報告書を仕上げようとパソコンにむかった。


 そのうち、他の社員がわらわらと出勤してきた。その中の一人、浦上さんにからかわれていた前田は、突然青い顔で口を押さえて事務室を飛びだしていった。


 それを華麗によけて、支倉さんが事務室に入ってくる。



「おはようございます。前田さん、どうされたんですか?」


「自業自得の二日酔いだから、気にしなくていいよ」



 ちょっかいをかけていた浦上さんが、苦笑しながら答えた。


 支倉さんは、前田が出ていったドアを見つめて小さくため息をついた後、自分のデスクについた。



「早いですね。名瀬さん」


「ああ、はい。昨日の分の報告書、記憶が新しいうちにやっとかなきゃなって思って」


「そうですか」



 軽く会話をして、再びパソコンにむかう。


 花火を打ち上げる道具の一部が、なかなか届かなくて急きょ運搬のほうにまわったり、迷子に出くわして対処にまわったりと、バタバタだった。一枚の報告書にまとめるのはなかなか厳しい。


 行き詰ったところで、向かい側のデスクの支倉さんに目をむけると、ちょうど同じようにこちらを見た彼女と目が合った。



「あ……そういえば、昨日は楽しめました?」


「え? ああ……はい。おかげさまで」


「あの浴衣は、自前のですか?」


「いえ、レンタルです。友人が、今年こそ着ていこうと言うので」


「そうですか。とてもきれいでしたよ。つい見とれちゃいました」



 そう言った瞬間、支倉さんの手が止まり、そのままの姿勢で固まった。


 なんだ? なんかまずいこと言ったか、俺? 仕事中にプライベートな部分の話をするのはやはりまずかったか?



「すみません。今のセクハラになります?」


「いえ、大丈夫です」



 支倉さんは、横をむいて咳払いをした。



「完全にプライベートの格好だったので、呆れているのかと思ってました」


「え? いやいや! そんなわけないじゃないですか! むしろよかったです!」


「よかった……?」


「はい! きれいすぎて、隣歩く自信ないわってくらいでしたよ!」


「…………」


「え?」



 最後、支倉さんがなにかを言ったが、うまく聞き取れなかった。聞き返したが、「なんでもありません」とごまかされてしまった。


 元から表情が出にくい人なので、感情を読み取るのは難しい。だが、少なくとも不快に感じているわけではなさそうなので、墓穴を掘る前に会話をやめて、再びパソコンの画面を注視した。



「隣人の方とは、相変わらずですか?」


「あ……はい。そうですね。ここ最近は、会わない日はないってくらい会ってるので。もう慣れたもんですね。当たり前になりつつあるっていうか、気にならなくなってきたかもしれません」



 瞬間、再び支倉さんが、ぴしっと固まった。


 わけが分からずうろたえていると、彼女はしばらくして我に返り、何事もなく仕事に戻っていた。前田が騒ぎながら戻ってきたせいもあり、結局そのリアクションについての真相は分からずじまいだった。




 ◇◇◇




 夏といえば、海。


 そう連想する人も、多いだろう。実際、夏休み真っ盛りの今日、都心からほど近い海水浴場は人であふれかえっていた。


 人々が楽しそうに遊ぶ一方で、運営側は窮地に陥っていた。感染症の騒ぎがおさまって以降、接客業の人手不足は冗談では済まされない事態に直面しているのだ。


 そのおかげ、などと言えば不謹慎だろうが、事実、わが社は接客業からのスタッフの穴埋め関連の依頼が一時期多く入っていた。その傾向は、今はわりと落ちついてきたとはいえ、未だにちょくちょく入る。


 そんなわけで、今日も俺は、海の家のスタッフの一員として必死こいてビールケースを運んでいた。



「リア充爆発しろや……」



 さらに、楽しげに遊んでいる人々を恨みがましく見つめる男が、隣に一人。遊ぶの大好き人間・前田である。



「お前だって、ある意味リア充だろ」


「うるせぇ! 俺はな! 人が遊んでるそばで働くのが死ぬほど嫌いなんだよ!」


「うちはそういう仕事を請け負う会社ですけど?」


「知ってる! けど、ここは無理! 人多すぎ! 日差し強すぎ暑すぎ!」


「お前の声のほうが暑苦しいわ」


「休憩時間にナンパもできねーし!」


「当たり前だろ」



 叫ぶ前田の頭を、軽くはたいた。


 たとえ休憩時間でも、業務に関係のない人との接触は自粛するのが鉄則である。トラブルが起これば、そちらの対処に追われて、本来受けた仕事を中断せざるをえなくなってしまう可能性もあるからだ。


 そもそも、知らないチャラ男に声をかけられてほいほいついていく女性が、今どきどれくらいいるのか。どの道、望みは薄いだろう。


 たびたび文句を口にする前田をなだめながら仕事をしていると、とうとうやってきた魔の昼時間。


 頼むから、昼休憩は少しだけでもいいから時間を空けて、様子を見てとってほしいと切に願う。一気に人が集まってきて、俺と前田は他のスタッフと同様に、海の家の中でひたすら動き回っていた。


 注文うかがい、出来上がった品の受け渡し、ときには席までの運搬。使用済みの食器類の片付け、清掃。子ども連れが使った席は、食べこぼしがある確率が高いので念入りにチェックをする。加えて、「ゴーグルがどっかいった」とか、「うちの子ども見ませんでしたか」などのトラブルの対処も。


 客が減って、一息つけるようになったのは正午を大幅にすぎた二時頃だった。



「むーりー」


「…………」



 気の抜けた弱音を吐く前田に、もはや返事をする余裕もなかった。


 刺すような強い日差しが遮られた砂の上の休憩場所で、寄せては返す波の音と、はしゃぎまわる人の声をぼんやりと聞いていた。


 遠方からきている客は、夕方になる前に帰宅していく。その頃にもまた、なにか失くしただのなんだのと騒ぎが始まるだろう。それまでの束の間の休息だ。



「名瀬せんぱぁい。腹が減って死にそうなかわいい後輩の俺ちゃんのために、なんか買ってきてぇ」


「気色悪いから却下。てか、こういうときばっか年下ぶるな。俺だってくたくただっての……」



 砂の上に置いたパイプ椅子の背もたれに思いきり寄りかかっている前田は、放置しておけばそのうち干からびそうなくらい、気力がなさそうに見えた。かといって、俺もできれば動きたくない。


 だが、昼食を抜くわけにもいかないと考え、重い腰をなんとか上げたときだった。



「おーい! そっちはだめだぞー!」



 誰かの大きな声がして、反射的に振り返った。


 浜辺から、色黒のがっしりとした体つきの人が、浮き輪につかまって泳いでいる子どもにむけて呼びかけている。



「あーあ。あっちって確か、遊泳禁止エリアだろ?」


「そういうことか……」



 どうなるか見ていると、子どもは呼びかけられてもきょとんとしているだけで、戻ろうとしない。なおも、「戻ってきなさーい!」と呼びかける係員。


 そんな中、サーフボード片手に、海へと漕ぎだした者がいた。


 波を読みつつ、あっという間にその子どもに近づいていった。そして、浮き輪をつけたままの子どもを持ち上げ、サーフボードに乗せると、また波にのって戻ってきた。


 浜辺にいる人たちから、歓声が上がる。



「すごーい!」


「なに、あのタコ! 超カッコいいんだけど!」



 サーフボードを絶妙な加減で操り、サーフィンをする赤い物体。


 その名も、タコ。かけている黒いサングラスが、シュールさを際立たせていた。


 な・ん・で、ここにいる?

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