鬼のヘルプ力
灯枇があまりにも情けなく頼りないからか、柾谷は時に灯枇に対して鬼ヘルプを行った。具体的にはバス席ヘルプと、手繋ぎペアヘルプ、後たしか修学旅行先の原爆資料館で、大層ショックを受けて落ち込む灯枇の手を、しばらく握って一緒に歩いてくれた事もあったような気がする。
あの手は雲母と違って細くて色白で、でもしっかりと握ってくれていた筈だし、いくら灯枇が落ち込んでいたって、無自覚のまま嫌っていた妃鞠と手を繋ぐのは、流石に遠慮した筈だ。何より妃鞠には、そこまで行き届いた優しさは、たぶん備わっていなかった。それに他クラスの二人よりは、同じクラスの柾谷と遭遇した方が自然であるし……でも実際どうだったのだろう?
ただひとまずは、柾谷のバス席ヘルプについて書かなければならない。先にその後日談を書き起こしておくと、こんな内容だ。
「私ね、本当は閑香の事好かんと」
その閑香がトイレか先生に呼ばれたか何かで、もはや理由は不明だが、他の女子達は何故か廊下待機中だった折の卒業間際、お受験合格して女子校入学が決まっていた桔梗さんは、その日も閑香とはお揃いのカチューシャを頭に嵌め、一見仲の良い親友同士にしか見えなかった。
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「ねえ、お願い。良いでしょ、野々下さん。バスの席を代わるぐらい」
それが修学旅行前だったのか、見学旅行前だったのかは判然としないのだが、灯枇は桔梗のそんな我儘に、ほとほと困り果てていた。桔梗がこだわるバスの座席は、担任の呼び捨てPC先生のよく分からない基準で、たぶん大雑把に決められた事ではある。だが、勝手に交代したのがバレたなら、確実に怒られてしまう。灯枇はそれが嫌だったのだ。
「ええ~…でも~…」
灯枇が返事に四苦八苦していると、チャイムが鳴って掃除時間になった。灯枇はこれ幸いと、担当掃除場所の資料室まで走って行った。
その頃のヒヲス小学校には、クラス代表として選ばれた絵を校舎のあちこちに飾る習わしがあり、資料室には柾谷が描いた絵が飾られていた。同じ資料室掃除の男子達は、性教育関連の本にはしゃいで掃除をサボり、一応ちゃんと掃除していたのは、灯枇や掃除場所が同じだった、他の女子達くらいのものだった。しかし女子達は女子達で、灯枇に下らない質問をするのだ。
「野々下さんは、律ちゃんの事どう思ってるの?」
本人不在の場でそんな意見を訊く事自体、このクラスの質問者の場合では、名前を出された相手の事をよく思っていないのは明白だった。
だからこの手の質問は、いつも灯枇を苦しめた。灯枇は人の悪口が苦手だ。言われる事は勿論、言う事も極力避けたい。何故なら秘密が守られる保証が全く無いからだ。灯枇が誰かへの不満を漏らすのは、弟の森次か、守秘義務のあるカウンセラー位のものだ。これは灯枇の考える一種の処世術だが、まあ悪口は悪口で、他人を介した遠回しな苦情と言えなくも無い。
「うーん、まあ…ちょっと、何ていうか…」
「ふふ、そうなんだ。じゃあ柾谷君は?」
「えーっと、普通かな。別に恋愛的に好きとかそういうんじゃないし」
こんな事を訊かれるとは、意外と柾谷もこのクラスでは嫌われているのだろうか? 灯枇の本心としては、柾谷の事は人として好きだった。柾谷は灯枇と違って飛ばし読みも習得済みの読書家で、稀に彼が放課後家まで遊びに来ると、それぞれ会話もせずに読みたい本を呼んでいた。柾谷は本当に真人間だったから、従姉や雲母や妃鞠のように嫌がらせしたりせず、何だか物知りで頼りになった。そして何より親切だった。
「それなら俺と約束したフリしたらいいじゃん」
灯枇が妃鞠に誘われて遊ぶのが嫌だと言うと、柾谷はそうアドバイスし、灯枇は何度かそれを実行した。効果はてきめんで、妃鞠は何度も引き下がった。
「灯枇ちゃん、最近自分が不思議男子の1人と噂になってるの知ってる?」
「ええっ、何それ。全然知らない」
この頃のヒヲス小学校の5~6年生は、算数の時間は、その理解力ごとにクラス教室と別室の二手に分かれて勉強していた。この際にクラス教室に残る方だった灯枇は、毎回毎回黒板が見やすい1番前の席へ移動していたのだが、灯枇はその隣が席だった不思議男子の事が好きなのかと、クラスメイトの女子達の間で噂になっていたらしい。
「そんなこったろうと思った。俺が否定しといてあげるから、灯枇ちゃんも、もう隣の席には行かない方が良いよ」
柾谷は本当に親切で頼りになった。灯枇はただ唯それに甘える他無く、それがありがたくて申し訳無かった。灯枇が資料室からクラス教室に戻ると、柾谷が桔梗を説得している最中だった。灯枇にも、今すぐ教室に入ると気まずくなる事くらいは分かっていたので、教室に入るのを止め、廊下の離れた場所で時間を潰した。




