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隣人はタコでした。  作者: 手羽本 紗々実(てばもと ささみ)
第2章 タコ、明かす
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16話 慣れないことをしたせいで

 今日は、緊張しっぱなしの一日だった気がする。帰りの電車で、すかさず空いていた席に座ってぐったりと寄りかかった。


 なぁ……俺、今日がんばったよな? 相当がんばったと思うんですけど?


 頭を窓に寄りかからせてぼんやりしていたせいで、危うく乗りすごしてしまうところだった。改札を抜けてため息を一つ。


 そして、アパートの自室について中に入った途端、また一つため息。



「どうだった。成果はあっただろうな?」



 玄関の先――左斜め前にあるキッチンに立って、なにかがぐつぐつと煮えている鍋をおたまでかきまぜていたタコが、振り返って聞いてきた。


 相変わらずの、アニメ風の高い声。口調と声のギャップがひどすぎる。



「……なんで、うちにいるんだよ」


「当然だろう。すぐに今日の成果を聞けるように――」


「そうじゃねぇ! どうやって入ったかって聞いてんだよ! ちゃんと戸締りしてったはずなんですけど!?」



 リュックを玄関先に下ろし、指をさして追及すると、ロンは鼻で笑った。



「あんな扉、私の手にかかれば破るなど造作もない」


「ピッキングしたのかよ!? 泥棒じゃねぇか、完全に!」



 一本の腕をあげて、その先をキュッと細めたロンにつかみかかる。しかし、素早い身のこなしで逃げられた。


 挙句の果てに、「台所で騒ぐな、危ないだろう」などと注意される始末。お前は俺の母ちゃんか。



「いいからさっさと見せろ。痕跡が消えてしまうだろうが」


「はいはい……お好きにどうぞ」



 両手を差し出すと、ロンはそれをとって、まじまじと観察した。


 吸盤が貼りつく感触が、くすぐったくて気持ち悪かったが、また余計に怒られそうなので我慢した。



「……むっ!?」


「なんだよ?」


「いるぞ!」


「なにが?」


「今日触れた者の中に、例のスキルの主が!」


「……え?」



 俺は唖然とした。


 今日触れた人の中に、いるだって? 嘘だろ? そんな早く見つかるのか?



「間違いない……他の取るに足らない雑兵の気配にまじって、怪しげな魔力の気配がする。注意深く観察しないと分からん程度だがな」


「で、誰なんだよ?」


「それが分かれば苦労せん」


「……はぁ」



 あまり進展していない気がするが、しかし、「今日触れた人の中にいる」のは分かった。大きくはないが、重要な一歩と思うしかない。



「他に手がかりはねぇのか?」


「これだけの気配を感じるとすれば、少なくとも数秒間は触れていた者のはずだ」


「数秒……じゃあ、電車で会う人じゃねぇな」



 と、すれば、会社の誰かだろうか。今日会って触れたのは、前田と浦上さん。それから……支倉さんと、鈴原さんだ。武田さんとも会ったけれど、触れてはいないはず。


 ただ、鈴原さんとは毎日は会わないから、可能性としては低いだろう。



「心当たりはあるか?」


「あるな。今んとこ四に――じゃない、三人」


「どんな奴らだ?」


「二人は男で、どっちもよく一緒に仕事する人。もう一人は、事務の人。席も反対側でよく顔合わす……けど、接触は多くねぇな」


「ふむ……ところで、先程四と言いかけて三と訂正したな? その理由は?」


「もう一人も同じ会社の人だけど、毎日は会わねぇから違うんじゃねぇかなって思って」


「なるほど」



 ロンは、二本の腕をからめて腕組みをして考えこんだ。


 本当に、この中に探している「強力なスキルをもった人」がいるのか? それが判明したあとどうするかにもよるけれど、誰だとしても面倒なことになりそうだ。


 特に難しいのは、支倉さんだ。そもそも、今日触れられたのは、本当にただの事故だった。明日も都合よく触れる機会がやってくるとは思えない。



「では、とりあえずその三人にしぼって再度接触してみろ。できるかぎり長い時間だぞ」



 ロンが一本の腕を、俺を指でさすように突きつけた。



「……がんばるけど、そんな期待すんなよ。怪しまれないで触るタイミングはかるの、すげー大変なんだからな」


「期待以前の問題だ。これは、貴様の任務だ」


「無駄にプレッシャーかけんのやめてくんねーか」



 俺のささやかな抗議を、ロンは鼻で笑って一蹴し、踵を返してキッチンにむかった。



「さっさと着替えろ。腹を満たして、明日への英気を養うのだ」


「はいはい……今日のご飯はなんですか?」


「『びーふしちゅー』だ。獣から染みでる栄養を補給すれば、疲れなどたちどころに吹き飛ぶだろう」


「獣とか染みでるとか言うな」



 げんなりと気分が萎えた状態でも、体は正直だった。立ちのぼる湯気と一緒に漂ってくるビーフシチューのいい匂いが、空腹を刺激する。


 諦めて、言われたとおり寝室にいってスウェットに着替えた。


 その間、ロンが出来上がった料理を次々と運んできた。メインのビーフシチュー、バゲット。マッシュポテトまでついている。


 いや、完璧すぎるだろ。



「……なぁ」


「なんだ」


「ずっと気になってたんだけど、どこで料理習ったんだよ?」


「スーパーのレシピコーナーだ。色々貼りだしてあるだろう」


「ああ。そういえば、そんなようなとこあった気が……じゃあ、他の洗濯とかの家事は?」


「『ひとりぐらしのお助けブック』とやらを読んだ。ゴミ捨て場に積み重なっていたものだ」


「……へー」



 それで身につけられるなんて、すごいな。俺より勉強熱心かもなぁ。


 と、感心しながら、冷蔵庫にあった安物の赤ワインとともに、ロンの手料理に舌鼓を打った。




 ◇◇◇




 翌日の仕事では、珍しく鈴原さんと一緒だった。とある家の家事手伝いの仕事だ。


 住んでいるのは、三十代の夫婦とまだ幼い子ども三人。家族で遊びにいっている間に、部屋の片付けや掃除、それから食事の作り置きを頼まれている。



「……まずは部屋の片付けからですかね」


「そうですね。がんばりましょ!」



 借りた鍵を使って中に入って目の当たりにした惨状に、俺は顔を引きつらせ、鈴原さんはやる気をみなぎらせて腕まくりをした。


 激しい戦闘のあと、とでもいうべきか。おもちゃやぬいぐるみ、指人形などがあちこちに散乱していて、なにも考えずに歩いたら、確実になにか踏みつぶしそうだった。


 もしもそれで壊してしまえば、弁償は免れない。慎重に歩を進めながら、落ちているおもちゃを回収し、子ども部屋に運ぶ。


 それらの整理整頓は、鈴原さんが買ってでてくれたので、俺は風呂掃除にとりかかった。



「床、ピンク汚れあったらこっちの洗剤使ってくださいね」


「はい。ありがとうございます」



 鈴原さんからスプレータイプの洗剤を受けとり、さっそく床に見つけた赤っぽい色になっている部分にふきつけた。ジワジワ、と聞こえる音が、なんだか面白い。


 床や浴槽だけでなく、シャワーヘッドや蛇口、シャンプーなどのボトルが置かれている棚もきれいにする。ぬめりがつきやすいボトルの底も同じく。


 白い水あか汚れがつきやすい鏡は、別の専用の洗剤を使って丁寧に磨いた。かなり頑固なので、ここが一番大変だと言っていいだろう。


 頼むから、鏡は水あかがつかないように、濡れたらすぐに水気を拭きとってほしい。お前はそうしているのか、と問われれば、NOと答えるしかないのだが。



「風呂、終わりました」


「お疲れ様です。あとはここだけですよ」



 風呂掃除を終えて出ると、鈴原さんはキッチンで料理をしているところだった。ツナギの上に自前の赤いエプロンをつけている。


 リビングにダイニング、それに続く子どもの遊び部屋をのぞくと、見違えるほど整理整頓されていて、きれいになっていた。あの足の踏み場もないほど散らかっていたのが、嘘みたいだ。



「鈴原さん、早っ。マジであと料理だけじゃないですか」


「いえいえ。名瀬さんこそ、一番大変なお風呂掃除やらせちゃって、すみませんでした」


「全然ですよ。まぁ、ちょっと水あかに苦戦しましたけど」


「でしょ? どうぞ休んでてください。あともうちょいなんで」


「……じゃあ、お言葉に甘えます」



 実際、若干だが腰が悲鳴を上げていたので、ダイニングの椅子を拝借して座った。


 そして、鈴原さんの、野菜を入れたフライパンをシャカシャカ振るようにして炒める手さばきを見て、舌を巻いた。やはり、慣れている人は違う。


 タコのロンも、相当練習したのだろうか。いくら八本もの腕があって、同時に色々できるとはいえ、すぐになんでもうまくできるとはかぎらないだろう。


 すべては、元いた世界に帰るため。健気に家事を練習する姿を想像し、なんだか複雑な気持ちになった。



「はい、完成! あとは冷めるのを待って冷蔵庫に入れるだけ、と」


「お疲れ様です。ありがとうございました」


「こちらこそ」



 鈴原さんは、手を洗ってエプロンを外し、自分のバッグの中にしまった。そして、マイボトルを持ってきて、俺が座っている向かい側の椅子に座った。


 マイボトルの飲み物を飲む彼女を見ていると、その手の一部が赤くなっているのに気づいた。



「鈴原さん、その手は?」


「え? ああ。たぶん、さっき油がはねたときのだと思いますけど」


「火傷ですか!?」


「そうですね」


「そうですねじゃなくて! 早く冷やさないと!」


「大丈夫ですよ。ちょっとヒリヒリするだけだし」


「冷やしてください!」



 少しきつめに言うと、ヘラヘラ笑っていた鈴原さんは、苦笑しながら「はーい」と言って席を立ち、キッチンの流し台の前に移動して水を流し、その流水に患部を当てた。



「うーん。水もったいないので、てきとうでいいですかね?」


「よくないです!」


「塗り薬もってるから大丈夫ですってば」



 鈴原さんは、宣言どおりさっさと水を止めて手を拭いて、自分のバッグのところへ行き、小さなポーチからチューブタイプの塗り薬を出した。


 確かにひどい火傷ではないようだが、それにしてもてきとうすぎる。料理は火を扱うし、油はねで火傷なんてよくあるから、慣れているとでもいうのか?



「あう……っすみません、名瀬さん。ちょっとここの袖、まくってくれませんか? 指、薬つけちゃって」


「ああ、はい」



 鈴原さんが、指先に白い薬をつけた状態で、ずり落ちたツナギの袖を振りながら言った。


 彼女の体格だと、袖の先は手首を半分近く覆い隠すくらいの長さだった。XSでもそのありさまである。


 言われた袖を、内側に折っていく。外側に折るよりは、内側に折ったほうがずり落ちにくくなるのだ。


 ……腕、細いな。肌の色もやけに白くて、きれいだ。あとなんか、ほのかにいい匂いがする。柔軟剤の匂いか?


 と、頭に邪念がよぎったので、頭を横に勢いよく振ると、たちまち鈴原さんに怪訝そうな視線を向けられた。



「あ、すみませ――」


「ハンドクリーム、なに使ってます?」



 鈴原さんの視線は、そのまま俺の手に向けられた。



「ハンド、クリーム? いえ……別になにも」


「ウソぉ! こんなにつるすべじゃないですか!」


「へっ」



 鈴原さんは、薬をつけた手とは逆の左手で、俺の手に触れてきた。そして、指を一本一本確認するかのように凝視している。



「最近乾燥してるじゃないですか。私、お風呂からあがったらすぐかっさかさになるんですよ。羨ましいなぁ」


「そう、なんですか……大変ですね」



 不意に触れられたのが衝撃的で、俺はこのとききちんと返事をできていたのか、正直自信がなかった。

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