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4話 仕事に厳しく、己にも厳しい

 支倉さんには、結局間違いを訂正できずに終わり――社長室に入ってしまえばさすがに追いかけるのは無理だった――以前と同じ、ろくに会話をしない関係に戻ってしまった。


 あの「考えてみます」発言が、ただの社交辞令ならば問題はない。しかし、もしもそうではなく真剣に考えてくれているのなら、後々ややこしい話になるような気がした。


 悩む必要はない。さっさと言えばいいのだ。「この前の話の隣人っていうのは、タコなんです」と。


 ……いや、言えるか! 頭おかしい奴認定されるだろ、間違いなく!


 葛藤を抱えつつ、ヘタレな俺は結局なにもできずに、いつもどおり仕事をこなす日々をすごしていた。支倉さんの手に大判のばんそうこうが貼られているのを見て、「それどうしたんすかぁ?」と、ずけずけ聞けてしまう前田が羨ましかった。


 ……なんて、考えても仕方ない。気を取り直して。


 今日の一発目の仕事は、家事代行。頼まれた一週間分の食材を買いに、一人近所にあるスーパー「ふくまる」へとやってきた。


 メモを見ながら、カートに備えつけたかごに商品を入れていく。もちろん、よりよい品を選別するのも怠らない。鮮度がよくないものを選んでしまうと、クレームにつながってしまう場合もあるからだ。


 野菜コーナーで、袋詰めにされたジャガイモが視界に入り、立ち止まる。


 思い出したのは、昨夜の出来事だ。




 ◇◇◇




 隣に住む例のタコとたまたま会ったので、もらった肉じゃがが入っていたタッパーを返した。きれいに洗い、においが残っていないところまで確認済である。



「ありがとうございました。めちゃくちゃうまかったです」



 タッパーを受け取ったタコは、鋭い目で俺を観察していた様子だったが、しばらくして首を横に振り、踵を返した。



「あ……あの!」



 その背中に声をかけると、タコは振り返った。



「そういえば、名前まだ聞いてませんでしたよね。ってか、あればの話だけど……」



 頭をかきながら言うと、タコは頷いた後、自室に入ってまたすぐに戻ってきた。そして、二本の腕でなにかを差し出してきた。


 それは、少々いびつな長方形の紙だった。再生紙なのか、ところどころに様々な紙の繊維のようなものが見える。サイズは、手のひらにすっぽりおさまるほどだ。


 戸惑いながらも受け取ると、そこには縦書きで文字が書いてあった。どうやら、手作りの名刺のようだ。


 そんなものをもっていた事実に軽く衝撃を受けた俺は、明朝体に似た字体で書いてある名前を読んで固まった。



『ロンギヌス二世』



 大層ご立派な名前だった。



「……じゃ、じゃあ、ロンさんって呼んでも?」



 我に返ったあとで尋ねると、タコは頷いた。



「俺、名瀬(なぜ)(あゆむ)っていいます。改めてよろしくお願いします」



 自己紹介して会釈すると、タコのロンさんは二度頷き、部屋のドアを閉める寸前にも再び頭を下げていた。




 ◇◇◇




「なんだったんだ……」



 回想を終え、手にとったジャガイモの袋を売り場に戻す。そして、大きく息を吐いた。


 気にしすぎだろ、しかし。


 変なものが入っていたかどうかは分からない――少なくとも、体調に異変をきたすものは入っていなかった模様――が、ひとまず礼儀としてなにかお礼はしたほうがいいだろう。


 そう考えながら、鮮魚コーナーへと足を進める。メモに書かれてあった、しらす干しと塩鮭の切り身のパックをそれぞれ吟味して、かごに入れる。


 ふと目に入ったのは、アサリ。「今が旬!」と、黄色い紙に赤い太文字の派手なポップがついている。


 タコは、貝類をよく食べるらしい。これをお礼にあげたら喜んでもらえるだろうか。



「ん……?」



 自腹で買うか、と悩んでいたとき、なぜか背筋が寒くなるような感覚がして振り向いた。


 同じ鮮魚コーナーの一画、様々な魚の刺身が並んでいるところで、それらを凝視する奴――タコのロンさんがいた。買い物かごを片手に、某殺し屋のような鋭い目であるものを睨みつけている。


 それは、タコだった。タコが、タコの刺身を恨みがましそうに見つめている。


 品出しをしにやってきた店員がそれに気づき、気まずそうに後退りをして、関係者専用の部屋へと戻っていった。そうせざるをえない。


 周りに気づかず、凝視していたタコのロンさんは、しばらくしてため息をついた後、去っていった。去り際、かごの中にアサリのパックがいくつか入っているのが確認できた。


 そうか。やっぱり、好きなんだな。


 必要なものをすべて買って店を出たとき、出入口の横にあるたこ焼きの屋台の前でも似たような姿を目撃したが、声はかけずに黙って立ち去った。




 ◇◇◇




 その日の夜は、駅前の居酒屋にきていた。



「飲み物行き渡りましたかー?……あ、大丈夫です? それじゃ、カンパーイ!」


「カンパーイ!」



 それぞれのグラスをメンバーのグラスと合わせた軽快な音が、始まりの合図となった。


 最初に言っておくが、これはプライベートではない。合コンの頭数合わせの()()である。


 楽しそうな仕事だな、などと思うことなかれ。依頼主――右隣にいる幸薄そうな痩せぎすの男性を、「気持ちよくなるように引きたてる」のも依頼に含まれているのだ。メンバーは、男女それぞれ四人ずつ。間違っても残る二人に女性陣の注目を集めてはいけない。



「瀬名さんって、どこお勤めなんですか?」



 前に座った明るい茶髪の女性が話しかけてきた。「瀬名」とは、俺のこの仕事での偽名である。



「俺っすか? 色々っすよ。コンビニとかスーパーとか、あと駅前でチラシ配ったりとか」


「あ……フリーター、ってことですか?」


「そうそう。俺、H大出身なんすよ。ちゃんと就活したんすけどねー」



 H大、と言った瞬間、女性陣の笑顔が引きつるのを見逃さなかった。


 そこは、都内でも割と有名なボーダーフリー大学、いわばFランク大学だ。「なにか事件や問題が起こったときに当事者を調べてみると、たいていそこの大学出身者」なんて、ひどいガセネタが出回るほど色々な意味で話題になっていた。


 念のため言っておくが、その大学出身だと名乗ったのは、ただの「設定」である。俺はそもそも、高卒で就職した身だ。


 女性陣の反応を見て手ごたえを感じつつ、自分の皿に取り分けたサラダのトマトをつまんだ。



「あ、でもね、こいつは違うんすよ。なんと、あの国立K大出身。で、しかも広告会社大手のTコーポレーションでバリバリ働いてるんすよ。超すごくないすか?」



 隣に座る依頼主を指でさし、言った。



「Tコーポレーション? めちゃくちゃ大手じゃないですか!」


「えーすごい。あそこの採用試験、一次面接突破するのすごい難しいって聞きましたけど」


「でしょ? こいつ、昔から度胸あるっていうか」


「お二人はどういう関係なんですか?」


「あー……やっぱそこ気になります? それがですね、こいつとは高校からの付き合いなんすけど――」


「お……おいおい。なに言ってんだよ。中学からだろ?」



 そこでようやく、緊張して声も出ない様子だった依頼主が口を開いた。



「え? そうだっけ?」


「そうだろ。クラス一緒になったことないから分かんないかもしれないけど」


「そりゃ分かんねぇって! 大体、俺ら全然属性違うじゃん? あ、それでですね、こいつとは一年のときに同じクラスになって……なんかのグループ分けで一緒になったのが始まりっていうか?」


「キャンプのときだろ? 懐かしいな」


「そうだった。あ、皆さん女子高出身って聞きましたけど、そういうイベントっていうか行事ってなにかやるんすか?」


「そうですね、色々。キャンプはやりませんでしたけど」


「キャンプって、自分たちで料理するんですよね? 大変そう」


「そうなんすよ。そんときも大活躍だったんすよ、こいつ」


「えー? お料理得意なんですか?」


「ま、まぁそれなりに?」



 たぶん、本当はからっきしなんだろうなぁ。


 本音を隠し、依頼主の顔色をうかがいつつ、女性陣から気持ちのいい言葉をかけてもらえるように誘導する。幸いにも、残りの男子二人は俺同様に頭数合わせで連れてこられたらしく、黙々と料理をつまみ、酒を飲んで空気と化していた。


 その後も、依頼主をヨイショしながら会話を進め、依頼主が女性一人と連絡先の交換までこぎつけたのを無事見届けて、その会はお開きとなった。俺の仕事も完遂だ。



「ありがとうございました! 第一希望じゃなかったんですけど……でもまぁ、よかったです!」



 女性陣がそろってお手洗いにいくため席を外したのを見計らい、依頼主が両手で俺の手を握って言ってきた。


 さっさと帰っていく空気男子二人組を目で追いつつ、依頼主に気づかれないようにため息をつく。「第一希望じゃない」なんて言っている時点で、この先の結末は目に見えている。


 その後は、二次会でカラオケに行く話になったが、俺は「バイト先の先輩に呼びだされちった!」と言って、別れた。あとはお好きにどうぞ。


 アパートにつく頃には、くたくただった。精神的な疲れもあるが、前田を模したチャラ男を演じるあまり、いつも以上に飲みすぎたせいもある。


 これは、明日に残るな。確実に。


 腹をさすって、自室の鍵を開けてノブをつかんだ。途端、視界の端に入る赤いもの。



「あー……こんばんは」



 またお前か、タコ。


 今夜のタコは、両手で汁椀を持っていた。湯気が立ち昇っているそれは、色からして味噌汁のようだった。小さな輪っか状に切ったわけぎも浮いている。


 タコが味噌汁のお椀を持っている。そんなシュールな姿がなんだか面白くなって、目の前にしゃがみこんだ。



「どうしたんすか、それ」



 タコのロンさんは、その汁椀を突き出してきた。例によって、おすそわけのようだ。



「いいんすか? なんかすいません。もらってばっかで」



 ロンさんが、首を横に振る。そして、俺が汁椀を受け取ったのを見届けて、さっさと自室へと戻っていった。


 料理を作るのが好きなのだろうか。それで、自分だけで消費するのはつまらないから、隣の部屋の不健康そうな俺にあげている、とか?


 タコが、か?


 意味不明だが、うまそうな匂いがしているお椀にそそられて、口をつけた。



「……!?」



 瞬間、衝撃を受けた俺は、ロンさんの部屋を見つめて立ち尽くした。

読んでいただき、ありがとうございました!

タコの名前が判明するシーン、我ながら好きです笑

更新は毎日20時を予定しています。

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