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6話 俺がいる世界では

 今日も、雨が降っていた。


 社用車が使えない現場――車でこないでほしい、と頼んでくる顧客は意外と多い――の帰り、俺は傘をさしながら、降りしきる雨の中を歩いていた。



「報告書は俺が上げとくから、帰っていいぞ」


「いや、悪いですよそんなの」


「いーから」



 ペアになった人とそんな社交辞令的なやりとりをした後、「じゃあお言葉に甘えて」と、ありがたく直帰の権利をいただいたのだった。


 帰ったら、録画したままだったあのドラマを観るか。明日の仕事は一旦忘れて、たまにはワインでも開けて、つまみにチーズなんていうちょっとおしゃれな晩酌をしよう。


 ワインもチーズも、コンビニで買った安物だけど。そしてなにより、ぼっちだけど。


 考えながら、少し浮足立っていた俺だが、目の前に出現したあるものにはすぐに気づいた。


 雨が強く叩きつける歩道を、とぼとぼと歩いている小さな赤い背中。タコだ。


 肩に、否、体にくくりつけるようにしていたはずの貝殻型のポーチは、少しでも濡れないようにしているのか、外して胸(?)の前で抱えている。


 俺は素早く駆け寄り、傘に入れた。



「ロンさん……ですよね。どうしたんですか?」



 振り返り、こちらを見上げてくるタコのロンさん。完全にずぶぬれだ。


 元は海の生き物だから、ずぶぬれになっても平気なのだろうか。しかし、「雨にぬれる」なんて経験は、海の中では絶対にしない。影響は少なからずあるはずだ。


 実際、今のロンさんは、心なしか哀愁が漂っていた。仕事で失敗して怒られて、なおかつ雨なのに傘を忘れてへこんでいる、とでもいうような。



「……どうぞ」



 かがんで手を差し出すと、ロンさんは小首を傾げた。



「並んで歩くのもアレですから。乗ってください」



 小さいものと相合傘をしながら歩くのは、なかなか大変なのだ。そういう意味で言ったのだが、ロンさんに伝わったのか否か、少しためらった後に乗ってきた。


 濡れたせいか、体はひんやりとしている。吸盤が手に吸いつくのは、なかなか不思議な感触だった。


 ロンさんを片腕で抱えるような状態で体の前に添え、アパートへと歩きだした。


 タコを腕に抱えて歩く、男の図。


 普通だったら、奇異の目を向けられるはずだ。しかし、すれ違う人の中で、なにかしらのリアクションをしてきた人は一人もいなかった。期待した俺がばかだったらしい。


 待てよ。もしかしたら、ロンさんはぬいぐるみかなにかだと思われているのかもしれない。だとしたら、余計に二度見したくなるはずだ。ツナギを着た大人の男が、大きなタコのぬいぐるみを抱えて歩いているなんて。二度見せずにはいられないだろう、そうだろう? え? 違う?


 くだらない考えを払うように、頭を横に振り、目を下に向けた。



「えっと……雨、苦手ですか?」



 つるっとした赤い頭が、前に傾いた。頷いたようだ。



「そうですか。やっぱ海水とは違いますもんね……あ、じゃあ、都合が合うなら、できるかぎり送迎しましょうか?」



 ロンさんが上を向き、俺と視線を合わせた。



「基本的に出勤時間は同じなんで。現場に直行するときなんかは、時間違っちゃうかもしれませんけど。あと帰りは……俺がスーパー寄れば落ち合えるし」



 頭をそらして、俺を見つめたままのロンさんは、ひょっとこ口のそばに一本腕を添えた。「あらまぁ」とでも言っているかのようだった。どこのマダムだ。


 ロンさんからの明確な意思表示がないまま、アパートの前に到着した。


 屋根のある階段の前につくと、ロンさんは俺の手から飛び下り、一礼した。そして、俺が傘についた雨水を払いおわったタイミングで歩きだし、自室がある二階につくと手招きをしてきた。



「なんですか?」



 ロンさんは、自室の鍵を開けて入って、また素早く戻ってきた。黄色いレインコートと、青と白の水玉模様の傘をもって。


 いずれも、子ども用だとしてもかなり小さかった。体高が三十センチにも満たないロンさんにはちょうどよさそうだ。



「……あ、そうか。今日はたまたま忘れたと」



 ロンさんが、そのとおりだといわんばかりに二度頷いた。


 つまり、送迎の必要はないと言いたいのか。



「分かりました。他になにかあったら、遠慮なく言ってくださいね。よくおすそわけもらってますし、お互い様ってことで」



 そう言うと、ロンさんは少しの間固まって、それから小さく頷いた。


 彼が部屋に帰ったのを見送ってから、俺も鍵を開けて自室に入った。



「あんなサイズのレインコートと傘があるんだな……」


 どうでもいい部分に感心し、大きく息を吐いた。


 その日、おすそわけしてもらったのはカレーだった。刺激的な辛さが完全に好みと合っていて、いい意味でショックだった。




 ◇◇◇




 翌日、雨が降っていない曇り空の蒸し暑い中、俺はスーツを着こんでとあるホテルへと向かっていた。もちろん、仕事だ。


 今日は、出席者が少ない結婚式の埋め合わせ要員になる仕事だ。事前に、依頼主の新郎の友人になりきるため彼の経歴をしっかり頭に叩きこむ必要があり、なかなか大変だった。


 俺とペアになった前田は、人あたりのよさを買われてスピーチまでやらされるはめになり、あからさまに嫌そうだった。



「なーんで知らない奴のためにお祝いのスピーチなんかしなきゃいけねぇんだか……」



 会場に向かう途中の車の中で、助手席に座って窓の外を見ている前田が愚痴をこぼした。


「仕事だからだよ」


「知ってる……てかさ、出席者集まんなかったら、結婚式なんてやらなきゃよくね? 都合がつくときにお食事会とかでいいじゃん」


「会場おさえた後になって、予想以上に出席者がいないって気づいたんじゃねぇの」


「それって、『お祝いしてやりたい』って思ってくれる奴が実は少なかったってことじゃね? うわ、さみしー」


「間違ってもそれ言うなよ」



 信号待ちしながら、右方向に見えてきた会場のホテルの建物に目を向ける。


 前田ほどではないが、正直早く終わればいいなと思う。



「ところで、名瀬クン」


「気色悪い」


「ひっでーなぁ……名瀬クンは結婚願望とかありますか?」


「結婚願望? まぁ、なくもないけど」


「相手がいない、と」


「お前もだろうが」


「俺はないから。結婚願望なんて」


「史上最低の嘘だな」


「え、そこまで言う?」



 信号が青に変わり、発進させた。


 ホテルまではもうすぐだが、この道には交差点がいくつかあり、一度赤信号でひっかかると他でもつかまりやすい印象がある。


 懸念していたとおり、次の信号でも見事に赤信号につかまった。



「俺はさ、できれば不特定多数の女子と色んなことして遊んでてーのよ。なんなら女子に限らないし。ノリがいい奴なら男も大歓迎」


「浅く広くってやつか」


「そーそー。それが一番じゃね? 一人の女子だけを愛する自信なんて、俺にはないね」


「そういうもんか」


「そういうもん。で、なんでこんな話したか知りたい?」


「別に」


「知りたいって言えよ」


「言わなくても勝手に話すだろうが、お前は」


「親からお見合いしろとか言われてて困ってんのよ」



 結局するのか、と思いながら、青信号で車を発進させる。


 次の信号では右折しなければならないので、必然的に停まらなければならない。



「お見合いか……どんな人と?」


「いとこの知り合い。なんか、前にいとこが俺とうつってる写真見せたら、会ってみたいって言ってるとかでさー」


「それ、お見合いじゃなくね?」


「そーなんだよ。うちの親、考えが古臭いから。いとこと三人で会って遊びにいくだけだっつーの」


「つまり、お前は俺に『リア充爆発しろ』と言わせたいわけだな?」


「言ってもらって大歓迎」



 右折のタイミングをはかりながら、助手席の前田を殴ろうと手をのばす。しかし、簡単によけられてしまった。



「その子もかわいいっちゃあかわいいんだけど、親に『彼女にどう?』とか言われても答えにくいだろ?」


「まぁ、顔はともかく性格が合わなかったら地獄だしな」


「それな。ぶっちゃけ、顔がいい奴はごまんといるわけだしさー。結婚してる奴って、なにをもって『この人と結婚したい!』って思ったんだろ」


「それは人それぞれだろ。顔だけで選んだ人もいるだろうし、性格とか……趣味が同じで意気投合した、とか」


「趣味が同じっていいよなー。話が合うし、休みの日も同じことしてられるもんなぁ」


「確かに」


「な?……つーかさ、ずっと疑問に思ってたんだけど。結婚して『見事ゴールインしました!』って言うじゃん? なんのゴール? 別にゴールじゃなくね?」


「今あんま言わなくねぇか?……まぁ、独身のゴールってことじゃねぇの。あとは、親の手から離れるって意味とか」


「俺はとっくに親の手から離れてるつもりなんですけどねぇ……結婚が仮にそういうののゴールだとしても、必ずしも誰しもが目指さなきゃいけねぇもんじゃなくね? きちんと自分で金稼いで、生活できてたらそれでよくねーか?」


「まぁな……」



 助手席の窓のふちに肘をついて、不満げに目を細めている様子から察するに、相当親からうるさく言われているのだろう。広く浅い交友関係を保って遊び歩いている様を見ていれば、親が心配になる気持ちもまったく分からないわけではないが。


 結婚、か。


 うちの親は、どちらかというと放任主義なので、そういう話はほとんどしてこなかった。だから、本当のところどう思っているのかは分からない。


 親が子に、「結婚してほしい」と望む理由はなんなのか。それも、千差万別、人によるから、必ずこうだとは言えないのだろうけれど。



「ついたけど。気持ち切り替えオッケー?」


「はいはい、オッケーっす」



 ホテルの駐車場に車を停めて、助手席の前田を見ると、奴は緩慢な動きで車から降りた。


 しかし、ドアを閉めた瞬間、顔が引きしまった。上着のボタンをきちんととめて、シワをのばすように上から下へと払っていた。


 おたくの息子さん、仕事モードに入ったらいい顔するんですよ。


 と、前田のご両親に言ってやりたいと思いながら、奴のあとを追いかけて――



「……あ、やっべ。スピーチ書いた紙、置いてきちまったわ」

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