表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界恋愛・短編

信じていた婚約者と妹の裏切り。冤罪と命の危機に直面した私を救ってくれたのは、無愛想な第二王子でした・短編

作者: まほりろ

この作品は前作「婚約者が妹と浮気していました、二人は私に冤罪をかけ殺したいようです」を大幅に改稿し、ハッピーエンドにしたものです。

過去作と合わせて読んで頂けると幸いです。



私はボーゲン公爵家の長女として生まれました。


公爵家に生まれ、婚約者は王太子、世間の人は私を恵まれていると思っているでしょう。


ですがいつだって……家族の団らんの中に私の居場所はありませんでした。


父と母は、母親に似て美しい妹のエマだけを可愛がっていました。


父と母が妹だけを可愛がるのには理由があります。


原因は祖母です。


私の祖母の名前はフリーダ・ボーゲン。彼女は私が生まれる前に亡くなっています。


ボーゲン公爵家の当主だった祖母は、それはそれは厳しい方だったそうです。


祖母は嫁いで来たばかりの母と折り合いが悪かったそうで……。


祖母から虐めに近い教育を受けた母は、一時精神を病み実家に帰っていました。


母曰く、私の容姿はその祖母にそっくりなのだそうです。


私は漆黒の髪と黒檀色の鋭い目、尖った鼻をしています。小説に出てくる悪役令嬢のような恐ろしい顔をしています。


生前の祖母を知る人は、私の顔を見ると口をそろえてこう言います「若い頃のフリーダ・ボーゲンに生き写しだ」と。


母は生まれたばかりの私を見て「嫌だわ! お義母様にそっくり!」と言って、ショックで気を失ったそうです。


そんな訳で私は生まれてから一度も、母に抱かれた事がありません。


祖母は実の息子にも厳しい人だったらしく、父は幼い頃祖母にされた教育がトラウマになっているそうです。


父は私の顔を見ると、ゴキブリでも見た時のように眉間にシワを寄せます。


両親が愛情を注ぐのは私の一つ下の妹のエマだけ。


エマは金色の髪に青い目、母譲りの美貌を持って生まれました。


両親は母親似の妹だけを可愛がり、公爵家の唯一の娘として扱っています。


私は両親と同じテーブルを囲むことも許されていませんが、エマは毎日両親と仲良く食卓を囲んでいます。


私は幼い頃から、厳しい教育を受けて育ちました。


朝は日が昇る前に起こされ、午前中は歴史や算学や古代語の勉強、午後はピアノやバイオリンやダンスのレッスン、寝るのは深夜でした。


一つでも問題を間違えると家庭教師に厳しく叱責されました。


私が問題を間違えると、家庭教師はその事を両親に報告しました。


家庭教師からの報告を受けた両親は「高い授業料を支払っているのになんという体たらくだ! 罰として夕飯は抜きだ!」と言って私を叱りました。


「わしは幼い頃、母にこうやって教育されたのだ!

 母にそっくりなお前は、母の生まれ変わりに違いない!

 だからわしは母にやられたことを、そっくりそのままやり返してやらねば気が済まんのだ!」


それが父の口癖でした。


父が私に厳しかったのは、祖母に虐待に近い教育を受けたからのようです。


そして父は祖母にやられたことを私にする……負の連鎖です。


私に子供が出来ても、八つ当たりのような教育はしたくありません。


私が家庭教師から厳しい教育を受けていた一方、妹のエマは午前中に基本的な教育を数時間受けるだけで済んでいました。


午前中に勉強を終えたエマは、午後は母やメイドと買い物に出かけて行きました。


エマには専属のメイドが十人もついていますが、私には一人もついていない。


だから身支度も自分でしなくてはいけません。


私は誕生日や女神の復活祭に、両親からプレゼントを一つ貰ったことがありません。


妹のエマは誕生日や女神の復活祭などに、高価な宝石の付いたアクセサリーを買って貰うのが当たり前でした。


それ以外の日にも、母と出かけ靴や小物を買って貰っていました。


私は祖母が生前着ていた普段着を直して着ています。


エマは流行のドレスを月に何着も買い与えられています。


私の部屋のクローゼットはスカスカですが、エマの部屋のクローゼットはドレスでパンパンです。


ある時父が「明日は家族で別荘に出かけよう」と言いました。


翌朝私がボストンバッグを持って玄関ホールに向かうと、

父に「なんでお前がいるんだ! お前は家で勉強していろ!」と真顔で言いました。


父にとって私は「家族」ではなかったのだと、その時痛感しました。


そんな家族の元で育ちましたが、幸いな事に肉体的な暴力を受けたことは一度もありません。


私が肉体的な暴力を受けなかった理由は一つ。


私がまだほんの幼かった頃に、今は亡き王太后様のご意向で、王太子殿下の婚約者に選ばれたからです。


祖母と王太后様は学生時代からの友人でした。


生前王太后様は王家に男の子が生まれ、公爵家に女の子が生まれたら、二人を結婚させようと、祖母と約束していたそうです。


その約束は祖母が死んでからも有効だったらしく、王太后様の独断で私と王太子殿下の婚約が決まりました。


私が両親から精神的な虐待を受ける理由も祖母。


両親から肉体的な虐待を受けない理由も祖母なのです。


なので私は会ったこともない祖母を恨んでいいのか、感謝していいのか分からなくなっています。


そんな家族の中でも、エマだけは私に優しくしてくれました。


エマは両親に叱責されている私を庇い、両親が私を食堂から締め出そうとしている時、「一緒に食事をしよう」と誘ってくれました。


エマがいるから、この家でやってこれたのです。

 

両親に可愛がられているエマには嫉妬することもあります。


それよりエマへの感謝の方が上回っています。


優しいエマには感謝してもしきれません。




☆☆☆☆☆




「アダリズ様、この学校行事の企画書、今日中に確認お願いしますね」

「アダリズ様、明日までにこの生徒総会の議事録に目を通しておいてください」

「アダリズ様、文化祭の予算のことなのですが、広報活動の費用も含めて再確認していただけますか?」


学園に行けば授業のあと生徒会の仕事が待っていました。


生徒会の役員たちが次々と仕事を持ってきます。


「書類は机に置いてください。

 文化祭の予算については来週の生徒会総会で決めます。

 なお、広報活動の費用も含めて再確認しておきますね」


生徒会会長は王太子殿下なのですが、彼は何かと理由をつけて生徒会を休みがちです。


王太子ともなると、他にも沢山やることがあるのです。


殿下の仕事は副会長であり、彼の婚約者でもある私がカバーしなくてはいけません。


私の机の上にあっという間に書類の山ができました。


「おい、この書類は会計の仕事だろ?

 なんでもかんでもアダリズ様に押し付けるなよ」


その時男子生徒の一人が机に置かれた書類の山を数十枚取り、書類をパラパラと捲り会計の生徒に突き返しました。


「これとこれは書紀の仕事!

 こっちは庶務の仕事!

 これは広報の仕事だ!

 自分の仕事は自分でやれ!

 間抜けな会長を見習って、手抜きをするな!」


彼は机の上に置かれた書類を、各役員に突き返していました。


「ヴィンセント様、そのくらい私がやりますから……」


「うるさい。

 あんたは、生徒会の仕事を終わらせて城で王太子妃の仕事と、王太子妃敎育を終わらせることでも考えてろ」


そう言ってヴィンセント様は、自分の机に戻っていきました。


彼の名前はヴィンセント・セレニア。セレニア王国の第二王子です。


王太子であるデレック様の弟で、私の未来の義理の弟になります。


ヴィンセント様の歳は私とデレック様の一つ下です。


彼は優しいデレック様と違ってぶっきらぼうな所がありますが、仕事は出来る人です。


「それからこれやるよ」


ヴィンセント様が紙袋を投げてきました。


「野菜入りクッキーだ。

 書類仕事は頭を使うんだからちゃんと糖分も補給しろよな」


彼は時々こうして、差し入れをくださいます。


ヴィンセント様は赤い短髪に、赤い瞳、長身で切れ長の目をしているので、周囲に怖い人だと誤解されがちです。


ヴィンセント様が眉間に皺を寄せて睨むと、周りからはさっと人がいなくなります。


でも私は知っています。彼は周囲への気遣いのできる優しい人だと。


「ヴィンセント様、ありがとうございます」


「ふん、健康管理も王太子の婚約者の仕事のうちだ。

 あんたがちゃんとしてれば俺がこんなもん送らなくて済むんだよ」


彼の言うとおりです。


家でも学校でもお城でも、ちゃんとした食事をしていませんでした。


もっとも家で私に出される食事は、使用人と同じものなのですが……。


それでもちゃんと食べて、周りに迷惑をかけないようにしなくてはいけません。


ヴィンセント様から頂いたクッキーを一口かじりました。


とても……苦かったです。


大切なのは味よりも栄養ですよね!


全部食べて、早急に仕事を終わらせなくては!


生徒会の仕事の後は、お城での仕事がまっているのですから。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「アダリズ様、この書類にも今日中に目を通してください。

 これは教会での慈善活動の予算についてです」


「博物館の文化遺産保護の予算についてなのですが、追加の資金が必要です」


「アダリズ様、次のパーティーの出席者リストです。

 パーティーまで時間がありませんが、当日までに招待客の名前、仕事、趣味、家族構成、過去の交流、特別な関心事、文化的背景、そして最近の出来事を完璧に暗記してください。

 くれぐれも王太子殿下に恥をかかせないようにお願いしますね」


「アダリズ様、王太子殿下の仕事が遅れておりますので、殿下の仕事もあなたが処理してください。

 特に、魔法の管理に関する部分が急務です」


王宮につくと、王太子妃としての仕事が次から次へと舞い込んできました。


それが終わらない内に、王太子殿下の仕事まで入ってきました。


今日は特に仕事が多いです。


今日中に家に帰れるでしょうか?


「わかりました。

 書類には順番に目を通しますので、机の上に置いてください」


「おいおい、ここでも生徒会と同じ轍を踏む気かよ?

 勘弁してくれよ、あんたマジでぶっ倒れるぜ」


「ヴィンセント様、なぜここに?」


「俺がいちゃ悪いか?

 城が俺の家なんだ。

 ここにいたって不思議はないだろ?」


「まぁ、そうなのですが」


私が尋ねたのは、なぜ彼が自分の部屋ではなく、王太子の婚約者の執務室にいるのかなのですが……。


「これとこれは兄貴の仕事だ。

 兄貴の執務室に持って帰れ。

 生徒会の仕事をサボったんだ。

 せめて王太子の仕事ぐらい真面目にやらせろ」


ヴィンセント様が王太子殿下の仕事関係の書類を、文官に突き返してました。


「それが……あいにく王太子殿下は別件で手が離せないようでして……」


「別件って何だ?

 昼寝とか、食べ歩きとか、狩りとか言わないよな?」


「いえ、王太子殿下は本日は真面目に勉強しております」


「兄貴が勉強ねぇ……?

 古代語の勉強か?

 それともヒュペルボレア語の勉強か?」


ヒュペルボレア国は友好国の一つなのですが、習得が難しいことで有名なのです。


「いえ、歴史の勉強です。

 学校で出された歴史の宿題が終わらないらしく。

 提出が明日なので、手が離せないそうです」


そう言えば一週間くらい前に、そんな宿題が出ましたね。


家でやっている時間がないので、お昼休みにちょちょいと終わらせたので忘れていました。


「だせぇ。

 王太子様なら学校のレポートぐらい、さくさく終わらせろよ。

 もういい、兄貴の仕事は俺がやる」


ヴィンセント様は、書類を手に応接用のソファーに腰掛けました。


「ヴィンセント様、よろしいのですか?」


「俺の心配は無用だ。

 学校の宿題も、自分の仕事も終わらせてから来てるからな」


ヴィンセント様は、要領がよく優秀な方なので、もうお自分のお仕事を終えたようです。


「では、王太子殿下のお仕事は第二王子殿下にお願いします」


文官が書類とペンとインクをヴィンセント様のいるテーブルの上に置きました。


頼もしい助っ人の登場に、実はだいぶ救われています。


「任せときな。

 これでアダリズ様は自分の仕事に集中できるな。

 アダリズ様はこのあと王太子妃教育もあるんだろ?」


「はい」


今日の王太子妃教育の担当は、教師の中でも一番厳しいエウリュディケ先生です。


気は重いですが、頑張らなくてはいけません。


ヴィンセント様が手伝ってくれたのもあって、なんとか王太子妃の仕事を終わらせることができました。


この後はエウリュディケ先生の厳しい王太子妃教育の時間です。


「ヴィンセント様、ありがとうございました。

 お陰で今日中に家に帰れそうです」


「気にすんな。

 元はと言えば兄貴の仕事だ」


それでも彼が手伝ってくれたことに変わりはありません。


「そうだこれ、糖分補給の飴……」


「アダリズすまない!

 明日提出のレポートがどうしても終わらなくて……!

 僕の仕事を押し付けてしまって、済まなかったね」


その時、王太子のデレック様が部屋に入ってきました。


王太子殿下は、空色の髪に、翡翠色の瞳の長身の青年です。


彼の顔は彫刻のように整っており、穏やかで優しい表情が私の心を和ませてくれます。


「王太子殿下、いえ私は何も。

 殿下の仕事はヴィンセント様がしてくださいましたから」


「ヴィンセントが?」


「あんたの仕事を代わりにやるのは何も王太子の仕事だけじゃないぜ。

 あんたが何かと理由を付けてはサボってる生徒会の仕事を、誰がやってると思ってるんだ?」


「王太子は忙しいんだから仕方ないだろ。

 生徒会の仕事ばかりにかまけてはいられないよ」


「そう思うならいっそ生徒会を辞めたらどうだい?

 生徒会役員の数には決まりがあるのに、会長のあんたがサボってるから、その分の仕事が他の役員に振り分けられてるんだよ。

 あんたが生徒会を辞めれば、役員の補充が出来てみんな助かるってもんだ」


「バカ言え、王太子が生徒会の仕事を辞められる訳ないだろ。

 そんな事をしたら格好が慝くて学校に行けないよ」


「あんたが格好をつけるために、生徒会役員は存在してるんじゃないんだぜ?」


「もういい。

 お前と話しても時間の無駄だ。

 それよりアダリズ、会いたかったよ。

 ちゃんとご飯食べてるかい?

 肌も髪もボロボロじゃないか?」


「そう思うなら、夜食の一つも差し入れするんだな」


「うるさい。

 お前には話しかけていない。

 仕事が終わったのならさっさと出ていけ!」


「王太子殿下を怒らせちまったようだ。

 ここいらで俺は退散するぜ」


ヴィンセント様は部屋を出る前に、私に紙袋を投げていきました。


「飴玉だ。

 糖分補給しろよ」


そう言って、ヴィンセント様は部屋をでていかれました。


「安物の飴だろ。

 こんなもの捨てていいよ」


王太子殿下は私から紙袋を取り上げるとゴミ箱に捨てました。


「何も捨てなくても……」


後で拾って頂きましょう。


食べ物に罪はありませんから。


それにヴィンセント様が私を気遣って差し入れしてくださったものですから、大切にしたいです。


「飴玉なんかより、君にはもっと素敵な物を贈るよ」


殿下はポケットから箱を取り出しました。


殿下が箱を開けると、中には翡翠のイヤリングが入っていました。


「まぁ……素敵」


ハート型の翡翠のイヤリングに私はうっとりとしてしまいました。


「僕の瞳の色のイヤリングだよ。

 君にプレゼントしたくて特注したんだ」


「本当ですか?

 嬉しい!」


「今度の夜会で、そのイヤリングを付けた君と踊れるのを楽しみにしてるよ。

 内緒にしてたけど、次の夜会で着る僕のジュストコールと、君のドレスのデザインをお揃いにしたんだよ」


「殿下とお揃いの服を着てパーティーで踊れるなんて……想像しただけで胸が高鳴ります」


それだけで、今までの苦労が報われます。


「でも、パーティーまでは周りには内緒だよ。

 家族にも秘密にしておいて、君に出来るかい?」


「もちろんですわ」


「じゃあこのイヤリングも家に持ち帰って、君の部屋の誰にも見つからない場所に隠して置いて。

 どこから秘密が漏れるか分からないからね」


「はい、そうします」


両親に見つかったら取られてしまうかもしれません。


秘密の場所に隠しておいた方が良いでしょう。


「愛してるアダリズ。

 美しく着飾った君をみんなに見せびらかせる日が待ち遠しいよ」


そう言って王太子殿下が私の頬にキスをしました。


「じゃあまた明日学校で」


殿下がウィンクをして部屋から出ていきました。


「また明日」


私はキスの余韻に浸りながら、彼を見送りました。


王太子殿下の唇が触れた頬が熱いです。


心臓がドキドキと音を鳴らしています。


王太子妃の教育も王太子妃の仕事も大変だけど、彼がいればちっとも辛くないわ。


王太子殿下が私を愛してくださっているから、どんな困難も乗り越えられます。


来年には私は学園を卒業します。


卒業すれば学校の授業と生徒会の仕事と宿題がなくなります。


卒業後はお城に住む予定なので、王宮と公爵家を馬車で往復しなくて済みます。


お城に住めば公爵家にいた時のように

使用人と同じ食事が提供されることもなくなるでしょう。


食生活が改善されれば、私の体調もよくなるでしょう。


王太子殿下と結婚すれば何もかもうまくいくはずです。


辛いのは今だけ、もう少しの辛抱です。


食事と言えば、ヴィンセント様から飴を頂いたのでした。


ゴミ箱から紙袋を取り出しました。


「ゴミ箱に捨てられても紙袋に入っていたから、大丈夫ですよね。

 いただきます」


私は紙袋から飴を一つ取り出し、口にいれました。


その瞬間、みかんの味が口の中に広がりました。


疲れた体に糖分が染みます。


ヴィンセント様は、口は悪いですがとても思いやりのある方です。


今日だけでも何度、彼に助けられたことか……。


仕事の要領もいいんですよね。


その上彼は、習得が難しい古代語やヒュペルボレア語にも精通しています。


古代語……?


何か忘れている気がします。


「いけない!

 エウリュディケ先生の王太子妃教育があるのを忘れてました!

 今日は古代語の授業です!」


王太子妃教育のある部屋に行くと、エウリュディケ先生が厳しい顔でまっていました。


「アダリズ様、お付きの物より王太子妃の仕事はだいぶ前に終わったと知らせを受けましたが、随分とここに来るのが遅かったですね」


「申し訳ありません」


「まぁいいでしょう。

 宿題に出した古代語の本三冊は読んで暗記してきましたね?」


「はい」


「王太子妃になるのですから、古代語の暗記ぐらい出来て当たり前ですよ。

 今日は古代語の他にヒュペルボレア語を教えます。

 ヒュペルボレア語は習得が難しいと言われていますが、法則さえ身に着けてしまえば……」


それから一時間、睡魔と戦いながら王太子妃教育を受けました。


そしてみっちり宿題を出されました。


宿題はヒュペルボレア語で書かれた小説の翻訳です。


王太子妃教育は大変ですが、王太子殿下の愛と、彼から贈られた翡翠のイヤリングがあれば乗り越えられます。






☆☆☆☆☆




次の日。


その日は生徒会の仕事が休みだったので、早くに王宮に来ることができました。


しかも今日は王太子妃としての仕事の量も少なく、仕事がさくさく終わりました。


昨日は仕事が多くて、家に帰れたのは深夜でしたが、今日は日のあるうちに帰れそうです。


こんな日もあるのですね。


エウリュディケ先生の王太子妃教育も今日はお休みですし、王宮の図書館に宿題のヒュペルボレア語の小説の翻訳に使う辞書を探しにいきましょう。


王宮の図書館は学校の図書館より、本が多いのです。


特に語学関係の本が充実しています。


図書館には窓から夕日が差し込んでいました。


人の気配はなく静まりかえっています。


ヒュペルボレア語の辞書は図書館の最奥にあるはずです。


私はまっすぐにヒュペルボレア語関係のコーナーへ向かいました。


小説を翻訳するなら、辞書の他にもヒュペルボレアの歴史書や観光ガイドブックがあった方がいいですよね。


そう思って本を選んでいたら、予想していたより時間がかかっていました。


「辞書、文法書、歴史書、観光ガイドブック……こんなものでいいかしら」


本を手に帰ろうとしたとき、図書室の奥から物音と人の話し声が聞こえてきました。


私の他にも人がいたのですね。


それに……この声、聞き覚えがあるような?


妙な胸騒ぎを感じたので、私は足音を消して、声のした方へ向かいました。


「そろそろ帰らないと」


「もう少しだけいいだろ?」


男女の姿を目視した私は、とっさに本棚の影に身を隠しました。


顔までは見えませんでしたが、二人は学園の制服を纏っていました。


王宮に学園の制服で出入りする人間は限られています。


王族か、王族の側近、王族の婚約者。


学園に通っている王族は、王太子のデレック様と、第二王子のヴィンセント様だけ。


ということは……まさか?


「これ以上は駄目ですよデレック様。

 人が来てしまいますわ」


「大丈夫だよエマ。

 こんな時間に図書館に来る人間はいないよ。

 だからもう一度キスさせて」


聞こえてきた言葉に私は耳を疑いました。


二人は「デレック」と「エマ」と呼び合っていました。


私は顔を確認したくて本棚の陰から身を乗り出しました。


青い髪のショートカットの長身の男性と、金色の髪の小柄な女性が抱き合って口づけを交わしているのが見えました。


二人に気付かれる前に本棚の影に身を隠しました。


王太子殿下……! エマ……!


本当にあなた達だったなんて……!


私のドクドクと心臓が嫌な音を立てています。


足に力が入りません。


涙が今にも瞳からこぼれ落ちてきそうです!


私の体は知らない間に震えていました。


私が仕事をしている間に二人が逢引していたなんて……!


そんなの耐えられないわ……!


私はその場から動くことができず、呆然と立ち尽くしていました。


「エマ、愛しているよ。

 君が僕の婚約者だったらどんなに良かったか」


「私も愛しているわデレック様。

 私もあなたの婚約者になりたかったわ」


「君は清楚な見た目で、性格もキュートだ。

 両親に愛されて育った君は自信に満ち溢れ、王太子妃に相応しい華やかさも持ち合わせている。

 なのにどうして僕の婚約者は、悪人顔で、愛想のない、頭でっかちなアダリズなんだろう!」


「先に生まれただけで、お姉様がデレック様の婚約者になるんて、世の中は不公平だわ」


「僕が物心がつく前に、勝手に婚約者を決めたお祖母様を恨むよ」


「今からでも婚約者をお姉様から私に変えられないの?」


「僕とアダリズの婚約は王太后だった祖母が結んだものだ。

 簡単に破棄できない」


「王太后様は亡くなっているんだし、デリック様のご両親は国王陛下と王妃殿下でしょう?

 二人にお願いすればどうにかなるのではなくて?」


「お祖母様が亡くなっているのが問題なんだよ。

 父も母も『王太后だった母の意向を汲みたい。亡き王太后様の意思を継いだ方が国民の受けも良い』とかなんとか言って、僕の意見を無視するんだ」


「生きてる人間より、死者の方が大事だなんて酷い話ね」


「本当にその通りだよ。

 その上、アダリズは頭が良くて仕事が出来る。

 だから両親は彼女を離したがらないのさ。

 アダリズと結婚するのは僕なのに……!

 仕事なんか側近にやらせておけばいいんだ!

 俺が妃に求めるのは仕事のスキルじゃない!

 可憐な見た目と、優しい言葉、それにスキンシップと愛情さ!」


「デレック様の言う通りだわ」


「婚約者は可愛くて素直な子がいい!

 つまり君さ、エマ!

 僕は結婚したら思う存分イチャイチャしたいんだ!

 アダリズにはそんな気は全く起きない!

 この前も彼女の頬にキスしたけど、それだけで鳥肌が立ってしまったよ!」


「デレック様、お姉様にキスしたの?

 私嫉妬してしまうわ」


「頰に軽くした軽くしただけさ。

 彼女に僕の思い通りに動いて貰う為にね」


「まぁ、それはどういうことですか?

 詳しく教えてください」


「僕の計画を知ったら君は腰を抜かすよ」


「どんな計画ですか?

 興味深いわ」


「でも、いいかい。

 これだけは約束してくれ。

 絶対に誰にも言わないと!」


「もちろんです」


「計画はこうさ、アダリズに横領の濡れ衣を着せ逮捕する。

 アダリズが逮捕されれば、僕との婚約は破棄される。

 そしてエマ、君を僕の婚約者にするのさ」


「まあ素敵な計画ね。

 でもお姉様に横領の罪を着せるなんて出来るの?」


「簡単さ、僕の罪を彼女に着せるだけだからね」


「ええ?

 デリック様、横領してたんですか?」


「エマ、君に大きな宝石のついたアクセサリーを沢山プレゼントしただろう? 

 あの宝石を買う金はどこから出たと思う?」


「さぁ?

 見当もつきませんわ」


「始めのうちは王太子の婚約者に当てる費用から出していたんだ。

 だがすぐに底を尽いてしまった。

 それで仕方なく国庫の金に手をつけたんだよ」


「そんなことして大丈夫なんですか?

 バレたら牢屋行きですよ?

 私、捕まるのは嫌だわ」


「心配ないよ。

 書類を改ざんしておいた。

 国庫の金を横領したのは全てアダリズということになっている」


「まぁ、それは本当なんですか?」


「ああ本当さ、もしかしてアダリズを嵌めた僕を恨んでる?

 君にとってアダリズは実の姉だから……」


「まさか!

 そんな気持ち一ミリも湧きませんわ!

 私は一年先に生まれただけで王太子の婚約者になったお姉様が大嫌いなんです!

 陛下や王妃様にちやほやされているのも気に入りません!

 毎日寝る前に神様に願っていました。

 お姉様を消してくださいって!

 両親に良く思われたくて、醜い姉にも優しく接する妹を演じて来たけどもう限界だわ。

 お姉様の悪人顔を見ているだけで、イライラしてくるんですもの」


「君も大変だな。

 でも君がアダリズを嫌いだとわかって安心したよ。

 エマに頼みがあるんだ。

 今夜の内に僕がエマに贈ったアクセサリーを、いくつかアダリズの部屋に隠してくれないか?」


「どうしてそんなことを?」


「横領の証拠だよ。

 家宅捜索したとき、証拠が出れば確実にアダリズを捕らえられる。

 アダリズには横領した金で買った翡翠のイヤリングを贈ったんだ。

 みんなを驚かせたいから夜会の日まで部屋に隠しておくように言ってね。

 愚かなアダリズは僕の言葉を信じていたよ。

 そのイヤリングが自分を破滅させるとも知らずにね。

 彼女を信じさせる為に頬にキスまでした甲斐があったよ。

 まあ、翡翠のイヤリングだけでも証拠にはなるが、もう少し物的証拠があった方が良い。

 だから君に贈った宝石をいくつか彼女の部屋に隠してほしいんだ」


「それは構わないわ。

 でも、お姉様の部屋に隠した宝石は取られてしまうの?」


「心配しないで、僕が国王になったらもっと高価な宝石を買ってあげるから」


「なら協力するわ。

 お姉様の部屋に入り込むなんて簡単よ。

 お姉様はどうせ今日も帰りが遅いのでしょうし。

 お姉様がいない間に、横領の証拠の宝石をお姉様の部屋に隠しておくわ」


「頼んだよ、君にしか出来ないことだ」


「任せてください。

 家宅捜索はいつ行われるのですか?

 私の部屋も調べられるのかしら?

 知らない人が私の部屋に入ってくるなんて、何だか怖いわ」


「家宅捜索は明日する予定だよ。

 でも心配しないで、捜索の指揮を取るのは僕だから。

 部下に君の部屋を調べさせたりしないよ。

 仮に命令を無視した兵士が、君の部屋を捜索し、君の部屋から宝石を見つけたとしても、

 アダリズがエマに罪を着せようとして君の部屋に隠したって誤魔化すさ」


「デレック様、本当に頼もしいわ」


「アダリズはきっと国庫の金を横領した罪で死刑になるだろう。

 邪魔な婚約者を排除できた上に僕は手柄を立てられる。

 その上愛するエマを次の婚約者に指名できる!

 完璧な計画だ!」


「デレック様、その話は本当ですか?

 本当に私をデレック様の次の婚約者に指名してくださるのですか?」


「当然だろ!

 僕はエマを愛しているんだから!

 それに王家はボーゲン公爵家と縁を結びたがっている。

 両親も、君を次の婚約者にすることを反対しないさ」


「ふふ、もうすぐ全てが手に入るのね。

 お姉様は処刑され、私はデレック様の婚約者になれる。

 その日が来るのが待ち遠しいわ」


「僕もだよ」


「デレック様……!」

 

「愛しているよエマ……!」


二人の会話が聞こえなくなったので、本棚の影から覗くと、二人は抱き合って、口付けを交わしていました。


数分後、二人は本棚の影に隠れている私に気づくことなく図書館を出ていきました。


日はとっくに落ち、窓の外は真っ暗でした。


私の真っ黒な髪でよかったです。


闇と同化できて、二人の視界に入らないから……。




◇◇◇◇◇◇




二人が図書室の扉を閉める音を確認し、力が抜け私はその場に崩れ落ちました。


抑えていた涙がポロポロと目からこぼれてきます。


「王太子殿下が私を破滅させる計画を立てていたなんて……!

 エマもその計画に賛同していたなんて……!

 あんまりよ……あんまりだわ……!

 私は二人を信じていたのに……!!」


王太子殿下の親切も、エマの優しさも全部嘘だったなんて……!


私の中で信頼していたものがボロボロと崩れていきました。


王太子殿下の甘い言葉を、愛情だと信じていたなんて……私はなんて間抜けなのでしょう!


エマが私を気遣って両親から守ってくれる度、感謝していたのに……彼女は私を蔑んでいたなんて……!


自分の愚かさを最悪な形で突きつけられ……悔しくて、悲しくて、私はどうにかなってしまいそうでした。


その時、私の膝の上に紙袋が飛んできました。


紙袋を開けると中には飴玉が入っていました。


「泣いた後はちゃんと、糖分補給しろよ」


「あなたは……?」


月明かりを背に男性が立っていました。


暗くて顔は見えませんが、この声には聞き覚えがあります。


「俺は……正義の味方さ」


「正義の……味方?」


「アホ共が計画を実行するまでにあと数時間ある」


この方の言うアホ共とは、王太子殿下とエマのことでしょうか?


「奴らの計画を逆手に取って、奴らを破滅させたいとは思わないか?」


私は彼の誘いに「はい」と答えていました。





 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






王太子殿下とエマの作戦はザルでした。


王太子殿下が改ざんした書類で、私が国庫のお金を横領したり、宝石店に買い物に行ったとされた日、私には生徒会の仕事や王太子妃教育があり、完璧なアリバイがあったのです。


私は第二王子のヴィンセント様と協力し、王太子の不正を暴きました。


その結果、デリック様は王位継承権を剥奪され幽閉処分。


エマもデリック様に協力した罪で、公爵令嬢の身分を剥奪され修道院に送られました。


両親は私を虐待していた罪に問われ、爵位を親戚に譲り隠居することになりました。









事件が解決したあと、私はヴィンセント様に王宮のガゼボに呼び出されました。


ガゼボにはティーセットが用意されていました。


メイドにお茶を入れさせると、ヴィンセント様は人払いをしました。


人には聞かせたくない話のようです。


「今回のことは大変だったな」


「いえ、ヴィンセント様のお陰で助かりました」


「俺は大したことはしてない。

 俺が何もしなくてもいずれ君の無実は証明されたさ。

 なんせ兄貴の計画はザルだったからな」

 

「そうかもしれません。

 でもその時はきっと、私は身も心もボロボロになっていたと思います」


婚約者と妹に裏切られ、冤罪で逮捕され、牢屋に入れられ、取り調べを受ける……無実が証明される頃には、身も心もズタズタになっていた事でしょう。


「そうか君の力になれたのならよかった」


「ええ、ヴィンセント様にはとても感謝しています」


ヴィンセント様がお力を貸してくださらなかったら、私は二度と笑えなくなるほど、壊れてしまっていたと思います。


「それから祖母がすまなかった。

 王太后だった祖母が、幼い兄貴と君を婚約させなければ、こんなことにはならなかったかもしれない」


「王太后様にもお考えがあっての事だったのでしょう。

 責めるつもりはありません。

 それに王太后様は亡き祖母との約束を果たしただけです。

 私は実家では精神的な虐待は受けましたが、暴力を振るわれる事はありませんでした。

 それは私が王太子殿下の婚約者だったからです。

 だから王太后様には感謝しているのですよ」


「そう言って貰えると心が楽になるよ。

 これは父から聞いた話だが、祖母は、自分の死んだあとの事を心配していたらしい。

 祖母が亡くなる少し前、父は病気を患っていたからな。

 国民が動揺するといけないから、周りには病のことは伏せていたけど」 


「そんなことが……。

 陛下の体調はもう大丈夫なのですか?」


「今は完治してるから心配ない」


「それを聞いて安堵しました」


「祖母は病気がちな息子と、幼い孫を残して死ぬことに不安を覚えていたらしい。

 自分が死んだあと、後を追うように息子が亡くなったら、幼い孫達はどうなるのだろうかと?

 幼い王子を祭り上げ国を牛耳ろうとする輩は大勢いる。

 下手をすれば第一王子派と、第二王子派に別れて、国を二分する争いになりかねない」


亡き王太后様が国の未来を憂う気持ちもわかります。


過去にそういう争いで滅びていった国は多いですから。


「だから祖母は第一王子を立太子させ、婚約者にボーゲン公爵家の君を指名したんだ。

 そして第二王子の俺には、兄貴が結婚して世継ぎを残すまで、婚約者を作ってはいけないと制約を課した。

 こうして祖母は第一王子の地位を盤石にし、第二王子の俺に婚約者を作らせないことで、国が二分される最悪の未来を回避したのさ」


「そんな事情があったのですね」


「祖母は君のお祖母様を信頼していた。 

 だからその息子なら孫の後見人を任せられると思ったんだろう。

 その孫娘も、自分の孫を支えてくれると期待した。

 息子の方は期待外れだったが、孫娘は期待通り、いや期待以上の働きをしてくれた。

 問題は祖母が王太子に指名した兄貴がポンコツで、君の価値に気付かない大馬鹿だったってことだ」


王太后様が幼いデレック様を立太子させたことで、国を二分する争いは避けられました。


ですがデレック様が立太子する歳が幼すぎました。


王太后様でも、デレック様の才能や能力の成長具合までは予想できなかったようです。


「祖母の死後、父は全快し、最悪の事態は免れた。

 結局、祖母の空回りだったわけさ」


「王太后様はそれだけ、国のことを案じていたと言うことです」


「君には迷惑をかける結果になった」


「いいえ。

 先ほども話しましたが王太子と婚約したことで、家族から肉体的な虐待はされずにすみました。

 両親はとかく祖母に似た顔立ちの私の事を嫌っていましたから」


「君の両親にとって、君のお祖母様は恐い人だったのかもしれない。

 だけどこれだけは覚えておいてほしい。 

 君のお祖母様はそりゃあ厳しい人だったらしいが、決して悪い人ではなかったということを」


「それはいったいどういうことでしょう?」


「俺も君のお祖母様については、人から聞いた話しか知らない。

 だが王宮には君のお祖母様に感謝している人が沢山いる。

 君のお祖母様にマナーを指導されたお陰で、嫁ぎ先で恥をかかずにすんだ文官とか。

 女侯爵だった君のお祖母様に勇気を貰って、女だからと卑下するのをやめ、勉強に励み教育係にまで上り詰めた女性とか……。

 年配の文官の中には君のお祖母様に感謝している人が大勢いるのさ。

 今までは君の両親である、前公爵夫妻が怖くて言えなかったらしいがね」


「そうだったのですね」


お祖母様は厳しいだけで、父や母が言うような悪い人ではなかったようです。


「ヒュペルボレア語を教えてるエウリュディケ先生だってその一人さ」


「エウリュディケ先生が?」


「エウリュディケ先生はだから君に期待してた。

 彼女は君が横領の疑いをかけられたと知った時、真っ先にこう言ったんだぜ。

 『アダリズ様に限ってそんなことするはずない!』ってな」


「エウリュディケ先生……」


「俺の両親だって、君を一ミリも疑っていなかった」


「陛下、王妃殿下……」


デレック様と婚約していたとき、私はとても視野が狭かったようです。


私を信頼してくれていた人は沢山いたのに、それに気づかなかったなんて。


彼らの思いを知って、今とても胸の奥が熱いです。


「でもヴィンセント様も大変でしたね。

 デレック様が結婚して、世継ぎが生まれるまで、結婚はおろか婚約者も作ることが出来ない制約を課せられていたなんて」


デレック様が廃太子されなければ、ヴィンセント様の結婚はかなり遅くなっていたことでしょう。


「実はそのことでは祖母に感謝してる。

 好きな人がいるのに、他の女と婚約するなんて真っ平だったからさ」


ヴィンセント様には心に決めた方がいるようです。


ヴィンセント様は気遣いの出来るお方です。


彼に思われているご令嬢は仕合わせでしょう。


「聞いてもよろしいですか?

 その方はどこのご令嬢だったのですか?」

 

「君だよ」

 

「えっ……?」


「俺は兄貴のように歯の浮くような甘い言葉は言えないし、女の子が好む物をプレゼントも出来ない。

 でも君を支えることは出来る。

 君の傍にいさせてほしい」


ヴィンセント様が私の目を真っ直ぐに見て、そう言いました。


彼の赤い瞳は真剣そのものでした。


「私はあなたに恋愛感情を抱いたことがありません。

 子供の頃からずっとデレック様をお慕いしていましたから……」


「知ってる。

 君のことをずっと見てたからな。

 今でも兄貴のことが好きなのか?」


「それはありません。

 彼が私を利用するだけ利用して、冤罪をかけて殺そうとしていると知ったとき、彼への恋心は消えました。

 でも簡単に次の人を好きになれそうにないんです。

 デレック様は私の初恋でした……。

 皆が冷たくする中、デレック様だけは私に優しくしてくださいました。

 デレック様が私に優しくしたのは、私を愛したからではなく、私を利用し、仕事を押し付ける為だったのに……。

 そんなことにも気付けないなんて、私って愚かですよね」


「君は愚かなんかじゃないさ。

 兄貴がとんでもない悪党だっただけさ。

 俺のことを好きにならなくてもいい。

 俺のことを利用するつもりで婚約してくれないか」


「ヴィンセント様を利用ですか?」


「兄貴の有責での婚約破棄だが、王太子の婚約者でなくなった君に突っかかってくる奴もいるだろう。

 君に突っかかってくる奴は、優秀な君に劣等感を抱いている愚か者ばかりさ。

 だが俺は、そんなアホ共に君が傷つけられる所を見たくない。

 だから俺を風除けに使ってくれ。

 これでも第二王子だから、君を誹謗中傷から守ることぐらいできる」


「ヴィンセント様がそんなことをするメリットはあるのですか?」


第二王子のヴィンセント様と結婚したい令嬢は沢山いるでしょう。


彼はなぜ私に執着しているのでしょうか?


「君を愛してる。

 子供の頃からずっと君を見ていた。

 君は子供の頃から努力家で、どんなに王太子妃教育が辛くても逃げ出したりしなかった。

 そんなひたむきな君に俺は惚れたんだ」


私のあの頃の努力を、認めていてくださる方がいたのですね。


「だけど君は兄貴の婚約者だった。

 兄貴が君を大切にしてるなら諦めようと思った。

 だが、兄貴は甘い言葉を囁いてキミを利用するだけで、全く大切にしてなかった。

 兄貴から君を奪ってやりたいと思った事も一度や二度じゃない。

 だが、君と兄貴の婚約は亡き王太后様が決めたことだ。

 簡単には壊せない。

 だから俺は決めたんだ。

 せめて君の傍にいて、君の事を守りたいと。

 それが理由じゃだめか?」


「そんなに昔からヴィンセント様に思われていたなんて知りませんでした」


私は本当に愚かです。


誰が味方で、誰が敵かもわからず、甘い言葉を囁くだけのデレック様に恋していたのですから。


本当に私の事を思っていてくれた人がこんなに近くにいたのに。


「ヴィンセント様は、思いやりが深く親切な方なのですね」


「そんな言い方はよしてくれ。

 俺は聖人君子じゃないさ。

 正直に言うと、少しは下心もある。

 君を他の男に取られたくないとか。

 結婚したら、いつか君が俺の事を好きになってくれるんじゃないかとか……。

 そんな打算づくめな男さ」


「本当に打算や計算で動いている人は、そんな事は言いませんよ」


両親に愛情を向けられず、信頼していた元婚約者のデレック様と、妹のエマに裏切られ、もう誰も信じられないと思っていました。


……ですが、ヴィンセント様のことなら信頼していいかもしれません。


「至らぬ所もありますが、私で良ければよろしくお願いします」


ヴィンセント様となら、信頼しあえる良きパートナーになれると思うんです。


「本当か!?

 俺と結婚してくれるのか?!

 後で取り消すとかなしだぜ!」


「取り消したりしませんよ」


「やった!!

 ありがとうアダリズ!

 愛してる!

 一生をかけて君を守ると誓うよ!!」


ヴィンセント様に抱きしめられました。


「すまない、興奮してつい。

 次からは君の許可なく、君の体に触れたりしないよ。

 君が俺に心を許してくれるのを待つつもりだ。

 君に愛されたいとか、そんな高望みはしない。

 君に信頼される良きパートナーになりたいって思ってる」


「信頼ならもうしてます」


今すぐには無理ですが、そう遠くない未来、私はヴィンセント様にきっと恋をすると思います。


「それってどういう……?」


「今は詳しくは言えません。

 ですが少し時間をください」


「十年以上君を思っていたんだ。

 いくらだって待つよ」


そう言ってはにかんだヴィンセント様は、眉間にシワを寄せ生徒に恐がられていた頃の面影はなく、年相応の男の子に見えてとても可愛かったです。









私はボーゲン公爵家と縁を切り、他家と養子縁組したあと、ヴィンセント様と婚約しました。


それからしばらくして、ヴィンセント様は立太子して王太子になりました。


ヴィンセント様は本当に頼もしいパートナーでした。


彼と婚約してから、あれほど忙殺されていた仕事がぐっと減りました。


今までは元王太子のデレック様が無能だった分、彼の仕事が私の所に回ってきていたようです。


デレック様から回ってきた仕事の量が、私の想像以上に多かったようです。


ヴィンセント様は、デレック様と違って優秀なので、私の仕事が少なくて済みます。


ヴィンセント様への信頼はいつしか愛情に代わり……彼と結婚する頃には、私は彼のことが大好きになっていました。


今まではずっと不幸でしたが、これからはヴィンセント様に愛されて幸せに生きていきます。




――終わり――




読んで下さりありがとうございます。

少しでも面白いと思っていただけたら、広告の下にある【☆☆☆☆☆】で評価してもらえると嬉しいです。執筆の励みになります。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


新作投稿しました!

こちらもよろしくお願いします!

「卒業パーティーで王太子から婚約破棄された公爵令嬢、親友のトカゲを連れて旅に出る〜私が国を出たあと井戸も湖も枯れたそうですが知りません」連載版

https://ncode.syosetu.com/n5735kh/ #narou #narouN5735KH



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
面白かったです 親にやられた恨みを子を虐待することで晴らそうとした父と養子が気に入らないという理由で平気で虐待をする母は最低だと思うし反省してなさそうだなと感じる
[気になる点] いやあ、許されてる風だけど孫が憎まれるくらいやりすぎな教育やってる婆様もあの世で反省しなきゃダメだろ。やったことは許されないとはいえ両親も不幸と言えるし、別世界線じゃ家族を殺す域に行っ…
2024/07/21 13:18 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ