第7幕 『 頭痛 』
はい、入ってもらって。
終了。
おだいじにね。
次、皮膚病か。
太郎くん入ってもらって。
今度は下痢ね。
どうぞ。
じゃぁ、おだいじに。
モコちゃん、どうぞ。
怪我したの?
次は、カムちゃん。
ワクチンうって。
トムくんは、抜糸ね。
それで、ギンタくんはどーしたの?
次、誰だっけ?
うぎゃ、すっごいカルテの量。
どーしてこんなにもたまってるの?
院長出てきてくれないの?
森先生は?
一人じゃ無理だよ。
いつまで診察続くのぉ!
もう夜中だよ。
うっそ~。
うなされた自分の声に驚いて目を覚ました。
まただ...。
いつまでたっても途切れない患者さん...、そんな夢を時々見る。
強迫症の気があるのかな?
時計に目をやる。
目覚ましが鳴る時間より30分ほど早かった。
この30分はとっても名残惜しかったけど、そのまま起きることにした。
なんだかちょっと頭痛いな...。
そうだ、昨日のネコはどうかな?
少し早いけど、このまま病院に行こう。
病院に着き直接入院室に行くと、ちょうど院長が昨日のネコの様子を見ているところだった。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
「どうです?」
「また、溜まってきていると思うけど、ずいぶんと楽そうだね」
ケージの中のネコをのぞいてみる。
ほんとだ、ちょこんと座っている姿に、苦しそうな様子はなかった。
「じゃぁ、今日は休みだから頼むね」
院長は軽く右手を挙げると、そのまま入院室を出ていった。
そうか、今日は院長は休みなんだ。
なんだかちょっと気が重いなぁ。
9時、診察開始。
最初の患者さん。
「今日は、院長先生お休みですか?」
「はい、申し訳ありません」
と、まぁ、よくもここまでグッドタイミングで院長指名の患者さんがやってくるもんだ。
そんなこともあってか、う~、やっぱり頭痛いや。
膿胸の処置が終わって入院室から戻ってきた森先生が次のカルテを見ていた。
「森先生、次やってね」
「あ、でも、次、中島さんです」
わたしの担当か...。
カルテを受け取ると、わたしはそのまま診察室には行かず、ロッカールームに向かった。
そして、自分のバッグから頭痛薬を取り出し1錠口に放り込むと、医局で水を飲み流し込んだ。
早く、薬効け。
中島タロくんの状態は変わりなかった。
飲水量も変化なし。
きちんと決められたフードを、決められた時間に完食していた。
今日は実際に中島さんに注射器に触れてもらうことにした。
中島さんは注射器を手に持ち、やや顔を引きつらせている。
ただの水を入れた使用済みのバイアルを渡し、インシュリンを吸うまねごとをしてもらう。
優しく混和して。
4つ目のメモリまで...。
ロードーズでもメモリが細かいから、ちょっと見づらそう。
次は、タオルを使って注射の練習。
左手でつまんで少し持ち上げる。そこにぷちっと...。
中島さんの手が震えているのが分かる。
短い針だから、根元まで刺しちゃっても大丈夫。
タオルから針を抜いたところで、中島さんは大きくため息をついた。
「上出来です」
「やっぱり、こわいですね」
「中島さんが怖がってると、タロくんにもその気持ちが分かってしまって、よけいに不安がってしまいますよ」
診察台の横で知華ちゃんに抱かれたタロくんは、ちょっと不安げに中島さんの様子を見ていた。
肩の力が抜けたところで、中島さんはタロくんを見た。
タロくんがしっぽを振り出す。
「注射、ご自分でやってみますか?」
「いえ、先生お願いします」
「わかりました」
無理させて失敗しちゃうと、かえって遠回りになるものね...。
中島さんのカルテを記入し受付に渡しに行くと、新しいカルテが2つ回ってきた。
ひとつは今日の手術のぴーちゃん、乳腺腫。
もうひとつは、ハムスター。主訴は、なんか出てる?
「森先生、はい」
医局で本を読んでいる森先生にハムスターのカルテを差し出した。
森先生は慌てて立ち上がると、カルテを受け取った。
「頬袋だと思う。がんばって戻してあげて。ダメなら麻酔必要かな」
「は、はい」
不安げな森先生。
これだけヒントあげたんだから、自信もってレッツゴ!
知華ちゃんがわたしに、そして彩ちゃんが森先生について診察室へ行く。
知華ちゃんが先にの野口さんの名を呼んだ。
麻酔のリスク、手術の方法などを野口さんに説明して、ぴーちゃんを預かる。
「夜、迎えにくるから」
野口さんはぴーちゃんにそう言うと、診察室を出ていった。
診察台の上のぴーちゃんを知華ちゃんが抱き上げる。
「大丈夫?持てる」
ぴーちゃんはちょっと重いぞ。
「大丈夫です」
と、言いつつもいつまでその状態を保てるか?
わたしは急いで知華ちゃんが進む予定の扉を次々と開け、入院室へと導いた。
ぴーちゃんをケージに入れたあと、知華ちゃんは肩で息をしながら受付へと戻っていった。
入院室を出て、そのままわたしは手術室に行く。
すでに、手術の準備がしてあった。
準備万端ね。
手術台の横にある椅子に座り、手術台に肘をかけるとそのまま額に手を当てた。
やっと薬が効いてきたかな。
少しだけ...、こそっと休んじゃえ。
このまま手術室に引きこもっていることにした。
目を閉じる。
眠くなってきたなぁ...。
眠くならない頭痛薬なのに、わたしはいつも眠くなる。
ああ、なんだかふわふわしていい気持ち...。
「先生、こんなとこにいたんですかぁ」
知華ちゃんの声で目を開けた。
あれ?ほんとに寝ちゃってたのかな?
「ハムスター、お願いします」
「え?さっきの子?」
「そうです」
「森先生はどうしたの?」
「ハムスターに噛まれて自分の治療中です」
知華ちゃんは堪えきれずに笑い出した。
診察室に行くと、彩ちゃんが森先生の指にテープを巻いているところだった。
「大丈夫?アナフィラキシーとかになんないでよぉ」
一応心配してあげる。
「傷は深いですが、ピンピンしてます」
彩ちゃんが笑いながら森先生の変わりに答えた。
「僕がハムスターを持とうとしたところで、『その子噛みます』って飼い主さん言うんですよ...」
「飼い主さんが言ったと同時に噛まれてましたよね」
彩ちゃんはまだ笑っている。
「麻酔かけなきゃダメみたいですって預かりましたので、あとお願いします」
森先生はテープの巻き終わった指を恨めしげに見ながら言った。
診察台の上では小さな透明な容器に入ったハムスターが、口からピンク色の塊を出し、うっとうしそうに手で気にしていた。
「じゃぁ、あと診察来たらお願いね」
ハムスターを連れ、奥の手術室へ行く。
「手術台だけ空ければいいよ」
午後の乳腺腫のために準備してあった器具をどけようとしている知華ちゃんに言う。
「あと、せっかく麻酔かけるから、一糸縫合しとこうかな。またすぐ出ちゃうといけないから」
まず、ハムスターを手術台のマットの上に出し、すかさずハムスターがすっぽり入るくらいの麻酔のマスクをかぶせる。
そして、回路をつなぎ麻酔を流す。
しばし待つ。
麻酔が効いて横になったハムスターを素早くマスクから出し、今度は先の細くなった管を回路につけ、ハムスターの鼻と口にかぶせる。
あれ?そうか、これじゃぁ、口の中に綿棒入れられないや。
ちょっと深めに麻酔を効かす。
そして管を外し、飛び出た頬袋が壊死していないことを確認したあと、綿棒で押し込む。
よし、よし、入ったぞ。
ここで再び麻酔をかける。
また麻酔を外し、もう一度綿棒を入れ、今度は縫合。
綿棒の感触をたよりに皮膚側から針を通す。
「どお?綿棒抜ける?」
「抜けません」
どうやら綿棒ごと針をかけちゃったみたい。
一旦針を抜く。
おっと、ちょっと動き出したぞ。
麻酔、麻酔...。
効いたところで再チャレンジ。
よし、今度は上手くいった。
結紮してカット。
はい終了。
視線をあげると、周囲には森先生、上田さん、彩ちゃんとギャラリーがいっぱい。
「あれ?診察ないの」
「ずっと誰も来ないですよ」
森先生がうれしそうに言った。
「じゃぁさ、この子の麻酔が覚めたらお茶にしようか」
わたしが言う。
手術台の上では、すでにハムスターがもぞもぞ動き始めていた。
そして、コーヒーとお菓子とで、平和のうちに午前の診察時間は終了!!