第一章 幼馴染の行方 其の伍 市民会館
九月二十四日 AM 11:35 旭日市内
あの恐るべき夜の翌日、僕らは市民会館へと向かいながら調べたことを伝え合っていた。
「うう、眠い……。全然眠れなかった……」
野崎さんが少しぼうっとしながら言う。
逆に大岩君は全然元気そうだ。
「そうですか、私はぐっすりでしたよ。まぁ三時間ちょっとしか寝てませんが」
ショートスリーパーめ。
「まぁ兎も角、一旦調べた事を言わない?」
野崎さんに言われ、先ずは僕から分かった事を話す。
「そうだね、僕が調べたのはあの半魚人? みたいな奴についてだ。結果から言うと何も分からない事が分かった」
「……何を言ってるの? 大丈夫?」
野崎さんが胡乱げな目を向けてくる。
むぅ、そんな目で見なくても……。
「もう少し詳しく言うね。とりあえず僕は生物学的な観点からあの半魚人? みたいなのについて調べてみた。具体的には魚に近い見た目を持つ霊長目の生物を調べたんだ」
「でも見つからなかった、と」
「うん、そんな生き物は存在しなかったんだ。そもそも霊長目の生物で魚に近い特徴を持つ生物は存在しない。しかも知っての通り現状地球に現存する霊長目ヒト属の生物は僕達、ホモ・サピエンスだけだ。だから既に滅亡した人種の中にそれに類するものがいるのかも調べてみた。けど、これも該当する種は無かったよ。だから何も分からない事が分かったって結末になる」
僕の説明を聞いて野崎さんは合点がいった様に頷くが、逆に大岩君は奥歯にものが挟まったような物言いをする。
「ふむ、確かに生物学的な視点からだと見つからないかもしれませんね」
「その言い方だと大岩君は何か分かったの?」
僕の問いに大岩君は大きく頷く。
「ええ、勿論です。私はかの半魚人について神話や伝承の観点から調べてみました。すると幾つか面白いものが見つかったんです。一つ目は旧約聖書の中でパレスチナのペリシテ人が信仰していたとされるダゴンという神です。ですがこれはヒエロニムスという人の誤訳が元になっているのであまり関係ないでしょう。寧ろこのダゴンと後に同一視されたアプカルルの方が可能性としては高いです。こちらは賢神エアより遣わされた古代の賢人で人類に知恵を授けた存在だそうです。後は紀元前三世紀にパビロニアで書かれたパビロニア誌に出てくるオアンネスというのも居ます。ただこのオアンネスの場合夜は海中にいるとされているのでこれも可能性は低いでしょう」
「じゃああの化物は一体なんなの?」
痺れを切らした様に野崎さんが催促する。
「アメリカの町、インスマスに伝わる伝承に面白いものがありました。名前は『深きもの』。海に住む頭部が魚の怪物で背中から首にかけて背鰭の様なものが見られるそうです。また、一説にはこの怪物が現れる時、磯の香りが漂うそうです」
「それって……」
思わず呟く僕に大岩君は頷く。
「ええ、恐らく我々が昨晩見た怪物はこの『深きもの』でしょう。まぁ勿論パビロニアの善なる守護精霊、アプカルルの可能性もありますが」
「……あれが善なる守護霊だとは到底思えないな。寧ろ邪悪な使者って言う方がしっくりくるわ」
野崎さんの言葉に僕も賛成だ。
「確かにそうですね。ところで、野崎女史は何を調べたんです?」
「わたしは『教団』について調べたよ。多分二人はあの怪物について調べるだろうなって思ったし。それにあんな化物思い出したくも無かったもん」
首を振りながら野崎さんは言う。
そりゃあそうか。普通あんなのを見た直後にそれについて調べようとはあまりしないよね。まぁ僕はちょっとあの半魚人の分類が気になって調べちゃったけど……。
「それでわたしが調べられたのは『教団』が定期的に集会をやっているって事だよ。数日前にパンフレットを見たなぁと思って、昨日家中探したの。でも教会とかは見つからなかったわ。それと、今言ったパンフレットがこれね」
そう言って野崎さんは鞄の中から一枚のチラシを取り出す。
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共に神に祈りましょう
偉大なる主が目醒めようとしています。終末の時までに人類は神に忠誠を誓わなければなりません。さもなくば阿鼻叫喚の中で滅亡することになります。しかし偉大なる主は寛大です。もし貴方達が忠誠を誓うならば、主は貴方達を赦し、その偉大な力の一端を我らに分け与えてくださるばかりか、素晴らしい恩恵すらも与えて下さるでしょう。さぁ共に偉大なる主に崇高なる祈りを捧げましょう。
九月二四日 市民会館でお待ちしております。
教団
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「九月二四日って今日じゃないですか!?」
大岩君が驚く。
「そうだよ。だから今市民会館に向かってるの。『教団』の集会に乗り込むためにね」
えっ? 聞いてないんだけど?
僕と大岩君は顔を見合わせてポカンとする。
そんな様子を見てか、野崎さんが慌てる。
「あ、あれ? わたし言わなかったっけ?」
「何も聞いてないですねぇ。会ってすぐにとりあえず今日は市民会館へ行くよ、としか」
「うん、何も言って無かったね。寝不足の弊害が出てるんじゃない? 大丈夫?」
申し訳なさそうに野崎さんが肩を落とす。
「……ごめんね。すっかり忘れてたみたい。本当にごめんなさい」
「まぁ別にいいよ〜。ちょっと吃驚しただけだし」
「まぁ構いませんよ。特段問題はないですし。それより集会について教えて下さい」
「分かった。此処にある通り、集会は『教団』が定期的に開催してる祈りの儀式らしいの。多分主な目的は新しい信者の獲得と集金かな。この集会では『これから主を信奉しようという前途ある者の道を阻まぬ為に」新しい信者だけが呼ばれるらしいわ」
間髪入れずに大岩君が述べる。
「まぁどうせ多分サクラは一定数いるんでしょうけどね」
まぁこの手の怪しい宗教団体にサクラはつきものだしね。
「後は最後に個別面談と神へのお布施と称したお金集めをやるらしいよ」
「集金ですか……。私、そんなにお金は持ってきてないですよ?」
「大丈夫、『教団』曰くあくまでも任意のものらしいから」
うーん、それ本当に任意なんだろうか。まぁ最悪五円玉を渡せばいいか。ご縁がありますようにって意味ですとでも言えばいいでしょ。
「本当に大丈夫ですかねぇ」
「大丈夫だと思うよ? ……多分。きっと」
疑う僕らに野崎さんも少し不安になってきたらしい。不安だなぁ。
「ま、まぁ兎に角、一旦行ってみようよ」
そう言って野崎さんは指を指す。
どうやらしゃべっている内に市民会館が見えてきたみたい。近くには多数のビラを配っている白装束の人達がいた。
「よし、市民会館へレッツラゴー!」
掛け声と共に僕は大きく一歩踏み出す。
が、続く野崎さんの言葉にその勢いが削がれた。
「もうそれだいぶ古い気がするなぁ。それ」
え? そうなの?
なんだか締まらない感じで僕らは市民会館の中へと入るのだった。
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九月二十四日 PM 4:30 市民会館
「……こうして、偉大なる主は地球へと降り立ち……」
……うーん、眠い。いや何しろもう一時間以上も『教団』の人が主の偉大さについてとかなんとか話しているんだもん。その上この前には教団の始まりの由来について滔々と語り続けてたんだもの、仕方ないね。
横を見れば野崎さんも船を漕いでいる。というかそこら中にうつらうつらしている人がいる。まだ起きているのは熱心に聞いている何人かと後は大岩君ぐらいなものだ。
「……主は蒙昧なる我等人類に真なる神はなんたるかをお教えになりました。初めは愚かさ故理解できなかった人々も、その神々しい御姿を見れば皆直ちに正しき教えを理解し、主に忠誠を誓う様になりました。しかし……」
なんとか目が覚めたと思ったけど、また欠伸が出てきた。駄目だ。僕も最初は少しでも矛盾してるところを探してやろうと思ったんだけど、それどころじゃない。なんだか聞いてる内によく分からなくなってくるし、それ以上に眠くなる。あまりにも話が長すぎるんだよ。
そうこう思ってる内に教団の人の言葉遣いがなんか凄い仰々しいものになってる。
クライマックスなのかな?
それならやっとこの苦痛から解放されるのか。
「……そして主は永い眠りにつかれたのです。しかし今、主は目醒めようとしています。そして我等は今一度、主へとその忠誠を証明しなければなりません。なればこそ……」
まだあるのか……。そんな事を思いながら、またうとうとしていると、漸く『ありがたいお話』とやらが終わった。全然ありがたくなかったけど。
とりあえず隣で熟睡している野崎さんを小突いて起こすと、彼女は目を擦りながら答える。
「うーんもうちょっと……。ってお話は終わったの?」
「ええ、丁度今ですが。どうやらこれから祈りの儀式とやらの実践だそうです」
「漸くだね。でもなんかもう面倒臭くなってきたかも」
僕の言葉に大岩君が反応する。
「まぁまぁ、寝起きの運動だと思えばいいじゃないですか。どうせ貴方も寝てたんでしょう?」
そう言って大岩君は此方にも視線を送ってくる。
うぐ、バレてたか……。
「さ、さあどうだろうね? でもまぁ偶には運動もいいかもしれないね、うん」
誤魔化す様に僕が言うと大岩君に白い目を向けられた。
「では皆さん、前のお手本を真似しつつ主への祈りを捧げて下さい」
こうかな? 中々難しいな。四苦八苦しながらもなんとか体勢を作ると頑張って祈りを捧げている振りをする。振りだけ。
やっぱりT2ファージ可愛いよなぁ。あのロングテールファイバーが特にいいよね。勿論スパイクタンパク質の方が素敵という意見も認めようじゃないか。
「ニヤニヤしすぎ、ちょっと気持ち悪いよ?」
今度は僕が野崎さんに小突かれた。
おかしいな、僕そんなにニヤニヤしてたかな?
文句を言おうと口を開くと隣の眉を顰めるのが見えた。流石にこれ以上煩くするのは不味いかな。とは言えああ言われた以上、別の事を考えないとなぁ……。
よし、適当に思いついた二進数の数字を素因数分解する遊びでもするか。
1111100111 = 11*11*11*100101
11011101000 = 1*1*1*1011*10001
そうこうしている内に祈りの時間が終わる。
「全く、二人共もう少しぐらい集中する振りをしては如何です?」
やれやれと言った風に大岩君が話しかけてくる。
「うぐぐ、そうかな? 最初は兎も角、その後は割と普通だったと思うけど」
「あれで普通ですか……。ちょっと理解し難いですね……」
「そうだね。最初に比べればまだマシだったけど、0101って隣から聞こえてきた時は結構怖かったよ」
野崎さんも大岩君に同意する。
そんな風に僕らが戯れていると、後ろから声をかけられる。
「どうでしたかな? 我々、『教団』の集会は」
そこにはこの前会った白装束の男がいた。
……いやまぁ此処にいる人は殆どが白装束なんだけども。男は更に続ける。
「前回はお話させて頂けず残念でしたが、いや、まさかこの様な形で再開できるとは。主の導きとは数奇なものですね。ああ、そうだ、こんなところで立ち話もなんです。面談室へ如何です?」
そう言って返答する間もなく、眼前の男は僕らを隣の部屋に案内する。
前回逃げちゃったのもあるし、断るのもちょっと気まずいな……。
「ええと、前回は逃げてしまって申し訳なかったです。いかんせん何も知らなかったものでして」
とりあえず謝ってみると、男は苦笑しながら答える。
「そうだったのですか。いえ、まぁこの国では仕方のない側面もあるのでしょうね。某オウムの例もありますし、警戒心も持つのも当然なのでしょうね。とは言え、その様な偏見を乗り越え、『教団』の集会へと来られたあなた方の英断を、我々は尊敬しますよ」
「あ、ありがとうございます」
「ですが、どうして此処へ来られたのですか? 宗教団体への偏見は中々根強いものと認識しておりますが……」
男は柔和な顔のまま、僕らに問うた。
うーむ、なんて答えるべきかな? 失踪事件との関連を疑ってるとは言いづらいし……。
そんな風に悩んでいると大岩君が答えてくれる。
「実は、此処にいる野崎さんがチラシを見つけまして、それで折角だからあの宗教団体は何をしているのか見てみようという風な話になった訳です。ところで、何故我々を此処に案内したのですか?」
上手に大岩君が切り返す。
「成程、そう言う事だったのですね。それで質問に関してですが、ズバリあなた方に見所があると思ったからです。もし宜しければ『教団』の教会に来られませんか?」
これは……望外の成果と、取るべきか、はたまた罠と取るべきか、悩ましいな。
「少し驚いている様ですね。無理もありません。『教団』は見所のある信者か幹部にしか教会の場所を明かしていませんから」
男はそう言うと懐から紙とペンを取り出し、教会のと思われる住所を書き出していく。
「暇な時に尋ねてみて下さい。『主の恩寵があらんことを』と言えば歓迎される筈ですよ。それでは、また。主の導きがあらんことを」
僕らが部屋を出る時、男が祝詞と共に印を切ったのが見えた。
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九月二十四日 PM 4:50旭日市内
僕らが市民会館を出ると、ほんのりと磯の香りがした。あの時の恐怖が蘇り、背筋を冷や汗が這う。
もう日が傾いていた。
こ、この臭いはきっと、単なる気の所為だよね。
僕は自らにそう思い込ませる。……ふぅ、もう大丈夫。
「どうしたの? なんか顔が険しいよ?」
顔色の悪い野崎さんが努めて明るく聞く。
「……市民会館を出た時、仄かに磯の香りがしたんです。あの時と同じ」
……信じたくない。でもそれは多分、紛うとこなき事実だ。だから、認めよう。
「やっぱり、あの怪物は『教団』と何らかの関係があるんだろうね」
僕の言葉に大岩君が力強く続ける。
「だからこそ、急いで調べないといけませんね。高田君の為にも」
そうして僕らは頷き合うと、教会へ行く日程を決める。
「明日の午後一時、喫茶店前で集合した後、教会へ行こう。村井君も、時間厳守だよ?」
うっ、偶にやらかすから反論できない……。
「じゃ、じゃあそろそろ、これで」
僕がそう言い、そそくさと帰ろうとすると後ろから野崎さんと大岩君の声が聞こえてきた。
「逃げましたね」
「うん、逃げたね」
うぐぐ……。
いや、もっと僕は建設的な事を考えるんだ! 余計な心配はすべきじゃない! ……いやまぁそんなだから遅刻するんだろうけども。とはいえ明日の事を考えない訳にはいかないよね。
そう自分の中で一通り言い訳した後、僕は明日の持ち物を考える。
とりあえず、おやつは三百円分か。メモ帳と筆記具もいるかな。あとは護身用の道具も必要かもな。でも何を持っていくべきか……。
よし、とりあえずこんな時は、科学部の白瀬さんにでも電話するか。実験中じゃなければ良いんだけど。
早速電話をかけると、すぐに白瀬さんが出る。
「もしもし、白瀬さん? 今暇?」
「うんー、ちょうどエアガンの改良が終わったところだから暇だよー。何かあったのー?
「ちょっと護身用のものが欲しくてさ。できれば殺傷力がないやつで」
「殺傷力がないやつかー。あんまりつくってないんだよねー。とりあえず適当に見繕ってわたすねー」
やっぱり殺傷力あるやつばっかり作ってるのか……。
「ありがとう、明日の十二時半にいつもの喫茶店にお願いしていい?」
「わかったー。まかせてー。それじゃあまたあしたー」
電話を終えた僕が、スマホを鞄にしまおうとした時、突如として強い磯の香りがした。
咄嗟に僕は、あたりを見渡そうとするが、それも叶わなかった。
突如として、形容し難いほどの激痛が全身に走ったからだ。
痛い。小学生の時に蜂の巣をつついてめちゃくちゃ刺された時が、比にならないくらい痛い。
痛みのせいか、周りの動きがスローで見える。
どうやら激しい痛みは、かえって思考を早めるらしい。何かの本で読んだそれをまさか実際に確かめられるとは。全くもって嬉しくない。
そんなどうでもいい思考のお陰で、僕は少し冷静にはなれた。激しい痛みの中で、僕の両目は『教団』の白装束と、半魚人の姿を捉える。
やっぱりか、という思いと失敗したなぁという後悔が浮かぶ。
体がバラバラになるかと思うほどの激しい痛みで、最早動くことさえ出来そうにない。それどころか立つことすらままならず、倒れてしまう。
視界が暗くなっていく中、最後に僕が見たのは、半魚人の無機質な赫い瞳だった……。