14話 こんなことになるとは予想だにしていなかった
「先日、貴様がカゼをひいたあの日。あれこそ絶好の機会だった……思ったとおり、スキルの発動が鈍かった。しかし、結果は見てのとおりだ。よもや、私の料理を作る技術が足りないのかと、自身を責めさえしたのだぞ」
「知らねーよ」
まるで俺が悪いとでも言いたげに恨み節をぶつけてくるタコだが、俺はげんなりと脱力して項垂れていた。
初めてこいつの料理を口にしたのは、こいつが引っ越してきた次の日の夜だ。ノリで口にしたが最後、そのうまさに感動をおぼえ、受け入れるハードルが下がっていたのだ。
危なかった。もしも俺に、タコ曰く「キャンセルのスキル」がなければ、完全にほだされていた――いや、精神を乗っとられていたところだった。
「私は帰りたいだけなのだ……」
「はぁ?」
こちらが自己嫌悪していると、突然タコの口調がトーンダウンした。
見れば、タコが落ちこんでいるかのように項垂れていた。目も、鋭さが消えていつもの黒い点のようなかたちに戻っている。
「この世界は、私の知る世界ではない。グリアロボス様のお役に立つため、早く元の世界に帰らねばならぬのに……」
項垂れたタコは、床に一本の腕の先を突き立てて、こすりつけるように軽く動かした。いじけた子どもか。
しかし、そんな哀愁漂う姿を見せられては、放置するのはなんだかしのびなかった。
あぐらをかいた体勢で、しょぼくれているタコと向きあう。
「……あんた、困ってんのか」
「見て分からんのか。当たり前だろう」
「じゃあ、どうすりゃいい?」
そう言うと、タコはいじけた姿から、ぱっと顔を上げて俺を見た。
元々目が黒い点のように見える上、ひょっとこのような口もあり、まさしく鳩が豆鉄砲を食ったような顔である。
「どうすりゃいい、だと?」
「ああ。よく分かんねぇけど、元の世界に帰れなくなっちまったんだろ? なにか俺にできることは?」
タコは、俺を見上げた体勢のまま、しばらく固まった。
顔の前で手を振ってみても、反応はなかった。
「……わ、私と契約しろ!」
「嫌に決まってんだろ」
「なんだと!?」
顔を上げてやっと口を開いたと思ったら、とんでもない発言が飛びだしたので、反射で拒否した。
「私を騙したのか! 今、なんでもすると言っただろう!」
「言ってねーよ! 俺にできることはあるかって聞いただけだっつーの!」
「それはつまり、『自分にできることはなんでもやる』という意味だろう!?」
「ちげーよ! 勝手に『なんでも』を付けるんじゃねーよ!」
俺はこいつとコントでもやっているのか?
はたから見れば、そう見えるかもしれない。だが、どうせやるなら相手は人間でしかるべきではないか。
「そもそもは貴様が原因の一つなのだぞ! 責任はとってもらうからな!」
「だから知らねぇって! なんで俺が、お前が元の世界に帰れない原因になってんだよ!?」
「事実だ。貴様のその強力なスキルが、他の同等の力をもつ者と反発して、それによって生じた力が時空に干渉し、ひずみが生まれたのだ。その時空のひずみが解消しないかぎり、私は元の世界には帰れんのだ」
「そんな世界規模の話!?」
「何度でも言う。事実だ。お前が受け入れるか受け入れないかは関係ない」
それ、なんて物語?
俺の力が、知らないうちに世界を歪めていたとは……いや、なんでだよ。
にわかには信じがたい。だが、タコの言うとおり、こいつは確かに俺の目の前に存在している。そして、本当は帰れるのに「帰れない」などと嘘をつく理由はない。
俺が原因かどうかについては、定かではない。しかし、こいつが元の世界に帰らなければ、俺の平穏が戻ってこない点ははっきりしている。
「……契約って、具体的になにをどうすんだよ? 言っとくけど、痛い目に遭うとか、最終的に地獄に落ちるとかだったら嫌だからな」
「私と主従関係を結ぶのだ。さすれば――」
「絶対嫌だ」
「話は最後まで聞け!」
「ぐっ!?」
タコが、腕を一本上にむかってまっすぐのばした状態で、俺の顔に叩きつけてきた。
地味に痛い! そして、吸盤が貼りついた感触が気持ち悪い!
「私は貴様と余興をするつもりはない。いいか。二度も言わんぞ」
「……分かったよ」
俺も、そんなつもりはこれっぽっちもねぇよ。
心の中でそう呟いてから、「で?」と続きを話すよう促した。
「契約といっても、形式的なものだ。時空のひずみを解消するには、貴様のスキルが暴発しないようにする必要がある。貴様自身でコントロールできるようになれば問題はないのだが、現状は難しいだろう」
「なんでだよ?」
「力の安定には、経験と鍛錬が必要だ。しかし、この世界はそれを積むにふさわしい環境ではない。それは、貴様自身がよく分かっているはずだ」
俺は首を傾げた。
分かっているはず、なんて言われても。
「……では聞くが、貴様は貴様と同じように異能力をもった者を他に見たおぼえはあるか?」
「あるわけねぇだろ」
「だろう。つまり、そういうことだ」
「……ようするに、スキルを扱う経験も技能も、蓄えるには同じような特殊能力をもった相手がいないとだめなのか」
「そうだ。やっと分かったか」
二本の腕をからめて腕組みのような格好をしたタコは、呆れたように「まったく……」と呟いた。
さも俺が、理解力のない非常識な奴と扱われている気がするが、それはともかく。
確かに、ゲームにおきかえてみれば分かる。自分のキャラを育成して相手と戦うようなゲームでは、「戦う相手」がいなければならない。
「貴様のスキルなら、日常的な動作で鍛えられなくはないだろう。だが、そのためには膨大な時間を必要とするはずだ。そんな無駄な時間を費やすほどの余裕はない」
「だから、あんたと契約して強制的に俺のスキルが暴発するのを抑えるってわけか」
「そうだ。でなければ、誰が好き好んで貴様などを従者にするか」
「だから、こっちのセリフだよ! てか、俺が従者かよ!?」
「当然だ。私の力をもって貴様の代わりにスキルを抑制せねばならんのだぞ」
俺は言葉をつまらせて、ぐっと歯を噛みしめた。
悔しいが、このタコの言うとおりだ。いや、今までの話が全部本当だとすれば、だ。
「あーもう。分かった、分かったって。で? 契約って具体的になにをどうすんだ? 契約書作ってサインでもすりゃいいのか?」
「ばかめ。人間目線でものを言うな」
「俺はれっきとした人間ですけど」
「先に、一応確認させてもらおうか。この契約を結べば、晴れて貴様は私の従者となる。当然だが、貴様のほうから契約破棄はできぬ。スキルをもってしても、だ……すなわち、あとには引けぬ。それでいいのだな?」
「ぶっちゃけると、よくはねぇよ。けど……他にどうしようもねぇんだろ?」
「そうだ」
「じゃあ、もういいよ。好きにしてくれ」
「……本当に、いいのだな?」
「いいっつってんだろ。アレだよほら……俺は便利屋だから。困ってる奴を助けるっていうのが仕事だからな」
本当は、なんでも請け負えるわけではないのだけれど。そしてなにより、相手は「人間」が絶対条件だ。
そう思いながらも、諦めて頭をかいた。
そんな俺を見ていたタコは、なにか納得したかのように頷いた。
「よく分かった。貴様は今まで散々……貧乏くじをひいてきたのだな?」
「余計なお世話だよ!」
「いいだろう。貴様の申し出、しかと聞き届けた」
高くて柔らかいアニメ声で偉そうな言葉を吐いたタコは、ひょっとこのような口を俺にむかって突きだしてきた。
「……なんだよ?」
「ここに貴様の指を入れろ」
「は?」
「契約のために必要な儀式をする。いいから言うとおりにしろ」
「…………」
不安に駆られつつも、おそるおそる右手の人差し指を出して、そのひょっとこのような口の中へ、差しこんだ。
「いっ!?」
途端に鋭い痛みが走り、反射的に指をひっこめた。
見れば、爪の生え際近くに歯形がついていた。しかし、それは次第に薄まって、消えた。
「これで契約完了だ。晴れて貴様は、私の従者となった!」
「私の従者となった、じゃねぇよ! 今絶対噛んだだろ!」
「当然だ。その傷口から私の魔力を流しこんだのだ。貴様のスキルが発動する前にな」
「……ああ、そうですか……」
つまり、俺の体には、血液にまじってこのタコの魔力が駆け巡っているのか。そう考えると、なんか嫌だ。
「じゃあ、これで俺のスキルは暴発しなくなったんだな?」
「長い時間離れなければな」
「……はい?」
「長時間離れてしまえば、さすがに私の魔力が弱まる。最低でも、日が昇って落ちるまでの間に一度は触れる必要がある」
「つまり俺は、必ず毎日あんたと顔を突き合わせなきゃいけないってわけだな?」
「そうだ」
「…………」
俺はげんなりとして、肩を落とした。
ある程度覚悟をして言い出したとはいえ、やはり気分が萎える。
「これで片方は解決した。次は、貴様のスキルと反発しているもう一つのスキルの主を見つけるのだ」
「見つける……って、どうやって?」
「その者は、貴様がよく触れあう者に違いない。そうでなければ、反発など起こりようがないからな」
「よく触れあう者……って?」
「分からんのか。毎日のように顔を合わせる者だ」
「……いや、待てよ。そんな奴、どんだけいると思ってんだよ」
俺は愕然とした。
なにが絶望的かといえば、俺が電車で通勤している点だ。同じ時間、同じ方向の電車に乗る人がどれだけいるか、調べるのは至難の業である。
仮に、その人数が判明したとしても、その中からどうやってスキルをもっている奴を探しだすと言うのか。
「できるかぎり可能性がある者と接触してこい。その日のうちに私が見れば、残滓を感じとれるはずだ。なにしろ、貴様のスキルと反発するほどの強力なスキルなのだからな」
「いや、けどよ――」
「今さら無理とは言わせんぞ。契約前に言っただろう。あとには引けぬと」
その言葉の意味の重さを、今さらながらに実感した俺は、天井を見上げて深くため息をつくしかなかった。